15. 西の湖畔――ジェネルネ・ファセス戦
城門に入ると湿った石の匂いと花の香りが混じったような奇妙な匂いがした。
石造りの廊下が続いていた。
窓の外は湖のはずだったが見えるのは白い霧だった。
「静か過ぎないか」
セクトは首を傾げた。
「警戒しろ」
ユウルが周囲を確認した。
「すでに始まっているかもしれない」
「……魔族がいませんね」
マルセルも周囲を確認していた。
「本当にいないのか?」
「理由は分からないのですが城門に入った途端、感知していた魔力反応もなくなりました。ただ、最上部に一つあります。それがジェネルネと思われます」
「思いっきり、罠が気がするぞ」
「罠だとしても、このまま最上部を目指そう。だが何か感じがしたら、すぐに言え」
全員が頷き、廊下を進んだ。
階段を見つけて上り始めた。
四階に上がろうとした時、セクトが立ち止まった。
「セクト? どうしたの?」
とカルナが呼んだ。
セクトが振り返った。
その顔はこちらではなく、遠くを見る目をしていた。
「セクトってば!」
「……あ」
セクトの目が瞬き、カルナの方に顔を向けた。
「……何だ?」
「あなた、今変だったわよ? 幻覚じゃ……」
「いや……まさか……何かあったような気がしたけど……」
全員が顔を見合わせた。
「始まっているかもしれない」
ローナはジェネルネの術が発動しているのではないかと疑った。
全員が緊張状態となった。
「急ごう」
五階への階段を上ろうとした時、廊下の突き当たりに影が見えた。
「誰かいる」
ユウルは影を目で追った。
全員が立ち止まり確認をした。
廊下の先に影があった。
ユウルが剣を構えた。
しかし、その影は動かなかった。
「……」
ゆっくりと近づいたが影は消えた。
「……幻覚ですね」
とマルセルが言った。
「僕の感知には何も引っかかっていませんでした」
「ジェネルネは既にこちらを完全に感知していると思った方がいいでしょう」
「……進もう」
六階に上がった直後、今度はカルナが立ち止まった。
「…違う、私じゃない…そんなことしてない…どうして」
カルナは遠くを見ながら呟いた。
「カルナ!」
セクトが叫んだ。
カルナは動かない。
マルセルがカルナの肩を掴んだ。
「カルナさん! 聞こえますか!」
「……私じゃないのに……どうして信じてくれないの……」
カルナの目に涙が浮かんだ。
セクトは両手でカルナの頬を包み込み「カルナ!」とセクトが再び叫んだ。
カルナの瞳が動いた。
「……あ、セクト……私、何を……」
「何が見えた?」
ローナはカルナを見つめた。
「……思い出したくない記憶でした」
カルナの声は震えていた。
「行けるか」
カルナは涙を拭った。
「大丈夫です。行けます」
七階への階段を上っている途中で、マルセルが止まった。
「マルセル!」
とセクトが叫んだ。
マルセルの目が焦点を失っていた。
「マルセルさん!」
カルナも叫んだ。
ローナが前に出た。
「マルセル! 聞こえるか!」
「……」
「今いる場所を確認しろ! 足元に何がある!」
「……石の、階段……っく」
マルセルは額を抑えた。
マルセルが深く息をした。
「戻ってきたか」
「……はい。ありがとうございます」
八階の最上部に到達した。
そこにあった扉は、大きな両開きの扉で黒と紫の紋章が彫られていた。
ユウルが扉に手をかけた。
部屋はとても広かった。
黒い石が並んでいて、月の光が反射しているようだった。
その中心に女性が立っていた。
ジェネルネ・ファセス――。
長い紫の髪が床まで届き、黒い衣を纏っていた。
顔はとても整っていて、瞳は深い紫だった。
「ふふっ待っていたわぁ、勇者達」
紫の瞳がローナに向いた。
「あらまぁ、そちらの白い仮面の方は随分と面白い魔力をお持ちねぇ」
「そうだ! お前、なんで自分の配下にも術をかけたんだ?」
セクトは前に出た。
「ただのお遊びよぉ、彼らもわたくしのおもちゃに過ぎないもの~」
「うっわ……まじかよ、悪趣味すぎる……」
「わざわざここまで来て頂いたのだけれどもねぇ。幻惑の中に閉じ込めて、自滅させるのがわたくしの戦い方なのよぉ」
ジェネルネが指を動かした。
部屋全体が光に満ちた。
辺りは霧で覆われていた。
最初にかかったのは、セクトだった。
セクトの目が変わった。
周囲にはセクトとカルナ以外は見当たらない。
「セクト!」
カルナはセクトに近寄ろうとした。
セクトがカルナに向かって大剣を構えた。
「セクト! 私よ、カルナよ!」
「……お前は」
「お前は、誰だ!」
「カルナよ! 私はカルナよ!」
「嘘だ! お前は幻だ! 本物のは向こうにいる!」
セクトが別の方向を見た。
目線の先には何もなかった。
その時、ミゼが現れ精霊がセクトに触れた。
精霊の温かさがセクトに伝わり、現実に引き戻されるような感覚があった。
「……っ」
セクトが肘をついた。
カルナはセクトの手をとった。
「さっき見ていたものは偽物だよ」
セクトが深く息を吸った。
「カルナ、ごめん」
「……戻ってよかった」
カルナは安堵した。
その間に、ジェネルネがユウルに向けて干渉を強めていた。
辺りはユウルとローナだけだった。
ユウルが突如止まった。
「ユウル?」
ローナはユウルの様子を見た。
ユウルの目が遠くを見た。
ローナが前に出た。
