公益通報者の保護に関わる規定(労働局通達)
奥の部屋は妙に音を反響しない部屋で、沈黙にはそのまま沈黙を返すような空間だった。
「あぁ、気になりますか?外に音が漏れにくい構造なので、反響がしにくいのです」
そう案内してくれた職員はお茶を置くとそう言い残し退出していった。2分ほどしたのち、アルテミシアは一人の男を伴って現れた。
「お待たせいたしました。こちらは私の補佐官である橘です。同席させても?」
「ええ大丈夫です」
橘と紹介された男は、軽く頭を下げただけだった。無駄のない動きだった。遠藤は、その首筋に一瞬、肌とは質感の違う細い継ぎ目を見た。襟元の奥、頸椎に沿うように埋め込まれた義体化パーツ。事故などで失われた手足を人工的に補う技術だが、脳や頸椎のような重要な部位の義体化には、まだ課題が多いと聞いたことがある。それでも本人は、それを隠すでも見せるでもなく、ただそこにあるものとして扱っていた。
遠藤が顛末を話し終える頃には、喉は乾ききっていた。アルテミシアは途中で一度も遮らなかったが、必要な時だけ「時刻は」「車両番号は」「何人いましたか」と静かに聞き返す。橘と呼ばれた男も同様に大きな反応を示さない。話が終わると、彼女は少しだけ視線を落とし、指で頤に触れる。考えているのか、怒っているのか、表情だけではわからない。
「グロモワ上席技官を」
アルテミシアが言うと、数分もしないうちに、寒い国の薄曇りをそのまま人間にしたような女が来た。髪も服もきっちりしていて、表情の険しい女性だ。
「ナディア・グロモワです」
名乗りながら、すでに端末をのぞき込んでいる。アルテミシアから説明を受けるより早く、遠藤の持ち込んだログと映像断片を吸い上げ、目を走らせた。
「車のナンバーを照会したところ、バンに関しては福祉局の登録となっています」
最初の一言がそれだった。
「福祉局であれば、子供の移送に関わることも多い……勘違いでしょうか?」
遠藤は思わず訊いた。ナディアは彼を見ないまま答える。
「いいえ。すぐにでも動いたほうがいいかもしれません」
その言い方に、アルテミシアがほんの少しだけ口元を和らげる。たぶん、この人はこれで優しくしているつもりなのだ、と遠藤は思った。
「橘さんはどう思います?」
ナディアがそう問いかける。
「グロモワ上席技官の言う様に不自然だと思う。移送なら夜に行うこともないし、当たり前だが、子供をコンテナに押し込むことはない」
ナディアは短くうなずいた。
「港湾施設側の線と福祉局側の線がありますが、まずは発端となった港湾施設を先に洗います。とりあえず防犯カメラ、ログ、搬送記録。普通の搬送でないなら、たぶんどこかに歪みが出るでしょう」
アルテミシアがそれを受けて指示を出す。
「ナディアちゃん、リサーチを情報部でお願いできる?」
やわらかい声だった。けれどそこに躊躇はない。
「ナディアちゃんはやめてくださいと……もとよりそれが仕事ですので。公益通報として受理します。労働局設置法の複合調査権で港湾側の記録保全をかけます。港湾保安部経由なら照会は通せます。では急ぎますので私はこれで失礼します」
そういうとグロモワ上席技官と呼ばれた女性職員は足早に退席した。
「遠藤さん。情報提供に感謝します。以降はこちらのほうで調査を進めてまいりますので本日はおかえりいただいて構いません。ただ、危険ですのであまりこの件について調べたりすることはやめていただきたいと思います」
「このまま帰っても大丈夫でしょうか?」
「公益通報者の秘密は厳守します。もしご不安であれば、こちらにセーフハウスがありますし、しばらくは目立たないよう護衛をつけます」
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
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36時間後……
作戦室にアルテミシアが入った時、情報部からはナディア、監督部監査執行課長、監督部の実行部隊である介入班として橘、法務部長がすでに着席していた。アルテミシアとは言葉を交わさないが、どこまで聞いていいのか、どこで動くべきかを、もう共有しているように見えた。ナディアが壁面ディスプレイへデータを投げる。
