第17話 格の違い
麻乃が洸を睨み、舌を出してみせたのを、同じように睨んで見送った。
――どうにも気に入らない。
奥歯を噛み、走り去る車の尾灯を睨みつけた。
演習で負けたことはあるけれど、あんな小さくて弱そうに見えた相手に負けたなんて、悔しくて我慢ならない。
塚本はこちらを振り返ると全員を道場前に集めた。
「二時間十分か。おまえたち……なんでバラけてかかったんだ? 藤川は、あの得物で、しかも怪我を負っていたんだぞ? 全員で行くか、せめて二手に分かれてかかれば、あるいは紐の先くらいは持ってこられるかと思って、ああいうノルマにしたっていうのに……」
そう言うと、束ねられた組み紐を見て、ため息をついた。
「塚本先生! 全員でって、どういうことですか?」
耕太が手を上げてムッとした顔で問いかけた。
「言葉通りの意味だ。全員で一斉に向かっていけば、ってことだ」
「五十二人全員で束になれば、藤川もさばき切れまいと思ったんだよ」
市原までも塚本と同じことを言う。
「全員でかからなきゃ、奪えないなんて、そんなことはないですよね?」
「それに先生、あの人は本気でしたよ!」
「そうだよ! 最後は二刀できたもんな」
勝也に琴子、勇助が口をそろえて反論するのを聞いて、やれやれとでもいうように首を振り、ため息を漏らした。
「現におまえたちは負けているじゃあないか。確かに、藤川に二刀抜かせたのは大したものだ。でもな、刀じゃない。脇差だぞ? しかも、それはきっと最後の最後でだっただろう? だいいち、言っておくが藤川は本気なんて出しちゃいないぞ。最初から二刀で本気をだしていたら、一時間を切って演習は終わっていたはずだ」
「それにおまえたち、全員自分の腕を見ろ。服を斬られているものはいるか?」
市原の問いにそれぞれが自分の腕を確認すると、息を飲んで静まり返った。
誰一人、組み紐以外どこも斬られていない。
もちろん、洸も同じだった。
「組み紐以外を斬らないように、丁寧にさばいたからだぞ。それから演習中に、あいつと話した者はいるか?」
今度は全員がおずおずと手をあげる。
洸も仕方なしに手をあげた。
「手を抜いているから口を開くんだ。報告や指示があるとき以外、戦士たちは戦っている最中に言葉を交わしたりしない。喋っている暇があったら、やつらは一人でも多く倒そうとするんだよ」
「藤川が怪我を負っていて小柄だから、弱いとみて侮ったな? だがな、時間半分で演習を終わらせる腕がある。あの怪我でもだぞ?」
「あれはおとといの戦争で、敵兵が藤川の命を奪おうとして負わされた傷だ。演習で誤って斬られたり、転んだりしたのとはワケが違うんだ。わかるか? あいつはそういう命のやり取りをしているんだ。戦士を目指すなら、よーく覚えておくんだな」
塚本と市原の言葉を全員が押し黙って聞いていたけれど、洸だけは打ち合ったときの麻乃を思いだし、交わした言葉を噛み締めていた。
今さらながらゾクッと背中が震える。よく考えてみると、最初に道場に入ってきたとき、脇差の柄で軽く槍を弾いていた。それだけの腕を持っているんだと、たった今気づいた。
(無理だよ。だって、格が違うからね)
最後の言葉を思いだし、洸はぐっとこぶしを握った。見た目だけで相手を判断していたことが恥ずかしい。
強かろうが弱かろうが、もっとしっかりと相手を見極めることが、どうしてできなかったのか。もしも侮らずに最初からちゃんと向き合っていたら勝てたに違いない。
(それに……)
本気じゃないと、格が違うと、塚本も市原も麻乃も言うけれど、その差はどれだけあるというんだろう。
どう考えてみても敵わないとは考えられない。もっと技を磨けば麻乃には勝てる気がする。
「泉翔人にしては小さいからな。侮る気持ちもわかるが、ああ見えて剣術の腕前はこの国で五指に入るんだぞ。少しは勉強になっただろう? さぁ、それじゃ負けたおまえたちはペナルティの訓練開始だ」
そう言って塚本が全員に指示をだした。いつの間にか洸の後ろに立っていた市原が、その背中に手を置いてぽんと叩いた。「やってみなけりゃわからんぞ」と、それだけ言って前を向く。洸は黙ってうなずいた。
