第99話 凶兆
高田は車の中で、イナミにいくつかの質問を投げかけてみた。
ところが相当動揺しているのか、言っていることが要領を得ない。
仕方なく着くまでのあいだ、黙っていた。握り締めた膝の上の手を、高田は意識して開いた。
(カサネさまが出航を止めさせようとするくらいだ、なにかあるのは確かだろうが……シタラさまが亡くなられたことと、なんの関わりがあるというのか……)
運転を任されている神官は、一度もスピードを落とすことなく中央まで走り続けた。
軍部の前に着き、車をおりると、すぐに入り口へ向かうよう促される。
ここへ来るのもずいぶんと久しぶりだ。
階段の途中で、背後から鳴り響いたクラクションに振り返ると、たった今着いたばかりの車からサツキとともに大柄の男が二人、おりてきた。
「尾形さん、加賀野」
「高田、おまえも見送りに出ていて、そのまま来たのか?」
「ああ」
尾形は高田が蓮華になったばかりのころ、一番の年上で良く世話になった。
加賀野のほうは二つ年上で、当時から一番親しくしていた間柄だ。
二人とも南区の出身で、怪我を負って引退したあと、尾形は南区で道場を、加賀野は家業を継いでいる。
「私も、今日はうちの門弟が出るので見送りに出てな。帰りしなサツキさまの車と行き会って、事情を聞いてそのままここへ来た」
「そうですか。では、詳しい話はもう?」
「簡単には、な」
サツキとイナミに急かされながら、大会議室へ入った。
中では軍の上層部を始め、カサネと数人の巫女が並んでいる。
元蓮華で今も体の利くものと言えば、自分たち以外には南区と西区に二人ずつ、北区と東区に一人ずつだったはずだ。
病床で臥している老齢の者は、今回は省かれているようだ。
長机の端に三人で腰をかけ、召集されたものたちが着くのを待った。
「ところで高田、おまえのところのあれは、ずいぶんと念入りに鍛えたようだな?」
「いえ、あれは私の手をとうに離れています。尾形さんの門弟と一緒だとは知りませんでしたが、よい腕前だと聞いていますよ」
「おまえのところはもう一人、例の娘が出ているんだったな」
「そっちはいまだ、なんの兆しもないのか?」
古傷が痛むのか、加賀野が膝をさすりながら問いかけてきた。
「どうも本人にその意志がないようで、あのころと変わらぬままだ」
「そうか」
高田は当時、麻乃のことではひどく悩んだ。
自分の手に負えるうちになんとか覚醒させたくて、あの手この手を使い、なだめすかしてみたが、なにが引っかかっているのか、麻乃はいつも頑なに拒絶した。
八年のあいだに修治同様、すっかり高田の手を離れてしまったようだ。
太刀合わせならまだ敵う。
けれど実戦となったら、万が一にも過った覚醒をしてしまったら、高田にはもう止めることは不可能だろう。
尾形と加賀野は、昔から同じことを心配し、気にかけてくれる。
ざわざわと声が近づいてきて、呼ばれた元蓮華たちが全員集まった。
全員が席に着くと、会議室の中はその威圧感で空気が固まったように感じる。
カサネは立ち上がると、目を閉じたまま静かに語り始めた。
「この数カ月ほどシタラさまは具合が悪く臥せっていらっしゃることが多かったのですが……今朝、自室にて、お亡くなりになられておりました」
呼ばれた者たちは、それを最初に聞かされていたからか、誰一人、驚くこともなく、口を開かない。
「次の洗礼のときより、不肖ながら私が一番巫女を務めさせていただきます」
カサネがゆっくりと頭をさげ、そうあいさつをした。
元蓮華のあいだでざわめきが起こった。
そんなことを告げられるために呼び出されたのだろうかと、疑問に思っているのだろう。
現に高田自身がそうだ。
これまでだと、一番巫女が亡くなったときには、その葬儀の場において、次の一番巫女就任と挨拶が行われる。
今度もそれで十分じゃないかと、誰もが思っているに違いない。
サツキとシズナが立ちあがり、カサネのあとを継いで話を始めた。
「皆さまをお呼び立てしましたのには、そのこと以外にお聞きいただきたい事情があってのことなのですが……」
「シタラさまのお体がよくなかったことも含め、その様子や行動において神殿内でいくつかの疑念があがり、豊穣の儀における占筮を、あらためてカサネさまにお願いいたしました」
「そうしましたところ、今度の組み合わせ、それぞれの行き先について、すべてに凶兆がみられました」
「なんですって?」
尾形が勢い良く立ちあがった。
