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SWAMP:泥沼に住まう者

少しも堪えた様子はない。橘は壁にもたれたままそのやりとりを眺めていた。プーカがアルテミシアを見る目だけは、相変わらずそのふざけた態度とは違い、冷静に観察しているようでありこの人物の前では気が抜けなかった。


「それで、何か掴みました?」


アルテミシアが本題へ戻す。プーカが何かつかんでいることに対してはすでに疑いのない事実としているような言葉尻である。プーカは待っていましたとばかりに笑みを深くし、モニターに並ぶ身元不明者の写真へ目をやった。


「警察でもまだ継続調査中といったところですか?」


「そうです」


「なるほど。きっといかにもなルートをぐるぐるしているのでしょうね」


小馬鹿にしたような口ぶりを浮かべながら、彼は細い端末を投影機へ差し込んだ。認証を求める表示が一瞬浮かび、次の瞬間には横から強引に割り込まれたように消える。


「勝手に——」


ナディアが言いかけるのを無視して、プーカは指を滑らせた。身元不明の写真のうち、数枚へ赤枠が走る。その横に文字列が展開した。国籍、氏名、通称、所属、直近の鮮明な監視カメラ映像。どれも警察から提供されたものよりも鮮明であり詳細であった。


「……この短時間で」


情報部の若手が呟く。


プーカは、なんでもないことのように言った。


「旧ウルガンクス共和国の汚い仕事を請け負っていた連中ですよ。泥とかスワンプって呼ばれてましたけどね。ダーティワーク(非合法作戦)専門の実行群です」


橘の目が細くなる。


ウェットワーク(暗殺作戦)か」


「ええ。護衛、回収、誘拐、口封じ、事故処理、証拠隠滅。手を汚す仕事をやる連中です」


赤枠のついた写真を順に指で弾く。


「まあ、なかなかご大層な経歴の方々ですねぇ」


軽い言い方だった。軽いが、たしかに厄介そうな肩書であった。


「内務省保安局、海軍潜水工作隊、陸軍特殊戦部隊、長距離縦深偵察連隊。軒並みエリート崩れですよ。しかも一度、国家のやり方を覚えた連中だ。野良の傭兵よりよほど始末が悪い」


プーカは写真の一枚を軽く叩いた。


「たとえばこちら。国内ではハウスクリーニング業の篠崎京子さんという親切そうな顔で通っておいでですがね。本名、イルゼ・グラウ。ウルガンクス内務省保安局のご出身。後片付けの専門家ですよ。彼女が来たあとには、何も証拠は残りません。次のお客様に貸し出せる段階です」


指が隣の一枚へ移る。


「こちらは港湾で新華月警備株式会社の警備部主任を名乗るミッコ・サーリさん。当然偽名、本名はペトル・マクシミチ。海軍潜水工作隊の出身です。いろいろなものを沈めてきた御仁です」


また隣へ。


「新華月の要人警護の現場に普通に立っておられる、アンドレアス・ヴェーバーさん。真船さんの護衛です。本名ヤロスラフ・コヴァチ。陸軍特殊戦部隊。一番まとも(・・・)に見える顔で、相手の警戒を解きます。笑顔で握手してくれる相手を、夜には握手した手で引き金を引きます」


「あっ!!思い出しました……」


ナディアの声が、そこで落ちた。


プーカの指が止まる。橘も壁から背を離した。


「ヤロスラフ・コヴァチ。情報保全局にいた頃、同僚がこいつの調査を担当して、行方がわからなくなったことがあります」


会議室の空気が変わった。


「後日、ルリアール川に浮いていました」


ナディアは画面から目を離さない。唇だけが、わずかに歪んだ。


「なんで忘れていた。くそ。こいつは厄介な男です」


最後の一枚を、指先で軽く押さえる。


「残りのお一方、山岳ガイドのソフィア・ケラーさん。本名アリーナ・ドゥビンスカ。長距離縦深偵察連隊。長距離を独力で移動し敵地に侵出、武器調達、偵察、後方攪乱、ゲリラ戦なんかを得意とする連中です」


「つまり」


橘が低く言う。


「ただの人買いの番犬じゃない」


「そういうことです。オフ・ザ・ブックス(簿外戦力)のような操り人形とはわけが違いますよ」


プーカは他人事のように言い、笑みを崩さない。


「人身売買だけじゃなく、違法機体も、武器も、記録も、人も、まとめて扱う前進基地ですよ。そのハブに、スワンプが貼りついてる。だったら向こうも、単なる倉庫として置いてるんじゃない。事故・・が起きる前提で守ってる」


会議室の空気が沈む。


「どうします?」


プーカはわざとらしくアルテミシアへ向き直る。


「まともにやり合うには、なかなかに骨ですよ!我が愛しのアルテミシア様?」


アルテミシアはすぐには答えなかった。正面モニターに映し出された写真を見ている。ハブ施設。違法機体。武器。そして旧ウルガンクス共和国の汚れ仕事専門部隊。


「……国家警察にも情報提供をします」


やがて彼女は言った。


「この線は、知らずに触ると死人が出そうです」


「おや、よろしいのですか?おそらく主要な線からは外されますよ?」


プーカは薄く笑う。予想していた流れなのだろう。


「かまいません。その代わり、情報は共有してもらいましょう。警察は港湾施設とハブの調査、それと旧ウルガンクス崩れを。その線が警備会社経由で浮かべば拾いますが、基本は神山さんに任せましょう。必要であれば介入班に骨を折ってもらいますが、私たちは労働局です。重要施設警備監督法違反の線から警備会社と真船さんの線を追います」


ナディアが短くうなずく。


「企業群絡みの線を行政監督から追うなら、警察よりこちらの方が法的根拠を立てやすい。それに……言いたくはありませんが向こうは内部的な問題(腐敗・汚職)もある。企業群に触ると横やりが入る可能性は十分にある」


「ええ……残念ですがそうですね」


アルテミシアもそれを認めた。


「特定施設警備の不備から叩けば埃は立つでしょう。今のところ真船さんにつながる線は細い。直接施設を警備していたものをあたるほうがいいでしょう。形骸化していても死んではいない条文はあります。ハブが前進基地なら、なおさらです。そして……人身売買のネットワークを叩きます」


アルテミシアが決然と言い切る。橘が低く息を吐く。


「法で動きを止めて、必要なら最後に拳で殴る。いつも通りですね」


「はい」


アルテミシアは静かに答えた。


「それが労働局の仕事です」


プーカはその返答を聞いて、ほんの少しだけ笑みを深くした。プーカはいつも大仰である。ふざけている。だが、その目の奥だけはいつも冷たく、少しも笑っていなかった。ドール越しでも、その嫌な感じだけは少しも薄まらない。ナディアはその目が大嫌いだった。友好的である顔をし、何かを値踏みし、確かめるようなそんな目だった。

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