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鼻がムズムズして、麻乃はくしゅっとくしゃみをした。
「動くな。馬鹿者が」
子どものころから世話になり、『爺ちゃん先生』と呼んでいる医師の石川がぎろりと睨んだ。
それほど深くはないと思っていた傷だったけれど、縫ったところがすっかり開いてだいぶ出血していた。少し前に消毒液で嫌と言うほど傷口を洗われ、今、爺ちゃん先生に改めて縫いなおされている。
「だって……今頃、子どもたちがあたしの悪口を言ってるに決まってる」
麻酔のおかげで強い痛みはないけれど、チクチクと刺したときの引きつれを感じて顔をしかめた。
爺ちゃん先生は横目で麻乃を見て、すぐに視線を傷口に戻した。その目が呆れているのがわかる。
「なにを子ども同士が喧嘩したときのようなセリフを言っとるんだ」
「だって、絶対そうに決まってますもん」
「そのせいでこのざまか? どんな無茶をしおった?」
糸を切り、薬のたっぷりついたガーゼを当てると、看護係が手早く包帯を巻いてくれる。
「別に……無茶はしていないですけど、ちょっと演習を……」
「演習? この……馬鹿者が! それを無茶と言わずになにを無茶と言うか! 当分のあいだは大人しくさせておけ! いいな、修治! 高田にもよく言っておくんだぞ!」
爺ちゃん先生は、衝立の向こうで待っている修治に向かって大声で怒鳴った。
「おまえのおかげで、俺まで怒られた」
帰り道、車の中で修治がぼやく。
「あたしなんか、消毒液で傷口を洗われたよ。涙がでそうだったよ」
「そりゃあおまえ、自分のせいだろうが。なんだって時間半分であがってきた? 四時間ももらったんだろ? 時間いっぱい、のんびりやってりゃあ、傷が開くこともなかっただろうよ」
「だってさ、あの子たちってば気配丸だしなんだもん。そこそこ腕はいいし気迫もあっていいんだけど、過信してるからさ、つい……ね」
「おまえ、相当舐められていたらしいな」
「オバサンなんて言われた。あたしまだ二十四なのに」
修治がにやりと笑ったのを見て、窓の外に視線を移し、憮然として答えた。
「それじゃあ俺はオジサンってところか。まあ、子どもたちにしてみれば、そんなもんなのかもしれないな」
言いながら大声で笑っている。
「笑いごとじゃないよ。あ、ねぇ、あたしの家に寄っても平気かな?」
麻乃の服はすっかり血まみれになってしまったので、今は修治のシャツを借りて着ている。
修治は身長が二メートル以上あるから、百五十五センチしかない麻乃には、シャツは大きすぎた。
「着替えか? 荷物はいったん、全部自宅に届いているから、これから寄っておまえの荷物を全部、車に積んじまおう。そうすれば明日、先生のところから直接送って行けるしな」
「うん、そうだね、そうしてもらえると助かるよ」
ハンドルを切って修治は自宅に向かった。
自宅には修治の母親だけが残っていた。
父親と弟たちは、畑仕事に出ているそうだ。
預かってもらっていた荷物を仕分けして、三人で車に積んだ。
「あんたたち、夕飯はどうするんだい?」
「あぁ、俺たち今夜は、道場で世話になる」
「麻乃もかい? だけど怪我をしてるじゃないの」
母親は心配そうな視線を麻乃に向けてきた。いつも優しく気づかってくれるし、悪いことをすれば叱ってくれる。修治や弟たちとなんら変わりない態度で、本当に自分の子どものように接してくれるのを、ずっと嬉しく思っていた。
「うん、でも大した怪我じゃないし大丈夫。それより明日の夕飯は魚が食べたいな」
「そう? それじゃあ今日のうちに仕度をしておくよ。それにしても……あんたもいい加減落ち着いたらいいのに……」
母親の落ち着く、というのが結婚にかかっていると、うすうす気づいているけれど、バツが悪くて素知らぬ顔で流した。
麻乃には向かないと思うし、なにより相手がいない。
そもそも修治がいつもそばにいては、誰も近寄ってきやしないだろう。
後部座席のドアを閉め、早く来いと急かしてくる修治を見ながら、人の気も知らず……と思うと、麻乃はほんの少し腹が立った。




