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引き裂かれる絆~あなたの傍にいたかった~  作者: 紫乃月 聖巴


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03. 別れ

 夜中、眠れないローナは一人で外に出た。


 星空の下、冷たい空気の中に立ってローナは自分の手の平を見た。何も変わってる風には見えない普通の手だ。でも、この中にあるものが……魔王を強くしている。魔王の禁術によって、自分は魔王の力の源になってしまっている。それはつまり自分がいる限り、魔王は完全には倒せないということなのかもしれない。


 ローナは空を仰いだ。星が、じっとこちらを見ていた。足音がした。


「眠れないのか」


 ユウルだった。


「うん」

「俺もだよ」


 ユウルが隣に立った。しばらく二人で星を見ていた。


「知っているんだね……」

「ああ……」

「どう思う?」


 ユウルはすぐに答えなかった。それから、静かに言った。


「お前は何も悪くないだろ」

「そういう話じゃなくて……」


 ローナはユウルの横顔を見た。柔らかくて、真剣で揺るがない顔だった。


「ローナ、お前は何があっても俺が守る。それだけは変わらない」


 ローナは唇を結んだ。胸が痛かった。ユウルがそう言ってくれることが嬉しいのと同時に、そのせいでユウルが危険にさらされるかもしれないことが怖かった。


「……うん、ありがとう」今はそれだけしか言えなかった。


 ユウルがローナの肩を引き寄せた。ローナはその胸に頭を預けた。星が瞬いていた。二人の間に言葉はなかった。お互いの体の温もりだけが、その夜のローナを支えていた。



 そしてローナ救出から数日が経っていた。


 勇者一行はニルハ村へは戻らず、森の中の廃屋を仮の拠点にしていた。魔王の残党がまだ周辺をうろついている可能性があること、そしてローナを村に連れ帰ることで村人を危険にさらすかもしれないこと。それが表向きの理由だった。


 だがローナには分かっていた。本当の理由は仲間達がまだ、あの話の答えを出せていないからだ。


 廃屋には三部屋あり、ローナとユウルが一方にセクト・カルナ・マルセルが他方に分かれた。壁一枚を隔てて、夜ごと小声の話し合いが行われているのをローナは知っていた。聞こうとしたわけではなかった。だが静かな夜の廃屋では筒抜けだった。


 「このままにしておくのは危険だろ」 「でも、ローナさんは何も悪くない……」 「分かっています。ですが――」


 ローナは目を開けたまま天井を見た。隣ではユウルが眠っている。ローナは自分の手の平をそっと胸の上に置いた。身体の芯の奥に魔王と繋がれたような感覚は今も続いている。ずっとそこにあり消えない。触れるものでも切り離せるものでもなく、ただそこにある。これが自分の中にあり続ける限り魔王は倒せない。


 ユウル達が、あれから解決策を探すために手分けして調べているのは分かっていた。皆必死に何とかしようとしていた。それでもその暗い顔を見ると進展はないのだと自責の念に駆られた。


 ローナはゆっくりと目を閉じた。ローナの中ではもう答えが出始めていた。



 更に数日過ぎた朝、セクトが口を開いた。


 全員が食卓に着いた朝食の場だった。カルナが用意した粥が湯気を立てている。


「話をしたい」セクトの声は静かで、いつもの大声ではなかった。それがかえって、場の空気を緊張させた。

 ユウルが杯を置いた。「なんだ?」

「ローナのことだ」


 ローナは粥を見つめたまま、スプーンを握る手に力を込めた。


「ザッハネルが言ったことを俺達なりに調べてたんだ。その中で、マルセルが古い文献を当たってくれた」


 マルセルが眼鏡を押し上げた。その顔には、いつもの飄々とした雰囲気がなかった。


「無限魔力の保有者に対して、魔王が施したと思われる禁術がありました。術式の名称は『蝕鎖』。施術された対象者は術者との間に魔力の流路が形成され、対象者が環境から取り込む魔力が自動的に術者へと供給されるようになります。そして……更に問題があります」とマルセルは続けた。


「術式の文献によれば、この蝕鎖は術者つまり魔王側から解除することはできますが対象者側から解除する方法は存在しません。また、対象者が生きて魔力を保持し続ける限り、魔王への供給は増加し続けます。現時点でも魔王はすでに通常の数倍の魔力を保有していると推定されます」


 マルセルは一度言葉を切った。


「供給は、対象者が生きている限り続きます。その対処法としては術者または対象者の死によって、流路が止まることです」


 辺りには重苦しい空気が流れた。


 セクトが続けた。「つまりだ、ローナが生きている限り魔王はどんどん強くなる。いくら魔族を倒しても魔王の力は増え続ける。俺達は魔王を倒す前に、この問題をどうにかしなければならないんだ」

