立っている場所
目を細めて笑う老人。その目に宿る薄暗い光は、いったい何に向けたものなのか。
何、と問いかけようとして俺は言葉を詰まらせた。
部屋の外が騒がしい。俺が廊下の方を見ると神官長は笑みを含ませた口調で語った。
「スレイア様の御子が部屋から逃げ出したようですじゃ。ほほほほ。やはりまだまだ子供でしたなあ。分かりやすくてかわいらしい。」
やはり、神官はスレイアだけではなくレヴィアのことも監視できるのか。
「何をした」
剣に手をかけ老人を見据える。
「おお、恐ろしや。わしは何もしとりませんよ。
逃げた、というのは語弊を生みましたかな? 御子はただ、親の気配を追っただけでしょうよ。彼奴らはただそれをできるようにしただけ。
ルヴェイト殿、少々気付くのが遅かったようですなあ」
おどけて怖がるそぶりをする男の言葉に、顔をしかめる。
奴の言葉の通りだ。この国にかかる結界を意識すれば、それが限り薄くなっていることが容易にわかった。
結界はスレイアの気配を阻む効果もあったらしい。だからレヴィアはこの神殿に来ても親の気配に気付けなかった。しかし何故血を継ぐ神官にその気配を感じないのかは分からない。血の濃さが気配の大小に関係しているのだろうか。
それにしても、俺はこの目の前の男の考えがわからない。
御子の血を疎ましく思っているわけでも、ましてや尊く思っているわけでもない。どうなってもよい、そんな感情が見える。
俺は剣から手を外した。老人はそれを見て意外そうな顔をする。
「成長なされましたなあ。てっきりわしを早々と動けなくしてしまうかと思いましたのに」
「まだ出来ない」
「おお、なんと恐ろしいお言葉。恐ろしい皇子様じゃ」
これが神官長でなければ、切るつもりはないが、捕まえて動けなくなくするくらいのことはした。
だがお互いそこらの人間ではない。負うものが大きすぎる。
動かずにひとつだけ訊いた。
「レヴィアを逃がしたのは、聖域に迷い込ませるためですか」
「ほほほ」
否定しない。彼女を本気で抹殺する気なのだ。この神殿の者は。
何故、この時なのか。
一瞬だけ考え、俺は再度剣に手をかけた。思慮深い男はまた少し眉をあげた。
「俺は彼女を助けます。」
「それは神官を切っても、ですかな?」
「勿論」
「ほうほうほう。皇子様は我が国の神官を、傷つけると。」
「いいえ」
「うん?」
この時初めて神官長は怪訝な表情を浮かべた。
「俺は今、一介の旅人です。」
少しの間、沈黙が落ちた。
俺の言葉の意味を、分からなかったわけではないだろう。予測をしていなかっただけだ。
「まさか、貴方は国宝を」
「ええ。置いていきました。今、俺を皇子と証明できる物は何もない」
「なんとまあ…。あの耳飾りの価値、分かっていないわけでもあるまいに」
直系の王族だけがつけることのできるあの耳飾り。希少な魔石を使って国で抱えている職人に作らせているので、金額的に価値が高い。だが勿論本来の価値はそれではない。
あれは、王族の権威をあらわす物であり、またその人物の身分を証明することができる。あれが消失すれば俺は地位さえを失うことになるのだ。
「どなたに預けたのかは知りませんが、豪胆な方ですなあ」
「心配には及ばない」
誰よりも信じられる人物に渡してきた。もっとも、あの状況下でなければ、そして本人から言いだされなければ渡すつもりはなかったのだが。
「ひどい詭弁ですが、それが国の法なら仕方ありませんな。それではルヴェイト殿。御子を追うのなら気をつけて」
砕けた口調で神官長は手を振った。俺をとどめる気はないのか。
「ああ、それともう一つ言っておきますかのう。」
独り言をつぶやくように、老人は表情を消した。
「私は、魔族を認める気はない。」
「…貴方は」
口を開き、やはり俺は頷くだけして、部屋を出た。
何が起ころうと俺はレヴィアを助けないわけにはいかなかった。彼女は俺の目的のために必要な人間でもあり、さらに言えば、彼女がここまで命の危機にさらされたのは俺のせいなのだから。
皇子である俺が、黙認されていたスレイアの御子と接触した。焦りもするだろう。実行する機会も手に入れた。
失態どころの騒ぎではない。今すぐ自分を殴りたい気分だが、まず己のやるべきことをしよう。




