第16話 挑戦者
振り返って離れた茂みの奥を麻乃はじっと見つめた。
森の奥から気配に加えて殺気があふれてくる。
(馬鹿な子たちだ。気配どころか殺気が丸出しじゃないか)
大きく息をつき、脇差を鞘に納めると、呼吸を整え直して意識を集中した。
六人全員で来る――二人ずつ、三手に分かれている。
前に二組、少しだけ離れて一組。少しずつ間合いが詰められていく。
麻乃の胸に、懐かしさに似た感情がふつふつと湧いてきた。
「もういいよ。まどろっこしいのは嫌いだ。手前の二組とも出てきなよ。その後ろの木陰にいる二人もね」
大きな声で呼びかけると、前方の茂みから先の二組が姿を見せた。
四人とも、もう刀を抜いている。
「後ろの二人も早く出ておいで」
四人から目を逸らさず、さらに声をかけると、奥の木の陰から残りの二人が姿を見せた。
「あんたたちねぇ……やる気なのはいいんだけど、気配が強すぎるんだよ。相手に姿を見せる前に殺気を放つなんて、もってのほかだ。ご丁寧に自分の居場所を相手に教えて、倒しにきてくれって言ってるようなもんじゃないか」
教えている自分に気づいて、麻乃は内心苦笑した。この子たちの未熟さを見ていると、放っておけない気持ちになる。
「オバサンの癖に、まるでもう私たちを倒したような口ぶりじゃん」
女の子の言葉に麻乃はカチンときた。どうやら目の前の子どもたちは、たいそう腕前に自信を持っているらしい。麻乃の立場を知ってのこの口調。ほんの少しだけ、意地悪な気持ちがむくむくとわいてくる。
(またオバサンって言った……まだそんな歳じゃない!)
麻乃は脇差を抜きもせず、挑発的に素手のまま手招きをした。
「それから、ついでに言うと、目上に対する態度も悪い。もうね、面倒だから。全員でまとめてかかっておいで」
「あんまり俺たちを舐めないほうがいいぜ、オバサン!」
先の四人が一斉に斬りかかってきた。
サッと横に走り出し、四人が追いかけてきたのを確認してから間合いを開けて振り返る。先頭の男の子が振りかぶった懐に入り込むと、手首と襟首をつかみ、背負い投げた。
「ほら~。隙を見せない相手に大きく振りかぶるから。懐ががら空きになると、こうやって投げられるんだよ」
すばやく抜いた脇差で、仰向けに倒れた子の組み紐を斬った。三人の足が一瞬だけ止まったけれど、一人目のすぐ後ろにいた女の子が怯むこともなく横なぎに斬りつけてきた。
わざと木を背後にして屈んでかわす。
思ったとおり、刃が背後の木に当たり幹に食い込んだ。
「くそっ!」
「自分の間合いをしっかり把握していないから、そういうことになる」
幹から刀を抜こうと焦る女の子の左腕に、切っ先を当てて組み紐を斬り弾く。残りの二人は目配せをしてうなずき合い、左右から麻乃に斬りかかってきた。左半身を退いて斜めに構え、一歩下がった瞬間、一番奥にいた二人が後ろから回り込んできて、その片方が左腕を絡み取ってきた。
「腕を取った! 洸! 今だ! 組み紐を斬れ!」
「……甘いよ」
冷静につぶやき、腕を曲げて重心をかけ、みぞおちに肘を打ち込んだ。
麻乃は戦いながらも、この子たちの連携を観察していた。決して下手ではない。ただ、実戦を知らないのだ。
洸と呼ばれた子が麻乃の動きを見て躊躇して踏みとどまった隙に、絡み取られた腕を振り払い、肩を突いて距離を取った。
右手で左右の子どもたちの刀をさばきながら、左手で修治の脇差を抜いた瞬間、ずきん、と左肩の傷が痛んだ。長引くと傷が開いてしまうかもしれない。
(そうなると……ちょっと面倒かも……)
痛みと共に、一抹の不安がよぎった。もし本当に傷が開いて動きが鈍ったら? 相手は子どもとはいえ、油断は禁物だ。
目の前の二人に、今度は麻乃のほうから打ち込んでいく。
左右からわざと大きく刀身を打つと、完全に受け切れないのか、二人の力が徐々に弱まっていくのがわかった。子どもたちが焦って受け流そうとしている姿に向かって言い放つ。
「ほらほら、腰がすわってないよ。そんなんじゃ、受け切れなくなって刀を弾かれる」
――ガキン!