「どうにかするというのは……」カルナは困惑しながら言った。

「ローナには……生きていてもらっては困るんだ」セクトが言い終えた。


 その瞬間、テーブルの上の粥がこぼれた。ユウルが立ち上がり椅子が後ろに引かれる音が廃屋に響いた。


「ふざけるなっ!!」ユウルの怒声が響き渡った。

「ふざけているわけじゃないんだ!」とセクトが言った。「俺だって、こんなこと言いたくなかったんだ!だけど魔王を倒さなければ、どれだけの人が死ぬと思ってるんだ!魔王を倒すことが俺たちの使命だろっ!!」

「だからといって、ローナを犠牲にしていいわけがない!」ユウルの怒りが収まらない。

「俺だってローナのことは、大切な仲間だと思っているんだ!だけど、一人を守るために世界を捨てられない!」セクトが立ち上がった。いつもの勢いとは違う追い詰められたような叫びだった。

「黙れっ!!」

「ユウル――」

「黙れと言った!!」ユウルの声が一段と高くなった。そこには、激しい怒りが宿っていた。

「はっ、ローナを犠牲にして世界を救う?そんな正義なんて俺は認めない!望んでいる平和とはローナのいない平和じゃない。俺が守りたいのはローナがいる世界だ。それ以外の世界を守るために戦う気はない!!」

「それは……わがままだろ」

「ああ、わがままだ!だけど俺はわがままで構わない!」

 カルナが震える声で言った。「ユウルさん、お気持ちは分かります。でも……でも方法が他にないなら――」

「他に方法を探す。どこかに必ずあるはずだ」

「探せなかったら?」セクトが小さい声で言った。


 誰もが黙った。


 ユウルは答えなかった。答えられなかった。


 ローナは、その間ずっと黙っていた。粥を見つめたまま、スプーンを握ったまま誰の顔も見なかった。自分のことが話し合われているのに、自分が透明になったような感覚があった。セクトくんの言っていることは正しい。頭で分かってても一人の命と大勢の命を天秤にかければ、答えは明白だ。


 だけど――。ローナはスプーンを置いた。


「……ちょっと、外の空気を吸ってくるね」


 立ち上がった時、全員がローナを見た。ユウルが「ローナ……」と呼んだがローナは振り返らなかった。


 扉を開けて外に出た。



 廃屋の外は厚い雲が空を覆い光が弱く、風が冷たくてローナの髪を乱した。少し歩いたところに石の腰掛けのような岩があった。ローナはそこに腰を下ろして空を見上げた。


 泣きたくても泣くのを我慢した。胸の中には掻きむしられるような思いがあって、必死で感情を押し込めていた。自分が死ねば魔王への魔力供給が止まる、自分は死ぬべきなのか。ユウルのことを思った。ローナがいなくなることで悲しむ人はいる。それでもローナがいることで苦しむ人はもっと多い。


 答えは頭の中ではもう出ていた。ただ、それを認めるのが怖かった。怖くて怖くて、それでも目を逸らしてはいけないと思った。


「……ごめんね」


 誰に言うともなく呟いた。



 廃屋の中では話し合いが続いていた。


 正確には、話し合いというより対立だった。セクトとユウルが向かい合って、お互いに一歩も引かない。カルナが間に入ろうとするが、どちらにも有効な言葉を見つけられない。マルセルは顎に手を当てて考えごとをしていた。


