18. 仮面の正体
白い破片が宙を舞った。
魔力の奔流が収まった。
玉座の間に静けさが戻った。
ローナの顔には仮面がない。
フードも衝撃で外れていた。
淡い金色の髪が床に広がった。
ローナは痛みの中で顔を上げた。
自分の顔を触ると仮面がないことに気がついた。
胸の中心から、何かが解ける感覚があった。
身体の奥深くにあった繋がれた感覚が、静かに消えていった。
それは蝕鎖が完全に切れたということだった。
全員が、こちらを見ていた。
セクトが固まっていた。
カルナが口を両手で覆っていた。
マルセルが眼鏡を上げたり下げたりして目を見開いていた。
ミゼが静かに苦笑いをしていた。
そして、ユウルは――。
ユウルはローナを見つめていた。
その緑の瞳が、懐かしい目をしていた。
穏やかで温かい、あの目。
あるはずのものが、今その目の中に戻っていた。
誰も、しばらく声を出せずにいた。
玉座の間にバルドリッセの魔力が静かに霧散していく音だけが響いていた。
バルドリッセの姿は跡形もなく消え去っていた。
最初に動いたのはセクトだった。
ゆっくりと、ローナに近づいた。
一歩、二歩、三歩。
ローナの前に立って、しゃがんで顔を見た。
「……ローナだよな?」
声が震えていた。
「……ふふっ、そうだね」
微笑みながらローナは答えた。
セクトの目から、涙が落ちた。
あの勢いのいい青年の目から、大粒の涙が音もなく落ちた。
「生きてた……生きてた、生きてたんだな!!」
セクトが叫んだ。
カルナが崩れ落ちるように膝をついて泣き声を上げた。
「よかった……よかった、よかった! ローナさんっ!」
マルセルが眼鏡を外し目を手で覆って、肩を震わせた。
声は出さなかったが、その肩の震えが全てを語っていた。
ミゼが静かにローナの隣に立って、その手を握った。
ローナは全員の顔を見た。
泣くつもりはなかったのに、もう無理だった。
ずっと押し込めていたものが一気に溢れてきた。
ユウルが動いた。
ゆっくりと、しかし確実にローナに向かって歩いてきた。
セクトが道を空けた。
ユウルはローナの前に立った。
しゃがんで目線を合わせた。
ローナの顔を自分の手で包み、その緑の瞳が至近距離でローナを見ていた。
ローナもユウルを見た。
「……ローナ」
その緑の瞳が震えていた。
長い間、その名前をこんなに近くで呼ばれることがなかった。
「ユウル」
ローナが答えた。
ユウルの手がローナの頬にやさしく触れた。
確認するように。
壊れないかを確かめるように。
「生きているのか」
「生きてるわ」
「本物か」
「本物よ」
「……幻じゃないよな?」
ローナはユウルの手に自分の手を重ねた。
「幻じゃないよ。ユウルの目の前にちゃんといるよ」
ユウルの目から涙が落ちた。
それは大粒の涙だった。
ずっと泣かなかった男の涙だった。
「……なんでっ」
声が震えていた。
「なんで、言ってくれなかったんだ!」
「言えない事情があったのよ。全部話すわ。でも今は――」
ローナはユウルの胸に額を当てた。
「もう少し、このままでいたいな」
ユウルはしばらく動かなかった。
それから、両腕でローナを包んだ。
強く。
まるで二度と離さないように。
「よかった。本当に、よかった、ローナ……」
魔王の魔力は霧散し消えていた。
これで全てが終わった。
しばらく経ってから、セクトが咳払いをした。
「えっと……俺達、どうしたらいいの?」
カルナが涙を拭きながら、セクトを睨みつけた。
「空気読みなさいよ、馬鹿っ!」
「でもさ……」
「しっ! しっ!」
「えー……」
マルセルが静かに「外で待ちましょう」と言って、セクトを引き摺って玉座の間の扉の方へ歩いていった。カルナとミゼはその後を追った。
玉座の間に、二人だけになった。
ローナはユウルを見た。
ユウルはローナから目を離さなかった。
「全部、話してくれるんだろう?」
「話すわ。でもその前に、これだけは言わせてちょうだい」
「何だ?」
ローナは深呼吸した。
「正体を隠していたことは、ごめんね。ユウルの傍にいながら何も言えなかったこともごめんなさい。でも、ユウルのためだったことだけは信じてほしいの」
「……信じるよ」
ユウルの手がローナの頬に触れる。
ローナが目を閉じると額に温かいものが触れた。
ユウルの額だった。
懐かしい温もりを感じローナの目から、涙が落ちた。
「……ただいま、ユウル」
「ああ、おかえりローナ……」
玉座の間の扉の外で、セクトが壁にもたれていた。
目が赤かった。
カルナがその隣に立って、静かに涙を拭いていた。
マルセルは天井を見上げていた。
「……よかった。本当に、よかった」
マルセルが静かに言った。
四人がそれぞれ頷いた。
扉の向こうから、かすかに声が聞こえた。
ローナの声とユウルの声が重なって聞こえた。
