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【完結】引き裂かれる絆~あなたの傍にいたかった~  作者: 紫乃月 聖巴


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06. 修行

 翌朝、イクシリネスから告げられた言葉は「まずは身体から鍛えます。走りなさい」だった。


「……あの、どこまでですか?」

「川の向こうの岩場まで行き、戻ってきなさい。それを繰り返すのです」


 ローナは走り始めた。

 最初の往復は問題なかった。

 だが、三十分も走らない内に膝をついた。

 息が上がって足が痛くて手が地面についた。

 薬師の仕事は体力仕事ではない。

 村の中を歩き回ることはあっても、こんな走り方をしたことはなかった。


「立ちなさい」


 とイクシリネスが言った。


「……す……少し待ってください」


 ローナは息を切らしていた。


「待ちません。立ちなさい」

「鬼だ」

「何かいいましたか。さぁ立ちなさい」


 ローナは立ち上がった。

 膝が笑っていたが、それでもまた走った。

 それは完全に動けなくなるまで走り続けた。

 ローナはとうとう倒れこんだ。


「一度ここまでにしましょう。この異空間は回復が早いです。回復するまでは休息とします」


 イクシリネスはそう言い、光の中へ消えていった。



 それから最初の内は身体作りに費やされた。


 走ること、飛ぶこと、転がること、重いものを持つこと。

 それに加えて、イクシリネスからの知識の転写が夜ごと行われた。

 眠るたびに膨大な情報がローナの中に流れ込んでくる。

 魔法の原理、術式の構造、魔力の操作方法、魔族の生態、歴史上の戦い、弱体化魔法の理論。


 朝目が覚めると前まで知らなかったことを、まるで最初から知っていたかのように理解している。

 その感覚は不思議で最初は戸惑った。


「これは私が覚えたわけじゃないですよね」

「覚えたのではなく、刻んだのです」とイクシリネスは言った。「しかし、刻まれた知識を使いこなすのはあなた自身の仕事です。地図を持っていても歩けなければ目的地には着きません」

