púca:報せをもたらす者
「登録情報の偽造による人身売買のスキームを確認しました。加えて、篠崎という女と弁護士の真船という男が関わっているという情報、先ほどやりあいましたが警備会社を隠れ蓑にした違法機体、そして複数の集積地の存在です。さらに言えば武装保管も示唆されています。いずれも口頭での自供であり裏付けはこれからです」
向こうが黙った。
「供述は末端のものですが、おそらく対尋問訓練など受けていないでしょうし。叩いただけしゃべりました」
数秒の沈黙。そのあと神山が深く息を吐く。
『……最初からそれを出してくれれば助かるんですがね』
「出せる段階まで持っていくのに手間取りました」
まだ怒ってはいる。だが、怒りの質は変わっていた。
『わかりました。聞き出した情報を共有してください。こちらでもあたってみます。保安調査室に投げます』
ナディアが目を上げる。
「保安調査室……」
『過激派、越境工作、非公然組織。そういう“厄介事”を掘るところです』
「助かります」
神山は一拍置いてから、少しだけ声を緩めた。
『苦情の件は消えませんが……まぁ苦情の件はこちらで対応しておきます』
アルテミシアが小さく笑う。
「それは何よりです」
『何よりじゃありません。次はもっと早く出してください』
「前向きに善処します」
『善処じゃなくてやるんです』
回線が切れた。
*
神山から次の共有が来たのは翌日の午後だった。保安調査室が拾ったのは、集積地候補のひとつ——表向きは老朽化した物流関連施設——に出入りする人物と車両の記録だった。
長距離からの望遠レンズによる映像、ドローンによる監視。顔は鮮明ではないが、歩き方と体格からの情報照合結果だ。
『現時点では継続調査中です。正直、何もつかめていません』
神山の説明は事務的だった。
『写っている複数名はいずれも身元不明。照会は走らせていますが、まだ拘束に足るだけの裏づけがない。SAGを動かすには情報が薄い。今は情報を集めるときです。』
壁面に並ぶ写真は、どれも決定打には見えない。私服警備らしい男。搬入口の陰に立つ女。買い出しに見える若者。帽子。逆光。半身。ナディアは無言で画像をスクロールしていく。そして十二枚目のところで、ふと指が止まる。
「……これ」
橘が横から覗き込む。
「どうした」
ナディアはすぐには答えなかった。彼女のアッシュブルーの瞳がその人物の写真をじっと見つめている。画面の中の男は、通用口の脇に立っているだけだった。顔の半分は影で切れている。詳細をつかめるほどの鮮明さはない。それなのに、ナディアには嫌な引っかかりがあった。
「見覚えがあります」
『身元がわかるのか!?』
神山の声が少し低くなる。ナディアは画像から目を離さない。
「いいえ。申し訳ありませんが正確には思い出せません。でも、この顔は前職の頃に見たような気がします」
会議室が静かになる。
「ヴェルフラード国家憲兵隊情報保全局にいた頃です。正式な手配書というより、もっと内輪のクリーニングリストでした」
橘が短く言う。
「クリーニングリスト?」
ナディアは一度だけうなずく。
「そう呼んでいました。国家に対して不利益となる人物で、見かけたら報告、可能なら殺害。つまり|クリーニング≪暗殺≫です。そういう対象を顔写真つきでまとめたものです」
『こちらの保安調査室でも割れないのに、嫌な話をしてくれる』
「思い出せそうですか」
アルテミシアの問いは静かだった。ナディアは少しだけ考え、首を振る。記憶の引き出しに何かありそうではあったが、その輪郭を掬おうとするたび溶けて消えていった。
「今はまだ曖昧です。旧ウルガンクスの関係だった気もしますが、確信がない」
神山が言う。
『何か思い出したらすぐ連絡をください。こちらでも引き続き調査を進めます。ヴェルフラード側にも、正規ルートで照会をかける』
「お願いします」
ナディアは短く答えた。通信が切れると、会議室にはしばらく沈黙が残った。壁面には、名前のない顔がまだ残っている。
何者かはまだわからない。だがナディアの記憶が引っかかった時点で、ただの見張りや雑用では済まない気配だけは濃くなった。
「ヴェルフラードへの照会は神山さんに任せましょう」
アルテミシアが言った。
「国家警察の正式照会なら筋が通ります。私たちが同じ線を触る必要はありません」
「では、労働局は別の線から見る」
橘が言った。ナディアはある人物を思い出し嫌そうに目を細める。
「正規記録に残りにくい人物。偽装身分、港湾、警備会社、清掃業、保守業、難民支援外郭団体。そういうろくでもない情報ソースなら心当たりがあります」
「あぁ……そうですね……いますね」
アルテミシアがつぶやく。ナディアは言いたくはなさそうに、ほんの少しだけ間を置いた。
「……プーカです」
橘が壁から背を離す。
「あいつか……」
「頼りたくはありませんが……警察が正規ルートを走らせるなら、こちらは非正規の流通名簿、偽装身分、企業側の委託線を見るべきです。あの情報屋は、そういう汚い水路に鼻が利く」
アルテミシアは少しだけ考え、端末へ手を伸ばした。
「では、依頼しましょう」
「総裁」
「好き嫌いで手札を捨てる余裕はありません。もちろん、使う範囲はこちらで決めます」
アルテミシアは、外部協力者用の使い捨て暗号化キーを発行した。期限は三時間。閲覧範囲は、身元不明者の画像と撮影時刻、撮影地点だけに絞られている。
「プーカさんへ、身元不明者の写真を送ります。旧ウルガンクス系の偽装身分、警備会社、清掃会社、保守会社、港湾下請け、その線で調査を依頼します」
*
通常なら、秘匿回線で済ませることが多い相手だった。だが今回は、プーカが「直接伺います」と返してきた。直接といっても、本局中枢へ入れるわけではない。
その夜、プーカのドールは外部協力者ゲートで止められた。機体認証、通信制限、持ち込み機材の走査。手順が終わると、アルテミシアの端末へ来庁報告が入る。通されたのは、来庁者用会議室の中でも、特にリスクのある人物向けの部屋だった。その扉の外で、軽いノックが三回鳴る。
「どうぞ」
アルテミシアが言うと、入ってきたのは細身の外套。芝居がかった笑み。場違いに優雅な一礼。
「やぁ、愛しの聖女アルテミシア様。このプーカ、御招聘により参上仕りました。ご機嫌麗しゅう」
プーカはいつも大仰である。そしてふざけている。ナディアのこめかみに目に見えて青筋が浮いた。このふざけた優秀な情報屋を彼女はひどく嫌っていた。
「あら、プーカさんが直接、いらっしゃるのは珍しいですね」
アルテミシアは穏やかに言った。その直接だけが、ごくわずかに強調されている。一見すれば本人そのものだったが、近くで見れば、目の焦点の合い方と歩幅の均一さが少しだけ生身と違う。作戦支援機の中でもドールと呼ばれる人に極力似せたモデル。その中でも高精度・特注パーツに換装されており人との見分けはつかない。それを遠隔操作しているのだろう。おそらく即座に見抜けるものは少ない。アルテミシアはそういった感は鋭い。初めてあった段階で見抜き、今にして思えば初見で見抜かれたことにプーカはひどく動揺していた。
「我が麗しの総裁閣下直々のご依頼ですからね。多少の手間は惜しみませんとも」
「普段は秘匿回線からの連絡でしょう」
ナディアが冷たく言う。
「ええ、でも今日は気分というものもありまして」