セクトがまた泣いていた。
しばらく経って、二人が扉を開けて出てきた。
ローナの目とユウルの目は赤かった。
セクトがローナを見て一歩前に出た。
「ローナ……」
「セクトくん」
「俺は……あの時、ローナを追い詰めた。ローナを危険だと言った。それが間違いだったとは、今も正直に言えない。あの時は、世界を守ることが正しいと思っていた。でも……」
セクトが頭を下げた。
「ローナを追い詰めたことは、ずっと後悔していた。本当に申し訳なかった……」
「……セクトくんは間違っていなかったと思うよ」
「え」
「あの時のセクトくんの判断は、状況から見れば仕方なかったと思う。一人より多くの命を守ることにそれは正しい選択のようにも見えるわ。私もそれが分かっていたから、自分で選んだ訳だしね」
「でもさ……」
「でも、謝ってくれてありがとう。謝罪は受け取るよ」
セクトが顔を上げてまた泣いた。
カルナが「私も謝らせて下さい」と頭を下げた。
「あの時、もっと早く止められたはずなのに、出来ませんでした。回復士として、あなたを助けられなかったです」
「カルナさん」
「はい」
「あなたは十分に貢献しているわ。いつも、仲間の傷を治してくれていたことを知っていたし、あなたがいてくれたから、ユウル達は生きていられた。ありがとう」
カルナが両手で目を覆った。
マルセルが前に出た。
「僕は……あの時、間接的にもローナさんを追い詰めるきっかけになった。もっと違う言い方があったかもしれないと思っています」
「マルセルさん」
「はい」
「あの時は、あの選択が一番だと思っていたわ。それにあなたの知識があったからこそ今の私は道を開いていけたわ。ありがとう」
マルセルが口を閉じた。
その肩の力が静かに抜けた。
ローナは全員を見た。
「みんな、ずっとユウルと一緒に戦ってくれてありがとう。私がいなかった間、ユウルの傍にいてくれて本当にありがとう」
誰も何も言えなかった。
ミゼが「みんな、いい人たちだね」と言った。
その言葉が緊張を解かした。
全員が笑いあった。
それは突然だった、城が揺れた。
バルドリッセの魔力が失われたことで、城を支えていた魔力構造が崩壊し始めていた。
「城が崩れます!」
マルセルは叫んだ。
「走れ!」
ユウルが先導した。
全員が走った。
廊下が崩れていく。
天井が落ちてくる。
壁が割れる。
ミゼが光精霊の加速を全員にかけた。
速度が上がる。
ローナはユウルの隣を走った。
城門を抜けた瞬間に城全体が轟音とともに崩れ落ちた。
土煙が上がった。
全員が地面に伏せた。
しばらくして、土煙が収まった。
城があった場所に瓦礫の山ができていた。
全員が顔を上げた。
怪我はなかった。
「全員無事ですね」
とマルセルが言った。
ミゼが「疲れた」と言ってその場に座り込んだ。
ローナは青空を見上げた。
城が崩れたことで上空の魔力が霧散したのか、雲が切れて青空が見えた。
「きれいだな」
ユウルがローナの隣で言った。
「……そうね、きれいだわ」
ローナは答えた。
マルセルが持っていた通信具で王宮に魔王を討伐に成功したことを報告した。
勇者一行は、瓦礫の前でしばらく休んでいた。
セクトが空を見上げながら言った。
「……やっと終わったな」
「そうね」
とカルナが言った。
「長かったですね」
とマルセルが言った。
ミゼが「お腹すいたよ」と言った。
全員が笑った。
「ミゼ、今一番それを言うか?」
とセクトが言った。
背伸びをしながらセクトが口を開く。
「あー、でも俺もお腹がすいたー」
「ローナの料理が食べたい」
ミゼがローナに顔を向けて言った。
「帰ったら、何でも作ってあげるわ」
「本当に?」
「もちろん」
ローナは笑いながら、ミゼの頭を撫でた。
ミゼが「じゃあシチューがいい」と言った。
セクトが「俺も! ローナさんの絶品シチュー、食べたいぞ!」と叫んだ。
「もちろんだよ、セクトくん」
「やった! 四杯でもいい?」
「一人で鍋を空にしなければね」
「努力します……」
その言葉で、また笑い声が上がった。
ユウルもその口元が、かすかに緩んでいた。
ローナはそれを見て胸の中で静かに息をついた。
戻ってきた。
あの穏やかな空気が、またそこにある。
瓦礫の上を風が通り過ぎた。
ローナは目を閉じた。
ニルハ村の朝を思い出した。
鶏が鳴いて、ハーブの匂いがして、セクトの大声が聞こえて、カルナがたしなめて、マルセルが苦笑いして、ユウルが穏やかに笑っている。
そんな朝に帰れる。
「ローナ」
ユウルが呼んだ。
「何?」
「帰ろうか」
ローナは目を開いた。
ユウルが手を差し伸べていた。
ローナはその手を取った。
温かい体温だった。
「そうね、みんなで帰りましょう!」
ローナは微笑んだ。
その日は空が、とても澄んでいた。