「……マルセルさん」困った顔をしカルナが声をかけた。「本当に他の方法はないんですか?」

「ええ……」マルセルが口を開いた。「そういえば……ローナさんが、さっきから外に出たまま戻ってこないですね」


 その瞬間、全員の動きが止まった。ユウルが最初に動いた。



 外に出ると岩の腰掛けにローナの姿はなかった。


 足跡が草の上に残っていた。北の方角に向かっている。北というのは、この廃屋から少し歩いた先に断崖絶壁がある方向だった。


 ユウルが走った。名前を呼びながら走った。草が足に絡まり枝が顔に当たる。それでも走った。


「ローナ!」


 声が森に吸い込まれた。返事がない。木々が途切れた。


 その先には数百メートル以上はある断崖で、眼下には暗い森林と岩や川が見える。風が強く、崖の縁で草が激しく揺れている。


 その崖の端に、ローナが立っていた。



「ローナ……」ユウルの声は震えていた。


 ローナは振り返り、ユウルの顔を見た。その後ろから、セクト達が追いついてくるのが見えた。ローナは崖の縁から一歩だけ離れて全員の顔を見た。


「……逃げたわけじゃないよ」


 声は穏やかだった。怒りも絶望も表面には出ていなかった。ただ、どこか遠くを見るような目をしていた。


「分かってる」とユウルが言った。「ローナ、そこから離れてくれ。話し合おう、まだ方法が――」

「ユウル」ローナが静かに呼んだ。


 ユウルが止まった。その声の静けさに、何かを感じ取ったのかもしれない。


「今までずっと考えていたの」

 セクトが「ローナ」と呼んだ。その声が、震えていた。

「セクトくんの言ってたことは正しいよ。私もそう思う。頭では、ずっと分かってた」

「……ごめん、俺は……ローナに……」


 ローナはゆっくりと全員を見た。セクトの顔を。カルナの顔を。マルセルの顔を。そして、ユウルの顔を。


「みんな、今までありがとう」

「ローナ!やめろ、まだ諦めるな!」ユウルが一歩踏み出した。

 ローナは小さく首を振った。「諦めてるわけじゃないよ」

「じゃあ、なんでそこに立ってる!」

「……選んでいるんだよ」


 その言葉が空気を変えた。ユウルの足が止まった。風が吹いた。ローナの金色の髪が崖の方へと流れた。


 ユウルがゆっくりと近づこうとした。ローナは小さく首を振った。


「ずっと考えてたんだ。自分はどうすべきか。ユウルのために、皆のために、世界のために、何が正しいのかって……」

「ローナ……そんなこと考えなくていい」

「考えなきゃいけないよ」

「私は弱い。魔法も使えないし剣も使えない。でもね……今の私には一つだけ、できることがあるわ」

「やめろ……」

「ユウル」

「やめてくれ……ローナ……」


 普段の穏やかさが崩れて、その下にある素の部分が見えた。大人びた勇者の顔ではなく、ただ恐怖している青年の顔だった。


「お前のいない世界に俺は意味を見出せない。分かるか?お前がいないなら、俺が守りたいものは何もない」

「……ユウル」

「頼む、ローナ。そこから離れてくれ。必ず別の方法を探す。時間をくれ、一緒に考える、だから――」

「時間をかければかけるほど、魔王は強くなる。魔王の脅威は広がり各地の人々が苦しむ。私が生きている一日が誰かの命を削っていることになるわ。私が原因で大勢の犠牲を出したくはないよ」

「それはお前のせいじゃない!」

「私のせいじゃなくても、私がいなければ魔王の強化は止まるわ」


 ユウルは何も言えなかった。反論できなかった。


 ローナは目を閉じた。


「私がいなくなればユウル達は魔王討伐に集中できるし、世界のために戦えるわ」

「俺はそんなのは望んでいない。お前は俺の傍にずっといてほしい」

「……馬鹿だよ、ユウルは」ローナは小さく笑った。涙が零れ落ちた。

「ローナ」

「ユウルに出会えてよかった。一緒にいられてよかった。恋人になれて幸せだった」

「やめろ……やめてくれ、ローナ」ユウルの声が泣きそうだった。


 ローナはユウルの顔を見た。ローナは胸が痛かった。こんな顔をさせたくなかった。


「……ごめんね、ユウル」ローナの目から涙が溢れ出た。

「ユウルのことが、大好きだよ。ずっと、ずっと、大好きだよ。どうか魔王を倒してこの世界に平和を」

「ローナ!」ユウルが走った。


 ローナはユウルを見た。


 走ってくるユウルの顔を最後に目に焼きつけた。


 穏やかな緑の瞳。柔らかい黒髪。自分に向かって伸ばされた手。


 その前にローナは踏み出した。


 ユウルの手が空を掴んだ。


「ローナァァァァァァァーーーーーーーー!!!」


 絶叫が崖に響いた。


 薄暗い霧の中に小さな影が吸い込まれていくのが見えた。


 金色の髪が、霧の中で一瞬輝いて消えた。ユウルは崖の縁で止まった。眼下を見ると霧が全てを飲み込んでいた。


 風の音だけが冷たく耳をかすめた。


 セクトが崖の岩に背をつき顔を伏せた。


 カルナが口を覆って声を殺した。その肩が震えていた。


 マルセルが眼鏡を外して目を覆った。


 ユウルは崖の縁に膝をつき動けなかった。


 ここから、どうすればいいのか。次の一歩をどこに踏み出せばいいのか。ローナが消えた霧の向こうをただ見つめ続けた。

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