音を立てて二人の刀が、ついにその手を離れた。
「こんなふうにね。脇差一本で刀を弾かれるなんて、恥ずかしいことじゃないか」
二人をひと睨みすると、そのあいだを駆け抜け、まずは右側の子の組み紐を斬り落とし、振り返って左側の子の背後から組み紐を斬った。
ハタリ、と紐が落ち、二人は呆然と立ち尽くしている。
「速い……なんだ今の?」
顔を上げた視線の先で、残りの二人も唖然として麻乃を見ている。昔の自分も、師範に打ち負かされた時、きっと同じような顔をしていたのだろう。
右に握った脇差で残りの二人を指し、その目を見据えた。
「さて……あんたたち、大した自信があるようだけど……舐めているのはあたしか? あんたたちか?」
残った二人は背筋を正して刀を構え直すと、麻乃の左腕を目がけて踏み込んできた。脇差を十字に構えて受け、力のこもったところで弾き返す。一瞬、ふらつきながらも、二人ともすぐにまた構え直して打ち込んできた。
「振りが大きい。手首でさばこうとするから簡単に弾かれるんだよ」
さっき腕を取った子どもの鍔近くに打ち込み、そのまま切っ先に向けて刀身を右にすり流した。
鋼のすり合う音が響き、勢いで万歳をするような格好になったところを、左に握った脇差で、組み紐を斬った。
(あと一人――)
洸と呼ばれていた子だ。刀を下段に構え、麻乃を睨みつけている。
その立ち居振る舞いを見て、麻乃はデジャヴュを感じた。どこかで同じ視線を受けた気がする。
くっ、と洸の手首が動き、驚くほどの速さで一気に間合いを詰めながら、下から掬い上げてきた。抑えようと出した左が、肩の痛みでぶれる。
(しまった!)
洸はそれを見逃さず、刃を返して組み紐を狙い、突きかかってきた。
それを右の脇差で下からすくい上げて刃を反らす。
くるりと体を回して向きを変え、背後に回ると、左で洸の組み紐を斬り落とした。
(――ちょっとだけ、危なかったかな?)
二刀でなければ、ひょっとすると紐の先を斬られていたかもしれない。
麻乃は洸の最後の一撃に、確かな手応えを感じていた。技術はまだ未熟だが、判断力と反射神経は侮れない。
洸が悔しさを隠せない様子で、刀を鞘に納めながら聞いてきた。
「あんた、二刀流だったのかよ」
「違うよ。でも、二刀も使える。それからあたしは、あんたじゃなくて藤川麻乃だ」
下を向いて唇を噛み締めているその姿を、横目で確認すると、すぐに目を逸らす。悔しそうな洸の表情に、思わず笑いそうになるのを麻乃は必死にこらえた。洸の真っ直ぐな性格と、負けず嫌いな気質に、麻乃はかつて見た強い眼差しを思い出していた。
「二刀使えるようにしておいたほうがいい。攻撃にも防御にも幅が出る。演習や実戦では特にね」
確か、前にも同じことを言った気がする。あれは……いつのことだっただろう?
黙り込んだままの子どもたちを無視して、落ちた組み紐を拾い集め、ベルトにまとめてくくりつけると、ふっとため息を漏らした。
これで五十二本すべてだ。
勝ったということよりも、夕飯抜きを免れたことに麻乃は心底ホッとした。
「次は絶対負けない! 俺は絶対に負けないからな!」
背中に投げかけられた洸のその言葉を聞いて、ハッとした。
(――そうか。そうだよ、昔、似たようなことがあったじゃないか)
ふふっ、と小さく笑うと、麻乃は振り返って洸に向かって言った。
「無理だよ。だって、格が違うからね」
森の中を歩きながら昔のことをいろいろと思い出していた。最後に洸に向かって投げかけたのと、まったく同じことを麻乃は確かに言った。
まだ十六歳のころ、最後の地区別演習で、今の洸たちと同じように麻乃を舐めてかかってきた連中とやり合った。次々に思い出がよみがえってくる。
あの時の相手は、悔しさと、それでも諦めきれない意地が入り混じった、複雑な感情を瞳に宿していた。そして、いつかは絶対に勝ってやる、という燃えるような闘志を見せた。
懐かしさと、わくわくするような気持ちがあふれ、左肩の傷が多少痛むのも、全然気にならなかった。
今は、相手の成長を願い、教えたいという気持ちが強い。年を重ねるということは、こういうことなのかもしれない。
森を出るところで時計を見た。
二時間十分。
まあまあの時間だろうか。
今夜の献立はなんだろう?
道場の前まで戻ってくると、屋根の上に修治の姿が見えた。
(そういえば修繕がどうとか先生が言っていたっけ)
修治は麻乃に気づくと驚いた顔をして屋根から飛び降りてきた。
その勢いに麻乃まで驚く。
「なに? どうしたのさ?」
「馬鹿っ! どうしたはこっちのセリフだ! なんだその血は!」
「えっ?」
慌てて自分の姿を見回すと、左肩の傷が開いたのか、包帯を通して上着の肩から胸、肘あたりまでじっとりと血が染みている。
「うわっ! いつの間にこんなに……」
麻乃は戦いの興奮で痛みを忘れていた自分に驚いた。洸たちとの戦いは予想以上に自分を夢中にさせていたのだ。
「気づいてなかったのか? ったく、なにをやっているんだおまえは。先生に断ってくる。すぐ医療所に行くから車で待っていろ!」
「修治、高田先生には俺から言っておくから、このまま行け」
塚本は駆け寄ってくると、麻乃の姿を見て、こりゃあひどいな、と苦笑いをした。
「すみません、じゃあ、お願いします。ホラ、行くぞ」
「あっ、塚本先生、これ」
急いで腕から組み紐を外し、それと一緒に奪った紐の束をベルトごと渡した。
「あたしの勝ちですよ。ちゃんと高田先生に言っておいてくださいね、夕飯のこと!」
修治に首根っこをつかまれる形で、車に乗せられる姿を、子どもたちが遠巻きに見ていた。
その中に、洸たち六人の姿も見える。
「居残りだ。ざまあみろ」
窓越しに洸を睨むと、麻乃は小さく呟いて、舌を出してみせた。




