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蓮華 ― 鬼神の血を継ぐ戦士は護るために戦う ―  作者: 釜瑪秋摩
島国の戦士

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第1話 はじまりのとき

 泉の森に集められた大勢の子どもたちが、地面に思い思いに腰を下ろしている。梢のあいだから零れ落ちる木漏れ日が、石畳の上に小さな光の模様を作っていた。


 その輪の一番後ろで、膝を抱えてじっと座っている少女――藤川麻乃(ふじかわあさの)。小さな体をさらに小さくして、なるべく目立たないようにしながらも、目だけは誰よりも真剣に前を向いている。


 輪の中心では、八十に届こうかという老女が白装束のまま静かに立っていた。一番巫女のシタラだ。白髪を丁寧に結い上げたその体は小さく細く、風が吹けば折れてしまいそうにさえ見える。ただ、その目だけは深く澄んで、老いることを知らないような静けさを湛えていた。


「さてさて」


 シタラが口を開くと、ざわついていた子どもたちが一斉に静まった。


「今日はこの国の始まりの話をしようかのう。みんなは知っているかい? この泉翔が、最初から島ではなかったことを」


 子どもたちがざわめく。麻乃は膝を抱える手に、少し力を込めた。何度聞いても、この話の続きを聞くたびに胸の奥が熱くなる。


「遥か昔のことだよ……」


 シタラの声は低く、ゆっくりとしていた。


「この国はね、高い山と深い谷に囲まれていてね。他国との交流もなく、人々は静かに慎ましく暮らしていたのだよ」



 国の中心には緑豊かな森が広がり、大きな泉には、古くから人々に崇められてきた女神が住まうとされていた——とシタラは語った。


 泉のほとりには白い石で築かれた神殿があり、女神に仕える巫女たちが季節ごとに祭事を執り行っていた。春先には作付けの時期や気候による注意すべきことを、女神のご神託として人々に伝え、秋の収穫時には豊穣を祝う。冬には一年の感謝を込めて長い祈りを捧げ、夏には五穀豊穣を願う祭りが催された。生活の中に信仰はしっかりと根付いていった。


「みなさま、今年は例年よりも春の気温が上がりにくいようです。作付けの時期はひと月ほど遅らせるべきでしょう。これは女神さまのお告げにございます」


「夏は例年よりも少しばかり雨が多いようです。作物の育ちが悪くなるやもしれません。食糧は多めに保管されているでしょうが、無駄のないよう注意を払って管理するように」


 各村や集落の長たちが神殿に集まり、巫女たちのご神託をもとに農事の計画を立て、田畑を整えた。そのおかげで豊作のときには食料を多く保管しておくことも可能になり、国民たちは不作の年でも飢えることなく過ごせていた。


 女神への信仰は深く、人々は困ったときには必ず神殿を訪れ、巫女たちに相談した。病気になったときには薬草の在りかを、迷子になった家畜の行方を、嫁ぎ先で悩む娘の心の支えを——。

 巫女たちは女神の声を聞き、的確な助言を与えてくれた。


「そうやって長いあいだ、この国の人々は平穏に、幸せに暮らしてきたのだよ」


 シタラは一度言葉を切った。子どもたちがじっと次の言葉を待っている。麻乃も、知っているはずの続きを、息を詰めて待った。


「……けれどね」


 その声が、わずかに曇った。


「年月が経ち、文化や文明が少しずつ発達していくと、人々は山や谷を越えて別の国の人々と交流するようになっていったのだよ」



 最初は商人が一人、二人と訪れるだけだった——とシタラは語り続けた。


 珍しい品物を持参した彼らは、この国の豊かな農作物や手工芸品と交換した。やがて往来しやすいように道が整備され、山にはトンネル、谷や川のあちらこちらに橋が架かり、食糧や農機具、資材などの売買も行われるようになった。