「確かにうちの長谷川が、このところの組み合わせや今度の豊穣についても、なにかいつもと違うと申しておりましたが、凶兆とは一体どういうことですか!」
詰め寄る勢いに、巫女たちは飲まれて黙ってしまい、上層部が尾形をたしなめた。
「うちでも二人……安倍と藤川が出ていますが、先だってシタラさまより、全員が黒玉の守をいただいたと申しておりました。凶兆に組み合わせたにもかかわらず、守を持たせた意味は一体、どういうことでしょう?」
「……黒玉? 全員がですか?」
「そう聞いております」
イナミは問いかけに首をかしげて考え込み、自分の袂から小さな袋を取り出すと、その中を確認している。
「今、神殿に保管されている黒玉は、すべて私が管理しています。鍵はずっとここへ。黒玉を使ったという話はまったく聞いておりませんし、なにより保管されている数は八つもありません」
「ない……?」
「ええ、皆さまもご存じのとおり、黒玉は本当に稀にしか見つかりません。それを、保管しているものも含めずに、八つも用意するのは難しいことかと思います」
「それじゃあ、やつらが持っていったのは、一体なんだったというんですか!」
一度はおさまりかけた尾形がまた憤りを見せたのを、高田は片手で制す。
ほかの元蓮華たちと違って、自分たちが大切に育てた弟子の話しだ。
不穏な状況の大陸へ渡るだけでも不安だというのに、組み合わせも行き先も、よくない兆しが出たなどと言われれば黙ってはいられない。
とはいえ、まずは呼ばれた理由を聞かなければ、先へ続く考えも浮かばないというものだ。
「黒玉については、私たちにはなんとも……ですが、今日の出航は止めたいと、できるかぎり急がせたのですが……」
カサネもやり切れない表情でうつむき、唇を噛み締めている。
「黒玉のことにしろ、この数カ月のシタラさまの行動には、巫女たちもわずかながら疑念を抱いていたようだ。それについて話し合われようとしたその矢先に、今日のことが起こった」
「今日のこととは、その占筮ですか?」
「確かに、凶兆とは穏やかではないが、我々が呼び出されるほどのこととも思えませんが」
上層の言葉に、数人の元蓮華が問いかける。
上層部も巫女たちも、なにかをためらうようにひそひそと言葉をかわしてから、カサネが顔をあげて震える声でつぶやいた。
「シタラさまの亡骸は、どういうわけか白骨でした」
「白骨……?」
「私たちが最後にシタラさまのお姿を見たのは、昨夜のことでした。出発に不備などはないか? と、しきりに今日の豊穣の儀を気にかけていらっしゃいました」
「それが今朝、自室からなかなか出ていらっしゃらないので、またお体が良くないのかと、中へ入ったところ、寝所に横たわっていたのは……」
シズナとイナミは今にも泣きそうなのをこらえながら、やっとそれだけを告げた。
昨夜の今朝で白骨にはなりようがないのは明白だ。亡くなったのがそれ以前だとしたら、一体いつだったのか。そしてこれまで誰もが見ていたシタラは、なんだったのか。
「麻乃が……」
カサネの呟きに、はっと顔をあげた。
会議室の空気が、音もなく変わった気がした。気がつけば、この場にいる全員が高田を見つめている。
「ここしばらく、麻乃の様子がおかしかったようですが、それはいつごろからなのか、わかりますか?」
「……それはどういう意味でしょうか? まさか、麻乃がシタラさまに仇をなしたとでも仰るのですか?」
「以前、神殿に立ち寄った麻乃を見たときに、なにかに干渉されている印象を受けました。敵兵に触れることの多い戦士の身です、なにか術を施されているようなことは――」
「――馬鹿なことを! あれは術に対して耐性があります。それは西区の術師や、あれに術を施そうとした者に問えばわかることでしょう! それが戦いの最中に、あっさり嵌るとは思えません!」
高田はカサネの言葉をさえぎって立ちあがった。
まるで麻乃がシタラを手にかけたかのような物言いに、抑えようとしても憤りが収まらずに、声を張りあげて否定した。
「西浜でのロマジェリカ戦以来、麻乃は少々、過敏になり、不安定な状態が続いていました。ただ、それはあれのもともとの気質です! しかもあのときは多くの隊員を亡くしている……少しばかり気落ちしても当然でしょう!」
「高田のいうことにも一理ある。藤川は確かに術が効きにくい。嵌めようと思ったら、相応の準備を要するでしょう」