「港湾施設の受け入れ予定、保守会社の巡回記録を調べたところ今夜再び動きがあるようです。今夜の搬送車の登録先と繋がってます。港に国外へ送り出すのか、単に受け渡しのポイントなの皮判明していません。ただ、国土運輸監督局の道路網監視システムからのリサーチ結果では毎回同じ施設に最終的に運び込まれていました。表向きは要保護未成年の一時保護施設。制度の認可上は問題なし。ただし、後見人変更の処理がされた子どものみが送り込まれていました。この後見人変更に伴う臨時承認件数が妙に多い」
「どの程度」
橘が訊く。
「通常の四倍。そのわりに書類自体はきれいに整えられています。」
「内部の犯行だな」
監督部監査執行課長が言う。
「施設側の警備状況は?」
「現在フォーアイズ1機はすでに近くに展開済みで情報収集中です」
作戦支援機は正式には多用途人型戦術支援ユニットであり、自律型の突入支援、電子戦、偵察などを行うことのできる兵器である。ベースとなる骨格を共通プラットフォームとし、用途に応じた拡張パーツへと換装することで、幅広い任務に対応させるものである。
今回は突入支援型のドアノッカー、電子戦型のグレムリン、偵察型のフォーアイズが用いられることとなる。監督部側の隊員が答える。部屋の空気がそこで一段変わった。実働の話になったのだ。
「総裁」
橘がアルテミシアを見る。
「緊急保護にともなう強制介入の理屈は立ちます。ただし、正面から押さえれば末端だけで終わる可能性が高い」
ナディアがすぐに続ける。
「でも、今夜動くことは間違いないと考えられますが、踏み込むと痕跡が消える可能性もあります」
「現場は出動待機態勢で、いつでも動かせる」
監督部監査執行課長が言う。
「ただし、連中のアジトへの強襲、港湾側への強制査察と周辺交通の整理までは、うちだけでやると目立ちすぎるし手が足りない。港湾保安部を噛ませるなら話を通す窓口が要る」
法務部長が、そこで初めて口を開いた。
「もう一点。緊急保護介入そのものはおそらく問題ないでしょう。ですが、押収物を後から刑事事件へ接続するなら、国家警察側の受け皿が必要です。労働局だけで完結させると、後で刑事事件としての立証ができません」
会議室の視線が、自然とアルテミシアへ集まった。アルテミシアは、それぞれの懸念を聞いていた。しばらく黙ってから、静かに言う。
「神山管理官へ連絡します」
室内の空気が、一瞬だけ止まった。神山純。国家警察、企業犯罪対策室の管理官。その名前が出た瞬間、何人かが心の中で同じことを思った。
――またあの人の胃がやられる。
監督部監査執行課長が、露骨に気の毒そうな顔をした。法務部長は視線を資料へ落とした。反対はしない、という意味だった。ナディアは短く息を吐く。
「神山管理官に投げるなら、情報は整理してあちらに渡せるようにしておきます」
「助かります、ナディアちゃん」
「グロモワ上席技官です」
「はい。グロモワ上席技官」
「港湾保安部への顔つなぎ、周辺封鎖の名目づくり。それから、保全後の証拠受け入れをお願いしましょう。広域犯罪対策室なら、施設認可と後見人変更の線も拾えます。それに……」
「証拠は保全後、国家警察へ正式に引き渡します。神山さんの手柄にもなりますし」
本人はたぶん、本気で気を利かせたつもりなのだろう。ある意味越権ギリギリの線で踊っておいて手柄などとどの口が言うのか。事情を知らぬ者が見れば、その得意げな顔はたしかに愛らしい。しかし、ここにいるメンバーは一様に頭を抱えた。
「総裁」
法務部長の声にはいくらかの疲労が混じっていた。
「国家警察への正式通知は、いつ出しますか」
「こちらの出発に合わせます」
「何分前ですか」
アルテミシアは、少し考えた。
「三十分前で足りますか」
室内の空気が、今度こそ止まった。
「行きましょう」
ナディアが顔を上げる。橘は動かない。アルテミシアの声は、やわらかいままだった。
「中に子どもがいるなら、夜を越させたくありません」
「了解」
橘が答える。その一言だけで、会議室の全員が自分の役割へ散っていった。