 他国の技術や知識も流入し、農業はより効率的になり、手工芸品はより美しく精巧になった。人々の暮らしは便利になり、国はますます豊かになっていく。


 巫女たちも最初は他国の人々の流入を心配したが、女神のご神託では「多くの人々が幸せになることは良いこと」とのお告げがあった。こうして国境は開かれ、平和な交流が続いていった。


 子どもたちは他国の言葉を覚え、若者たちは新しい技術を学んだ。老人たちは最初こそ変化を恐れたが、豊かに変わっていく暮らしに満足するようになった。


「平和だったんだねぇ」


 子どもたちの誰かが呟いた。シタラはその声を聞いて、小さく頷いた。


「そうだよ。平和だった。だからこそ——」


 老女の目が、一瞬だけ麻乃に向いた。

 どこか冷たく、憂いを含んだ視線だった。


(おまえは違うのだよ——)


 そう言われているような気がして、麻乃は思わず目を逸らした。指先が、冷えていくようだ。


「だからこそ、人々は戦うということを、忘れてしまっていたのだよ」



 更に年月が経ったころ、この小さな国に突然やってきたのは、甲冑を纏い武器を携えた冷酷な兵士たちだった——。


 シタラの声のトーンが落ちた。子どもたちの顔が、じわりと青ざめていく。麻乃は膝を抱える手を、さらにきつく握り締めた。


 彼らは明け方に現れた。霧に紛れて国境を越え、まだ眠りについている人々を襲った。資材や食糧を奪いつくし、男手を中心に多くの若者が兵士たちによって連れ去られてしまった。


 村の入り口に立ち尽くす老婆が、孫の手を握り締めながら遠ざかる兵士の背を見つめていた。声を上げることも、動くこともできぬまま、ただ涙だけが頬を伝った。


「やめてください! なぜこんなことを!」


「お願いします、子どもたちだけは……」


 人々の嘆願も虚しく、兵士たちは冷酷に略奪を続けた。家屋は焼かれ、田畑は荒らされ、家畜は殺されるか連れ去られるかした。これまで争いに縁のなかった国の人々は、抗う術も知らず、なすがまま、抵抗することさえできずにいた。


 三日三晩にわたって続いた蹂躙。嵐のようにやってきた他国の兵士たちが去ったあと、人々は荒らされて枯れ果てた土地を前に呆然と立ち尽くすしかなかった。


「ひどい……」


 子どもたちの中から、しゃくりあげる涙声が漏れた。シタラは静かに続けた。


「幸いなことに、泉や神殿は深い森に覆われていたおかげで発見されることもなく、巫女たちも森の奥深くに身を隠すことができたのだよ」


 巫女の長は、荒らされた田畑を見渡して、ふうっと深くため息を漏らした。


「こんなにも田畑を荒らされてしまったというのに、残された若者たちは数少ない……」


「それでも、どうにか再建しなければ。蓄えもなにもかも持ち去られてしまったのだから……」


 残った人々は必死に働いた。老人は腰が痛むのを我慢して鍬を握り、女たちは重い荷物を背負って運んだ。子どもたちも大人の手伝いをし、みんなで力を合わせて復興に取り組んだ。