「ユウル、聞こえるか!」
「……」
「ローナ……」
ユウルが何もないところを見つめていた。
ローナの胸が痛んだ。
ユウルが何を見ているか分かった。
「……ユウル! 今、見えているものは偽物だ!」
「……ローナ! 待ってくれ! 俺を置いていかないでくれ!!」
ユウルは見えない何かに手を伸ばした。
「ユウル! 目を覚ませ!!」
ローナはユウルを強く抱きしめた。
「っ……」
ユウルは懐かしい温かさを感じた。
目を向けると仮面の人物が映った。
「くそっ……すまない、シリ」
「……戻ってこれたか、よかった」
ユウルはローナを見た。
その目は何かを探しているようだった。
「行こう」
ローナはユウルの手を握った。
「……ああ」
ジェネルネはローナを見ていた。
「まさか、こんなにもわたくしの干渉が届きにくいなんてねぇ」
ジェネルネが指を動かした。
ローナに向けて干渉を集中させた。
ローナの視界が揺らいだ。
ローナは目を閉じ、深く息を吸った。
これは幻覚だ。
「あなた本当に何者なのかしらねぇ」
仲間達が各々を探している最中、突風が巻き上がった。
霧が晴れた。
ミゼが精霊の力を発動したのだ。
全員の姿が確認できた。
その奥にはジェネルネがいた。
「マルセル!」
ローナが叫んだ。
「今から私が攻めかかる。その間に術式の最大展開をしてくれ。時間を稼いでほしい!」
「まかせて下さい!」
「ユウルとセクトは私の横を守ってくれ。私がジェネルネに近づく間、幻覚で動きを止められないようにしてほしい」
二人は頷いた。
「ミゼ、精霊を保てる数だけ全員に付けてくれ」
「うん」
ミゼは頷いた。
「カルナは後方で維持を頼む」
「はい!」
ジェネルネに向かって正面からローナが走った。
ジェネルネが干渉を向けた。
ローナの視界に一瞬だけ幻覚が浮かんだが、直ぐに意思を取り戻した。
「なぜ抵抗できるのかしらぁ、忌まわしくなるわねぇ」
とジェネルネが言った。
ローナが踏み込んだ。
ジェネルネが次の干渉を展開した。
部屋の風景が変わった。
見慣れた別の場所が現れた。
全員が、それぞれ異なる場所を見ていた。
セクトは故郷の農村が見えていた。
カルナはかつての師の姿が見えていた。
マルセルは研究室が見えていた。
ユウルはローナがいた家の中だった。
「全員、目を覚ませ!!」
ローナは叫んだ。
ユウルの意識は直ぐに取り戻した。
「……くそっ、またか!」
ミゼが精霊を更に増やし、全員が幻覚から抜け出した。
ローナがジェネルネに向かって走った。
ジェネルネが干渉を集中させた。
ローナは止まらなかった。
ユウルとセクトがローナの両脇に並んだ。
ジェネルネがユウルに干渉した。
「ユウル!」
「大丈夫だ!」
ジェネルネが眉を寄せた。
ジェネルネが新しい干渉を展開した。
ローナに向けて――。
ユウルがこちらを見ていた。
「なぜ帰ってこなかった」
とても悲しそうな顔をしていた。
「待っていたのに」
ローナの胸が締め付けられた。
ローナは目を閉じ、また目を開いた。
「これは幻覚だ!」
(これはユウルじゃない!)
幻覚が揺らいだ。
「私が帰りたい場所は偽物のお前じゃない!!」
幻覚が砕けた。
ローナは立ち上り、ジェネルネの目の前まで踏み込んだ。
ローナはジェネルネの魔力の流れを読んだ。
胸の中心部に小さな核があった。
ジェネルネが最大の干渉を展開した。
ローナの視界が完全に塗り替えられた。
ローナがいる方向へユウルが手を伸ばしていた。
幻覚のユウルが泣きそうな顔をしていた。
ローナは息を呑んだ。
だが「本物はここにいる!」とローナは目を覚ました。
「なんですってぇ!!」
ジェネルネの胸の中心にローナが手を伸ばした。
知覚の核に術式を差し込んだ。
「うっ――!」
ジェネルネが声を上げた。
核が乱れ、精神干渉の根源が揺らいだ。
部屋の全員への干渉が弱まった。
「今だ!」
とローナが叫んだ。
セクトが動いた。
ジェネルネに向かって踏み込んで剣を向けた。
ユウルが並んだ。
「終わりだ、ジェネルネ!」
「……わ……たくしが負けるわけがああぁあぁ」
ユウルは迷いなく、その首を切り落とした。
全員がその場に立ち尽くしていた。
「出よう」
階段を下りながらセクトが疲れた顔をした。
「……あんなのは、こりごりだぜ」
「もう二度と経験したくありません」
カルナはしかめっ面だった。
城の外に出てから魔族と交戦になったが倒し、湖畔に野営地を作った。
水面が月を映していた。
焚き火を作り、全員がそれぞれ疲れた体を休めた。
ローナは野営地から離れ、湖を見ていた。
月が揺れていた。
「シリ」
ユウルが呼んだ。
「何だ」
「今日は助かったよ」
「幻から引き戻してくれたこと感謝する」
「気にするな」
ユウルはローナに顔を向けた。
「お前の声で戻れた。幻の中で声が聞こえた。お前の声が聞こえた瞬間にそれは偽物だと分かった。お前の声は本物だと分かった。なぜだろう」
「……さあ」
「お前のことを俺はまだ何も知らない」
ユウルは湖を見た。
「なのに、なぜか。安心する」
ローナは唇を結んだ。
胸の中で、何かが痛くて温かかった。
ユウルはしばらくローナを見ていた。
湖が月を揺らしていた。
二人の影が水面に映っていた。
仮面をつけた影と黒髪の影。
それが並んで静かに揺れていた。




