第21話 覚醒への恐れ
目を覚ましてからずっと、麻乃はぼんやりと天井を眺めていた。
(また気を失ってた……)
最近、多くなった気がする。自分の中で動く感情を抑えられないことが多い。
頭の芯がまだ重いけれど、火傷の痕は痛みが引いたようだ。左腕の皮膚が引きつるような感覚も、だいぶ和らいでいる。
ドアをコツコツとたたく音が聞こえ、麻乃はベッドから体を起こした。
「入るよ」
起きあがった麻乃を見て、巧の表情がホッと緩んでいる。
「うん、だいぶ顔色も良くなったみたいね。どう? コーヒーでも淹れようか?」
「あ、じゃあ、あたしが」
「いいから。起きられるなら私の部屋においで。今、三番を使ってるから入って待ってなよ」
少しだけせっかちなところがある巧は、それだけを言うと、さっさと出ていってしまう。麻乃は急いでベッドから降りると、巧のあとを追った。
三番の札がかかっている部屋へ入ると、窓辺に腰をかけて外の景色を眺めた。少しずつ頭の中がはっきりしてきて、不意にさっきの赤髪の女を思い出した。
(あれが鬼神だとしたら、絶対にもう覚醒している。どれほどの力があるんだろう……)
腕前だけなら麻乃もそれなりに自信はある。ただ、普通より上回る力を持った相手と対峙したとき、その差がどのくらい開くのか想像もつかない。想像するだけで、胸の奥が冷たくなる。同時に、なぜか心の底から湧き上がる高揚感もある。
戦ってみたい、と麻乃は思った。
歴然とした差が出るのであれば、それを超えるために覚醒する覚悟ができるかもしれない。ただ……その覚悟を決めた瞬間、自分はもう今の自分ではなくなってしまうのじゃあないか……そんな不安が、胸の内側をざわめかせる。
「お待たせ」
ドアが開いて、コーヒーの香りが部屋を満たした。
なぜかホッとする香りだ。
「麻乃は確か、あれでいいのよね?」
巧が小さなデスクの上にトレイを乗せると「熱めの濃いめ、泥水のようなブラックでね」と、二人同時に言い、顔を見合わせてくすっと笑った。
「初めて聞いたときは、あんたちょっとおかしいのかと思ったけどね」
「だって、うんと濃いやつが好きなんだもん、ああ言ったらわかりやすいかな? って思ったんだよ」
「それにしたって、泥水なんてねぇ。大した表現力だよ」
笑いながら差し出されたカップを受け取り、一口、飲むと気持ちが静まるようだ。温かい液体が喉を通り、胸の奥まで染み渡っていく。こんな些細なことでも、今の麻乃には救いのように感じられた。
「麻乃はさ、自分のことをどう思ってる?」
突然の問いかけに面食らって、麻乃は一瞬、コーヒーを吹き出しそうになった。
「どう……って、どういうこと?」
「自分の能力について」
どくん、と心臓が高鳴る。
(やっぱり知っているんだ。あたしのこと――)
その思いが聞こえたかのように、巧は話を続けた。カップを持つ手が震える。指先から伝わる陶器の温もりが、なぜか遠くに感じられる。
「トクちゃんも岱胡も気づいてるよ。きっと同じ文献を読んだんだと思う」
「あたしは……こんな能力、欲しくなかった。こんな……人を傷つけるだけの力……」
そう口に出した瞬間、胸の奥がきゅっと締め付けられた。なぜ自分がこんな血筋に生まれたのか。なぜ普通の戦士として生きることができないのか。答えは出ないまま、その問いだけがいつも麻乃の心に残っていた。
「ねぇ、あんたも読んだと思うけど、古い文献には、それこそ何世紀も前からのことが書かれてるよね」
「……うん」
「鬼神についての記載もあったけど、そのほとんどが普通に覚醒して、普通より能力が上回っただけよね?」
なにかを言おうと思っても喉の奥で声が詰まり、言葉が出ない。
麻乃は黙ってうなずいた。
「それに、そのおかげで大陸に強力な力があったときでも、この国への侵略を阻むことができてるじゃない?」
「……うん」
「驚くようなことがあったのは、たった一度きりだったよね?」
巧はうつむいて視線を合わせない麻乃の表情を確かめるように、少し前屈みに身を寄せてきた。
麻乃は思わず目を伏せた。文献は麻乃自身も読み漁った。かつて鬼神と呼ばれた人たちが、周囲にどう影響を与え、どう扱われていたのかを知りたかったから。深夜まで明かりを灯して、古い文字を必死に読み解いた日々。そこに書かれた内容は、麻乃の心により深い影を落とすものばかりだった。
巧の言う、驚くようなこと……それはずいぶんと昔、当時の国王が他国への進出を目論んだことに始まった。
泉翔での女神信仰では、他国への侵攻は禁忌とされている。それを破ろうとした年に現れたのは、強大な力を持った鬼神だった。
国王以下、国中で大陸への侵攻を支持し、準備を始めたものたち全員が、それを阻むべく動いた鬼神の手にかかったと記されている。
その記述を初めて読んだとき、麻乃は数日間、食事も喉を通らなかった。一人の鬼神が、どれほど多くの人を手にかけたのか。これが自分の血に眠る力の本質なのだろうかと思うと、眠ることさえ怖くなった。
「私は、それはあっちゃいけないことだと思うけど、なきゃいけなかったことだ、とも思うのよね」
「そんな……どうしてさ!」
最後の巧の言葉に驚いて顔をあげ、麻乃は思わず大きな声を出した。
「だって私らの力は、女神さまからいただいた守るための力で、決して他国を侵略する力ではないでしょ?」
「でも……!」