「第一、蓮華と言えど一介の戦士に、一晩で遺体を白骨にできるとも思えませんね」
「むしろ様子や行動のおかしかったシタラさまのほうが、なにか術に嵌まっていた可能性が高いのではありませんか?」
直接関わったことはなくても同じ立場を経験したものとして、その辛さも重圧も、隊員たちを失う哀しみも共有している。
元蓮華のほとんどがカサネの言葉に理不尽さを覚えたようで、高田に賛同してくれた。
上層部へ上がった者たちは、今はまた違った立場があるからか、高田たちとは考えかたも変わってしまったようだ。
「そんな……シタラさまは中央から出ることなどほとんどありません、それなのにいつ術にかけられるなどと……」
「でしたら藤川とて同じこと。あれもこの国から出ることはありません。それに先ほど高田の言ったとおり術には嵌まり難い。戦闘中であればなおさらでしょう」
「だが、藤川は特別だ」
サツキと加賀野のやり取りに上層部の一人が割って入った。
その言葉に場の空気が固まる。
今、ここにいるすべての者が、麻乃が鬼神の血筋であることを知っている。
その力をうちに秘めていることも。
握り締めた手が震えた。
「それがなんだというのですか。これまでも麻乃は十分過ぎるほどに、蓮華としての責任をまっとうしているはずです。あれの血筋がなんの問題を成すと……」
「漏れたそうじゃないか。大陸に」
「この状況で大陸に渡り、あの力を利用されるようなことになったら? 大陸の中でのみことが済めば問題はない。もしもそれをこの国に持ち込まれたら、泉翔は終わりだ」
ここでそれを持ち出されるとは思いもしなかった。
すっと背筋が寒くなり、高田は言葉に詰まる。
大陸の中でことが済めば問題ないだなどと、それは麻乃に万が一のことがあって大陸で利用されたとしても、この国に干渉されなければいいというのか。
麻乃が命を落とすような事態になっても構わないというのか。
どうにもならない怒りを、深く呼吸して辛うじてこらえた。
「そのときは……そのときには、私を含め、関わりのあるもので責任を持って対処します。昔から、常々そうお話ししてあるはずです」
尾形と加賀野の心配そうな眼差しに、小さくうなずいて答えた。
カサネは黙ったまま、じっと高田を見つめている。
やがてその目がゆっくりと会議室をぐるりと巡った。
「わかりました。麻乃については、高田さまにお任せすることにいたしましょう」
まだ言い足りなさそうな上層部に、カサネがそう言うと、シズナとイナミが続けた。
「シタラさまのお亡くなりになられた原因などは、医療所の先生がたにより、手を尽くして可能なかぎりをお調べしていただくことになっております。葬儀についてはそのあととなるでしょう」
「皆さまにお願いしたいのは、五日後に行われる洗礼においてのことです。新たに戦士となる印を受けたものの中に、蓮華の印を持つものが、何名いるかを確認していただきたいのです」
元蓮華の全員が愕然とし、そのうちの尾形を含めた数人が立ちあがった。
「確認とは……今度の洗礼で、蓮華の印を持つものが現れると……まさか、やつらが戻らないとでも思われているのですか!」
「ないこととは言いきれないと思っています」
きっぱりと言いきったカサネの言葉に、なにも返すことができないでいるのは、誰もが心のどこかでそれを認めているからだろうか。
「洗礼までのあいだに、先のロマジェリカ戦に出ていたもの、シタラさまと接触のあったものを集め、事細かな状況など、話をうかがいたいと思います」
「それと同時に、ありえないこととは思いますが、何者かが入り込んだ形跡がないかも調査をお願いしました。情報が入り次第、皆さまにもお知らせをいたしますが、皆さまのほうでも、なにかをつかんだ際には、速やかにお知らせいただきたいと思います」
結局のところ、麻乃に関わった辺りがさらわれるわけか。
この数カ月のあいだ、おかしかったのは事実で、説明のできないことがあったのも確かだ。
それについて大陸からの干渉を、修治が危惧していた。
市原が異様にシタラを遠ざけていたことも……。
なぜそれらすべてを、もっと手を尽くして調べてみなかったのか。
今となっては、もうなにもできやしない。
ただ、無事に戻ってきてくれることを祈るだけしか……。
深く息を吸い、それをゆっくりと吐いた。
見られている気配を感じて振り返ると、尾形と加賀野の視線とぶつかった。
(この二人には、なにもかもを話して知っておいてもらうべきだ……)