「つまり知識はあっても実践できなければ意味がないということですね」

「そういうことです」


 知識は確かにある。

 魔法の発動方法も理屈では理解している。

 しかし、身体がついてこない。


 魔力を感じることは、少ししてからできた。

 身体の奥に常に満ちているものがある。

 今まで気づかなかったが、確かにそこにある。

 無限魔力とはこれかとローナは思った。

 枯れる気配がない、静かな湖のような感覚。

 しかし、それを動かすことが難しかった。


 それは存在するが、流し方が分からない。

 どこを押せば動くのか、どのくらいの力をかければいいのか、最初はまったく掴めなかった。


 イクシリネスが口を開いた。


「集めた魔力を指先の外に向かって溢れさせる感覚です。器に水が満ちて縁から溢れるように意識するのです」


 ローナは目を閉じ、指先に魔力を集めた。

 満ちて、溢れさせる。

 その瞬間、身体の奥で何かが動いた。

 小さな光がローナの手に灯った。


「出ました!」

「そうです、その調子です」



 修行が始まって体感的に数か月は経ったかという頃、ローナは異空間に自分以外の住人がいることに気づいた。

 川の流れに沿って散歩をしていた時に木の陰から人影を見た。

 ローナが近づくと人影は素早く木の後ろに隠れた。


「……いるのは分かってるよ」


 返事がない。


「ただ話したいだけだから怖くないよ」


 しばらく間があって木の後ろからそろりと顔が出た。


 顔を出したのは少女だった。

 銀色の短い髪に大きな青い瞳。

 身体は細く、全身を白い服で包んでいる。

 耳が少し尖っていて、人間ではないと分かる。


「……誰?」


 少女が言った。

 声は小さく、弱々しかった。


「私はローナ。あなたは?」


 少女はしばらくローナを観察してから警戒心を少し緩めた。


「……ミゼ」

「ミゼ?」


 ローナはしゃがんで、ミゼと目線を合わせた。


「ここにはいつからいるの?」

「少し前から」

「イクシリネス様が連れてきたの?」

「女神様が助けてくれたの」


 ローナは少し驚いた。

 ミゼは少しずつ話してくれた。


 彼女は精霊族で魔族に村を滅ぼされた村人の唯一生き残り、イクシリネスに保護されてここにいるという。

 精霊族特有の精霊魔法の素質を持っているが、恐怖のせいで発動できなくなっていた。


「ローナは修行してるの?」

「魔法を使えるようになるために修行をしてるのよ」

「……一緒にしてもいい?」


 ローナはミゼの青い瞳を見た。

 怖くて、でも孤独で誰かを必要としている目だった。


「ええ、もちろんよ」


 ローナは微笑んだ。



 翌朝、ローナはミゼをイクシリネスのところへ連れて行った。


 イクシリネスはミゼを見て少し間を置いた。


「ミゼ、あなたも修行に加わるのですか?」

「……ローナと一緒にしたい」

「いいでしょう。ただし、あなたへの指示はローナへの指示と異なる部分があります。精霊族の魔法は人間とは違います。それを踏まえて指導しましょう」

「はい」


 ミゼの魔力訓練は、ローナのものとは異なる方法で進められた。 


「ミゼ、人間は自分の内部の魔力を操作しますが、あなたは外部の精霊と対話して力を借りています。まず、精霊の気配を感じることから始めましょう」

「……精霊は、前は見えていた」

「今は見えないのですか」

「怖くなってから、見えなくなった……」


 ミゼは拳を握り締める 。


「見えなくなったのではありません。あなたが閉じてしまったのです。精霊はまだそこにいます。精霊族と精霊の絆は死なない限り消えません」

「どうすれば……」

「覚えていますか。初めて精霊を見た時、どんな気持ちだったか」


 ミゼは目を閉じた。


「友達ができたみたいな感じがして嬉しかった」

「その嬉しかった気持ちだけを前に出しなさい。扉を開けるのに全部の感情が必要なわけではありません」


 ミゼが再び目を閉じた。

 しばらくして、ミゼの周囲の空気がわずかに変わった。

 緑色の光がほんの少しだけミゼの周囲に灯った。


「……見えた」


 とミゼが言った。



 ローナの魔力操作が安定してきた頃、イクシリネスから新しい指示があった。


「これから実際に魔法を使う訓練を始めます」

「攻撃魔法ですか?」

「攻撃、防御、補助、順番に覚えてもらいます。まず攻撃魔法ですね。あなたに最初に覚えてもらうのは攻撃魔法の風です」

「風を出す方法は」

「まず、周囲の空気の流れを感じなさい。この空間にも微細な空気の動きがあります。それを感じ取ることです。あなたの魔力は無限に取り込む性質を持っているのですから、周囲の気流を読むのは他の人間より得意なはずですよ」


 ローナは目を閉じて周囲の空気を感じた。

 確かに動いている。

 どこかから来てどこかへ行く細かな流れが無数にある。


「感じます」

「それを意図した方向に押します。自分の魔力を使って気流の方向を変えるのです。難しいことではありません。川の流れに石を投げ入れて流れを曲げるようなものです」


 ローナは思考した。

 指先の前で空気が少し乱れたが、小さな風が生まれた。


「……出ました」

「まだ弱いですね。ですが形になっているので、それを目標に向かって出します。あの木の葉を動かしして下さい」


 数メートル先の木を見た。

 葉に向かって風を押し、何本かの葉が揺れた。


「当たりました」

「ただ当てるのではなく、狙った場所に当てて下さい。それが訓練です」



 攻撃魔法の次は、防御魔法だった。


「結界術を覚えてもらいます。これは、あなたにとって弱体化魔法の次に重要です」

「それはなぜですか?」

「弱体化魔法を使う時、あなたは必ず相手に近づかなければなりません。その間、あなたは無防備になります。結界がなければ、弱体化を施す前にあなたが倒されてしまいます」

「なるほど……結界は、どうやって出すんですか?」

「魔力を薄く、広く展開することで作ります。攻撃魔法は魔力を一点に集中させますが結界はその逆で、できるだけ広い面積に薄く均一に広げます。これは最初は難しいでしょう」