「それは禁忌として伝えられてきているのに、破ろうとした罰だと思うの。私は、ね」
巧は窓の外に目を向けて、言葉を選ぶように話し続ける。
「乱暴な考え方かもしれないけど、そのことがあってから個々で力の有り方を考えて、正しく伝え続けて今に至るわけじゃない?」
話を続ける巧から視線を外せない。
麻乃にも言わんとすることはわかるけれど、心の奥底では納得がいかない。鬼神の力が正義のために使われたとしても、結局、多くの命を奪った。その事実は変わらない。
同じ重みを、麻乃は背負わなければならないのだろうか。
「今の国王さまも、皇子さまにしても、とても気さくな人たちで、この国を守ることに力を注いでるわよ」
「それはあたしもわかってるけど……」
「幸いにも、麻乃に粛清されなきゃならないことなんて、今は何一つない。それは私があれこれ言うより、麻乃自身が良くわかってることよね?」
穏やかに語りかける巧の声に、ただ黙ってうなずくだけだった。時折、誰かが通りすぎる足音が聞こえる以外、外からもなにも聞こえない。さっきの浜での出来事が嘘のように穏やかな時間だ。
いつも、いつでもこんな時間が続くことを願っているのに――。
でも、それは叶わぬ願いなのだということも、麻乃は理解している。
いつか必ず、選択を迫られる日が来る。そのとき、自分自身はどうするのだろう。
「だから麻乃の覚醒も、おかしなことになる要素はないわよ。なんの根拠もないけれど、これまでのことから見ると目覚めるべくして目覚めてるでしょ。今は、大陸が変な様子だし、もし覚醒するとしたら前者のほうとしか思えないね」
素っ気ない口調でそう言った巧が、コーヒーを飲む姿をただ見つめた。
「鬼神だなんて、大層な言われ方をされてるけどさ、私から見たら、鬼神って言うよりも、救世主って感じがするけどね」
「それこそ大層な言い方だよ。そんなにいいものなんかじゃないよ。だってあたしは……」
その先の言葉が継げなくて、麻乃はじっとカップに視線を落としていた。
(そんなにいいものなんかじゃない……)
軍部でも上層のほとんどが麻乃の血筋について知っている。そしてうとましく思っているのも。会議室で交わされる小さな囁き声。廊下ですれ違うときの、一瞬だけ向けられる冷たい視線。それらが、麻乃の心に深い傷を刻み続けている。
どんなに努力しても、鬼神の血筋としてしか見られない。その現実が、麻乃を苦しめ続けていた。
「気負いすぎなのよ。あんたは。周りにせっつかれて焦る気持ちもわかるけどさ」
「あたし、わからないんだ。自分がどうなると覚醒するか。時々……凄く自分の感情が抑えられなくて、そんなときに頭の芯が痺れて……」
誰もに必要とされようなどと、おこがましいことを考えているわけじゃない。けれど、ただ鬼神の血だということで、うとまれ遠ざけられることが嫌だった。自分のしたことを考えろ、おまえなど必要ないと、いつ誰に言われるんじゃないかと考えるだけで今でも胸が痛む。だからいつも、覚醒を感じた瞬間に必死でそれを抑えてきた。
「そのときの感じが、きっとそうなんだと思うんだけど、でも、そんな感情でいるときは駄目だって思って、必死に気持ちを抑えて……それ以外の、どんな状態になったらちゃんとできるのか、全然わからないんだ」
不安な思いを少しずつ吐き出すように、麻乃はポツリポツリと話した。覚醒の話をするたびに、高田に言われる言葉を思い出す。
(安定してさえいれば覚醒したところで、今のおまえ自身と、なんら変わることはないのだぞ)
どこにそんな根拠があるのかわからず、常に拒絶してきた。残ったコーヒーを一口で飲み干す。それなのにやけに渇きを覚えるのは、緊張しているせいだろうか。
巧は頬杖をついてこちらを見たまま、ふっと鼻から息を漏らした。
「だって呪文で変身する、なんてものじゃないでしょ? 気楽にして自然に任せればいいんじゃない?」
「気楽に……?」
「案外さ、ある朝、目が覚めたらね、瞳と髪の色が変わってるかもしれないわよ」
顔をあげ、麻乃は巧をしげしげと見た。
「そんなふうに言われたことなんてなかった。自分でも考えもしなかった。そんな自然に起こるかもしれないなんて……」
そうか、もしかしたら覚醒というのは、もっと自然なことなのかもしれない。これまで抱いていた恐怖や重圧は、周囲の期待や不安によって作り上げられたものだったのかもしれない。
「だから気負いすぎなんだって。普通よ。普通。それが一番よ」
「朝、起きたら訓練をして、戦争に出て、会議もして。そんなのも普通?」
「そうよ。だって私ら戦士だもの。そうそう、それから普通においしいものを食べたり、なんてね」
巧は笑って立ちあがると、麻乃の手からカップを取りあげて新しいコーヒーを注いでくれた。そのまま部屋の小さな冷蔵庫の中から、ケーキを取り出して机に置いた。
「おクマちゃん特製のチーズケーキとかね」
「あっ、おクマさんのところ、チーズケーキも出してるんだ?」
「食べなよ」
「うん、いただきます」
巧は頬杖をついて麻乃のほうを見つめながら、ゆっくりと言った。
甘いケーキを口にしながら、麻乃は少しずつ心が軽くなっていくのを感じていた。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
今回のイメージイラストは、巧になります。
まだまだ先は長いですが、引き続きお付き合いいただければ幸いです。