 巫女たちは女神に祈りを捧げ、再び豊かな実りがもたらされるよう願った。そして女神のご神託に従って、最適な作付けの時期と方法を人々に伝えた。


「女神さまは、この試練を乗り越えれば必ず良い日が来ると仰っています」


 巫女の長の言葉に、人々は希望を抱いた。そして一年間、懸命に働き続けた。


 ところが、ようやく落ち着いて作物が育ち、収穫の時期を迎えようとしたころ、また他国の兵士たちがやってきて、すべてを奪っていく……。


 今度は前回とは違う国の兵士たちだった。彼らもまた容赦なく、育てた作物を刈り取り、残り少ない家畜を連れ去り、わずかに残った若者たちの一部をも拉致していった。

 せっかくの蓄えも底をつき、人々の暮らしは、いよいよ立ち行かなくなってきた。


「もう限界だ……」


「このままでは、全員が餓死してしまう」


「一年、必死に頑張ったのに……また、奪われてしまうのか」


 シタラの語りを聞きながら、麻乃はそっと目を伏せた。知っている話のはずなのに、何度聞いても胸が痛くなる。



「困り果てた集落の長たちが集い、相談した」


 シタラはさらに続けた。


 このままではいつまでも埒が明かない。じきにこの国は他国に滅ぼされてしまう。そして兵士たちが立ち去ったのち、彼らは密かに他国の様子を探りに出かけることにした。


「一体、他国はどうなっているんだ? この国から奪いつくして贅沢な暮らしをしているんだろうか?」


 あるものは山を越え、あるものは川を渡り、またあるものは谷を下る。危険を承知で、彼らは故郷を離れた。

 そこで彼らが目にしたのは、木々や草花が枯れ果て、ろくに動物もいない広大な大地だった。川は干上がり、湖は泥沼と化し、かつて豊かだったであろう平原は砂漠のように荒れ果てていた。


「こんなにも荒れた土地では作物も育たず、この国に奪いに来るのも当然だ」


「だからといって、これまでのように奪われ、殺されてしまうだけではたまらない」


 さらに調べてみると、この荒廃した大地には四つの国があり、それぞれが残り少ない資源を巡って争い続けていることがわかった。彼らにとって、豊かなこの小さな国は、まさに奇跡のような存在だったのだ。


「可哀想な国……」


 子どもたちの誰かが呟いた。シタラは静かに頷いた。


「そうだよ。四つの国は可哀想な国だよ。守る神を忘れた者たちの末路というのはね、いつもそういうものなのだよ」


 麻乃は顔を上げ、シタラを見た。老女の目には、深い悲しみとも諦めともつかない色が浮かんでいた。


「それで……どうなったの?」


 子どもたちの中から声が上がる。シタラはゆっくりと息を吸った。


「そんなとき、女神さまが動いてくださったのだよ」


 巫女の長が、特別なご神託を受けた——とシタラは語った。


「明日の夕刻、連れ去られた多くの者たちが、女神さまの御力を借りて戻ってきます。その夜は全員が家の外には出ず、決して外を覗いてはなりません」


 これまでとはまったく違う、現実離れしたお告げに、誰もが半信半疑のまま翌日を迎えた。

 夕刻になると、本当に連れ去られた多くの若者たちが戻ってきた。


 母親が息子に駆け寄り、その痩せ細った肩を抱きしめて泣いた。息子は虚ろな目でただ宙を見つめていたが、やがてぽつりと「女神さまが……守ってくださった」とつぶやいた。戻った若者たちは皆、記憶をなくしたかのように放心状態で、ただその言葉だけを繰り返すばかりだった。


 人々は再会を喜び合い、巫女のご神託通りに、それぞれが家にこもった。


 あたりが暗くなると雨が降りはじめた。雨は徐々に強まっていき、深夜には激しい嵐となった。山が崩れ落ちるかと思うほどの轟音が響き渡り、大地は一晩中揺れ続けた。家々は激しく揺れ、誰もが怯えながら眠れぬ夜を過ごした。


 嵐の去った翌朝——。


「人々が外に出て見た光景は、まさに奇跡だった……」


 シタラの声に、子どもたちが一斉に息を呑んだ。麻乃も知っているはずなのに、体の奥から沸々と湧き上がる感情に、肌が粟立つのを止められなかった。


「ある者は声もなく立ち尽くし、ある者はその場に膝をついた。老いた長老が目に涙を浮かべ、子どもたちは互いに顔を見合わせて身を寄せ合った――」


 東側にあったはずの山がなくなり、切り立った崖に変わっていた。そこから先は青い海が広がっている。北側と南側の谷は砂浜となり、寄せては返す波が聞こえてきた。西側の海岸は深く切り込まれた入り江に変わっていた。


