第18話 気になる視線
「失礼します」
ほかの師範に子どもたちを任せると、塚本は市原とともに道場の奥にある高田の部屋に入った。
「麻乃の傷が開いてしまったようで、かなり出血がありました。修治が付き添って医療所へ向かっています」
「そうか。かすり傷程度とみて演習に行かせたが、無理をさせたな」
数十分前に高田の娘の多香子が買い物を済ませて戻ってきた。怪我を負っている麻乃を演習に出したことで、多香子が高田に噛みついた声が、道場の外まで響いていた。そのせいもあってか、高田は言いながらバツの悪そうな顔を見せる。
「少し無茶をしたようですよ。二時間十分であがってきましたから」
「なんだ、やけに早いな」
「ええ。それと、最後の四人相手に二刀抜いたそうです」
「ははぁ、洸たちだな?」
それにうなずくと、塚本は苦笑しながら話を続けた。
「それから、自分の勝ちだから、夕飯のことをちゃんと伝えておいてくれ、だそうです」
「怪我より飯か。まったく、あれは驚くほどの変わりものだな」
「麻乃はまだ覚醒していないようですね?」
呆れている高田に市原がそう問いかけた。
穏やかだった雰囲気が、途端に張りつめた気がする。
昔からずっと、麻乃の覚醒が絡んでくると、高田の目の色が変わるのを感じている。それは今をもっても変わらないままだ。
当の麻乃のほうも、幾度となく促されても、そのたびに頑なに拒絶している。二人が相容れないままに過ごしてきたのを、塚本も市原もずっと見続けてきた。
「麻乃が洗礼を受けてから、もう八年だ。とうに目覚めていてもおかしくはないのに、なにがあれの妨げになっているやら……」
「やはり両親のことではないでしょうか?」
「うむ……しかし、どうもそれだけではない気がする。麻乃はなにかを隠しているようなのだが、あれは母親ゆずりで頑固なところがあるからな。聞いたところで答えまい。言いくるめて当分ここに通わせるつもりだ。おまえたちにも手間をかけさせるが、少し麻乃を気にかけてやってくれ」
「わかりました」
麻乃の両親とは塚本も市原も親しくしていた。だから高田が多香子と同様、麻乃を自分の家族のように思っている気持ちもわかる。高田は不意に立ちあがると、窓の外に視線を向けた。
「戻ってきたようだぞ」
その声には、ほんの少し安堵の色が混じっていた。
裏口のほうから、車のエンジン音が近づいてくるのが聞こえた。
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車を降りた麻乃の目に、道場の裏口から調理場へ入ろうとしている人影が見えた。ちょうど昼どきで、食事の準備をしているのだろう。
「多香子姉さん!」
その後ろ姿に駆け寄ると多香子は振り向き、にっこりと麻乃に笑いかけてくれた。
「麻乃ちゃん、久しぶりね。また父さんに無理させられたんですって? うんと文句を言っておいてあげたからね。シュウちゃんも、父さんが無理を言ったときはちゃんと止めてくれなきゃ駄目よ」
後ろの修治を軽く睨んでその手に食材の入った袋をあずけると、多香子は調理場へ入った。
「……だってさ。シュウちゃん」
にやにやと笑いながら、麻乃は肘で修治の脇腹を突いた。
「うるさいんだよ。おまえはさっさと着替えてこい」
そう言って麻乃の頬をつねり、修治は手伝いをするために、荷物を持って調理場へ入っていった。
多香子は麻乃より六歳年上の三十歳で、師範としてやってきた高田と一緒に西区に越してきた。家事が得意でとてもよく気がつく人で、麻乃とは正反対のタイプだが、姉も同然の存在だ。最初のころは打ち解けることができなかった麻乃に、根気強く接してくれ、妹のようにかわいがってくれた。子どものころからずっと憧れてきた。
奥の部屋で着替えを済ませると、子どもたちのざわめきと食事の準備でごった返した食堂へ入り、高田の向かいに座った。
「ご心配おかけしました」
「いや、私がおまえに無理をさせたからな。多香子にこっぴどくやられたよ。すまなかったな。ところで、どうだ? うちの門弟たちは」
子どもたちを見回した高田に問われ、同じように麻乃も食堂に視線をめぐらせる。
「そうですね……なかなか面白い子たちがいますね」
「そうだろう? 今年、恐らく印を受けるだろうやつらが数人いるのだが……しばらく西区にいるのなら、時間のあるときに顔をださないか? どうもおまえがいるだけで、門弟たちには良い刺激になりそうだ」
洸たちの姿を見つけると、少し首をかしげて考え、その姿をじっと見た。洸は視線に気づき、挑むような目で麻乃を見返してくる。それに答えるように挑発的に笑みを浮かべてみせてから、視線を外した。
「隊員の選別と訓練もあるので、毎日は来られませんけど、いいですよ、来ます。面白そうですから」
そう返事をすると、高田はホッとしたような表情を浮かべた。生意気なやつらが多いようだから、きっと高田も手を焼いているのだろう。少しでも手助けになるのなら、と思った。
塚本と市原も交え、子どもたちの今の訓練状況を聞いていると、食事の準備すべてを済ませた修治と多香子も食堂へ入ってきた。全員がそれぞれ自分の食事の給仕をし、一斉に食べ始めた。
「おまえ、一体なにをやったんだ?」
食事の最中、修治が小声で聞いてきた。
「別に、なにもしていないよ」
「なにやら偉く注目されているじゃないか。おまけに向こうの隅の連中ときたら、半ば殺気立っているぞ?」
確かに、ずっと子どもたちの視線は感じていた。もちろん洸たちのことも。
「あのさ、隅にいる十六歳組の中のね、左から……えっと、二番目のやつ。あれは面白いよ」
「ん? あのデカイのか?」
「そうそう、おっかしいの。立ち居振る舞いも似てるんだけどさ、昔の鴇汰と同じことを言うんだよ」
くすくす笑いながら話す麻乃を見て、修治は眉をひそめた。
「昔の、ってなんだ?」
「あ、そっか。あのときはもう修治はいなかったんだ」
「だから、なにがだ?」
「あたしが最後の地区別演習でさ、東区と当たったの。そのときにね、鴇汰と穂高に出くわして、ちょっとからかったんだ。そしたらあいつってば、偉い勢いで突っかかってきてね、そのときに言われたセリフとまったく同じこと、今日の演習であの子に言われたよ」
「なんて言われたんだよ」
「次は絶対負けない、俺は絶対負けない、ってさ。あたしには最後の演習だったから、次なんてなかったのに。あいつあのとき、あたしのことをいくつだと思っていたんだか」
頬づえをついて少し下に目線を移し、麻乃は昔を思い出して笑いながらも、おかずにはしっかり箸を伸ばした。
「肘をついて飯を食うな」
呆れ顔で修治が呟いた。