「なぜ難しいんですか?」

「魔力は本来、集中しようとする性質があります。広げようとすると、すぐに収束しようとし、それに逆らって均一に保ち続けなければなりません」

「具体的にはどうすればいいのでしょうか……」

「魔力を出す時に一方向に向かって出すのではなく、全方位に向かって同時に出して下さい。ただし、速度を均一にします。どこか一方向が速ければ、そこに魔力が集中して他が薄くなります」


 ローナは思考した。

 指先から魔力を出す感覚はあった。

 しかし全方位に均一にというのが難しかった。

 右側が厚くなったり、下側が薄くなったりした。


「ばらつきます」


 とローナが言った。


「ばらつきが生じた側の逆方向から少し多く出して下さい。均衡を取り戻しましょう。常に全体を見ながら、ばらつきを修正し続けることです。結界術は動的なバランスです。一度出したら維持するのではなく、常に調整し続けている状態を保ちます」

「動的なバランス……」


 ローナは考え込んだ。


「動かないバランスは、少し崩れただけで崩壊してしまう。動きながら保つバランスは、崩れても修正できます」


 その例えがローナには腑に落ちた。



 攻撃魔法と防御魔法の基礎が整った頃、イクシリネスが言った。


「今度は、弱体化魔法の理論についてです」

「はい、お願いします」

「弱体化魔法とは、対象の持つ力を削るだけの魔法だと思いがちです。しかし今から教える弱体化魔法は、力を削るだけでなく、力の循環を乱すこともできます。魔力が正常に循環しているから力を発揮できますが、その循環を乱すことができるのが弱体化魔法でもあるのです」

「攻撃魔法で直接ダメージを与えるより、循環を乱す方が効果的なんですか?」

「場合にもよりますが、魔王の強化を受けた存在に対しては、直接攻撃が通りにくい者がいます。外側から壊そうとしても壁が厚すぎます。しかし内側の循環を乱せば、どんな壁も内側から崩れるのものです」

「内側から崩すですか……」


 ローナは考えた。


「ええ、ですから弱体化魔法は対象の内部に触れる必要があります。表面をなでるだけでは意味がありません。対象の魔力の流れの中に術式を差し込む必要があるのです」

「差し込むというのは具体的にはどうすれば……」

「対象の魔力の流れを読んで少しでも乱れているところ、あるいは薄いところを見つけます。そこに術式を入れるのです」

「……なるほど」

「それでは、始めましょう」



 イクシリネスが異空間の一角に何かを召喚した。

 それは人の形をした半透明の存在だった。


「これは練習体です。本物ではありませんが、魔族に似た魔力の流れを持つように作ってあります。これを相手に弱体化魔法の実践訓練をしましょう」

「どうやって練習するんですか?」

「まず、この練習体の魔力の流れを読みます。ただし触れずに遠くから観察します」


 ローナは練習体を見た。

 魔力の流れというものを見るためには、自分の感知を外に向ける必要がある。

 自分の魔力を触れないように周囲に薄く広げて対象の魔力の流れをなぞる感覚だ。


「……何かが流れているのは分かります。ただ、どこが薄いのか乱れているのかがまだ分かりません」

「それが見えるようになるまでは観察を続けて下さい」


 ローナは観察を続けた。

 ここは時間が存在しないからだろうか、どのくらい経ったか分からない。

 やがて見えてきた。

 練習体の魔力の流れに、わずかに淀みのような場所があった。

 流れが他の部分より少し遅く少し薄い。


「……右肩の下あたりが薄い気がします」

「正解です。そこに流れに乗りながら術式を差し込みなさい」


 ローナは練習体に近づいた。

 右肩の下に手をかざし術式を形成しようとした。

 だが弾かれた。


「っ! 弾かれました。イクシリネス様、これは一体……」

「流れに逆らって無理に差し込んだからです。流れと同じ方向に同じ速度で入れば、自然に中に入れます。さぁ、もう一度して下さい」


 ローナは再度試した。

 今度は練習体の魔力の流れの方向を感じてから、その方向に合わせて術式を動かした。

 するとすっと入っていくのが分かった。


「イクシリネス様、入りました!」

「その調子です。ではそのまま術式を維持して下さい。流れを乱し始めていますか」

「はい、練習体の動きが乱れています」

「それが弱体化です」

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