「一夜にして、この国は島になっていたのだよ」


 子どもたちが声を上げた。麻乃は目を閉じ、その光景を頭の中に描いた。朝の光に照らされた青い海。呆然と立ち尽くす人々。そして——女神が命を賭けて守ったこの場所。


「女神さまは持てる力のすべてを使い、この島をかの地より引き離しました。これでもう無益な争いに巻き込まれることはなくなるでしょう——と、巫女の長は語ったのだよ」


 しかし——とシタラは続けた。その声は静かだったが、低く耳に届いた。

 他国から戻った人々の心には、大きな不安が残っていた。


「ですが、巫女長さま。私たちが連れ去られた土地には、四つの国がありました」


「それぞれの国にも、同じように守神さまの信仰が残っていたのです」


「しかし、争いばかりを繰り返している間に、どの国の人々も守神さまを祀ることさえしなくなったようで……」


「神殿は荒れ果て、巫女もいなくなっていました」


 巫女の長はふうっと深くため息を漏らした。


「確かに、あの地では神はみな、眠りについてしまったのでしょう。女神さま以外の守護の力を感じることはありませんでした……」


 けれど、ある日突然に消えたこの国を、彼らが放っておくだろうか?


 きっと探すだろう。海の向こうに消えた豊かな国を見つけるため、船を造り、航海術を学び、必死に探し続けるに違いない。

 たとえ今すぐでなくとも、いずれ必ずここへたどり着くだろう。


「もしもまた攻め込まれたら——?」


「今度は逃げ場もない。この島で最後まで戦うしかない」


 シタラは静かに子どもたちを見渡した。どの顔にも、不安と緊張が滲んでいる。


「人々は何日もかけて話し合ったのだよ。村の長老たちが集まり、若者たちが意見を述べ、女たちも子どもたちの未来を案じて声を上げた」


 そしてついに、全員が一つの決意を固めた——とシタラは言った。


 いずれまた来るかもしれない侵略の手におびえながら暮らすのではなく、この身を鍛え、武術を学び、いざというときには命を賭してもこの国を守る、と。

 長老の一人が立ち上がり、その皺だらけの手を力強く握り締めて言った。


「女神さまが命を賭して守ってくださったこの島を、今度は私たちが守らなければならない」


 若者たちが互いに頷き合い、口々に続けた。


「平和のために戦う力を身につけよう」


「子どもたちにも、強く生きる術を教えよう」


「女神さまは、戦いをお好みにはならない。けれど——」


 シタラは穏やかに微笑むと、空を仰いだ。


「愛する者たちを守るための力を身につけることは、決して悪いことではないと仰っています。ただし、復讐のためではなく、平和を守るためであることを、決して忘れてはならないと」


 森の中が、しんと静まり返った。木漏れ日が揺れ、泉のほとりから水の音だけが聞こえてくる。


「さてさて」


 シタラはゆっくりと子どもたちを見回した。


「この中の何人が、新たな戦士として印を受けるかのう」


 誰も答えなかった。それぞれが、胸の中で何かを考えているようだった。

 麻乃も、膝を抱えたまま動かなかった。答えはとっくに決まっている。この話を初めて聞いた日からずっと——。


 そのとき、隣から大きな手が伸び、赤茶色のくせ毛をそっとなでた。


「俺たちは絶対に戦士になる。そうだろ? 麻乃」


「うん。なるよ。修治(しゅうじ)もあたしも、絶対に」


 麻乃は前を向いたまま、小さくそう答えた。シタラの視線がまた自分に向いているのを感じながら、それでも今は——修治の手の温かさだけを感じていた。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

この作品は、先に公開済みの『蓮華』を手直ししたものになります。

基本的なストーリーは変わっていませんが、加筆・修正のため1話の文字数が多めになっています。

1話目であるこの回は特に文字数が多いため、読み手の皆さまには読みづらさを感じさせてしまったかと思います。申し訳ありません。

ここから先も、3000~4000と多めの文字数になっていますが、引き続きお付き合いいただけると幸いです。


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