第8話「駐車場の境界線」
コンビニの駐車場には、白い線が引いてある。
車一台分のスペース。みんな、その線の中に停める。
でも、たまに線を無視する車がある。
午前2時半。僕が外のゴミ回収をしていると、黒いセダンが入ってきた。
そして、二台分のスペースにまたがって停車した。
明らかに、わざと。
車から降りてきたのは、四十代くらいの男性。高そうなスーツ、ブランドもののバッグ。
「いらっしゃいませ」
男は無言で店内に入り、缶コーヒーを一本取った。
レジに来る。
「130円です」
男は千円札を投げるように置いた。
「おつり、870円です」
男はおつりを受け取り、缶コーヒーを持って出て行った。
僕は、窓から駐車場を見た。
黒いセダンは、相変わらず二台分のスペースを占領している。
なぜ、わざわざあんな停め方をするんだろう。
十分後。
軽自動車が入ってきた。駐車場を一周するが、空きがない。
黒いセダンが二台分を使っているせいだ。
軽自動車は、諦めて出て行った。
僕は、少しイライラした。
でも、何も言えない。客だから。
三十分後。
黒いセダンの男が戻ってきた。
今度は、弁当を買う。
「550円です」
また、千円札。
「450円のおつりです」
男は、おつりを受け取らなかった。
「いらない」
そして、店を出て行った。
僕は、450円をレジの横に置いた。いつもの、循環用のお金。
でも、何か釈然としない。
おつりを置いていく優しさと、駐車場を二台分使う傲慢さ。
矛盾している。
翌週。
また同じ男が来た。同じ時間、同じ駐車の仕方。
「いらっしゃいませ」
男は、缶コーヒーを買った。
レジを打ちながら、僕は思い切って聞いた。
「あの……」
「何?」
「駐車場なんですけど、一台分に停めていただけませんか?」
男は、僕を見た。
「なんで?」
「他の車が停められないので」
「空いてるじゃん、他にも」
「でも、二台分はちょっと……」
男は、舌打ちした。
「うるせえな。客だぞ、俺」
「はい、でも……」
「お前、バイトだろ? 俺に指図すんな」
男は、おつりを受け取らずに出て行った。
僕は、何も言えなかった。
その日は、450円じゃなく、870円がレジの横に残された。
でも、全然嬉しくなかった。
翌日の深夜。
店長に報告した。
「駐車場、二台分使う客がいるんです」
「ああ、いるよな、そういうの」店長は言った。「でも、注意すると揉めるから、放っておけ」
「でも……」
「田中、お前の仕事は客を迎えることであって、駐車の指導じゃない」
店長は、そう言って帰っていった。
僕は、納得できなかった。
でも、それから三日間、その男は来なかった。
そして、四日目の深夜1時。
黒いセダンが来た。
でも、今度は——一台分にきちんと停めていた。
男が、店に入ってくる。
「いらっしゃいませ」
男は、いつものように缶コーヒーを取った。
レジに来る。
「130円です」
男は、ぴったり130円を出した。
「ありがとうございます」
男は、缶コーヒーを持って出ようとして、立ち止まった。
「なあ」
「はい?」
「この間は、悪かった」
「え?」
「お前の言う通りだった。二台分は、ねえよな」
僕は、驚いた。
「あの……」
「娘に言われたんだ」男は少し笑った。「『パパ、マナー悪い』って」
男は、窓の外を見た。
「俺、仕事で偉そうにしてて。金もあって。だから、何してもいいと思ってた」
「……」
「でも、娘が恥ずかしがってんだよ。『パパと一緒にいたくない』って」
男の声が、少し震えた。
「駐車場の線くらい、守れよって。娘に言われて、気づいた」
男は、僕を見た。
「お前が注意してくれた時、ムカついたけど。でも、正しかった。ありがとな」
「いえ……」
「俺、変わるわ。線の中に停めるくらい、できる」
男は、店を出た。
僕は、窓から駐車場を見た。
黒いセダンは、白い線の中に、きちんと収まっていた。
そして、男は車に乗り込む前に、隣のスペースを見た。
そこには、まだ何もない。
でも、いつか誰かが停めるスペース。
男は、小さく頷いて、車に乗った。
エンジンがかかる。
車が出て行く。
僕は、レジに戻った。
そして、思った。
駐車場の白い線は、ただの線じゃない。
「ここまでは自分のもの、ここからは他人のもの」という、境界線だ。
その線を守れるかどうか。
それが、人としてのマナーなんだ。
仕事でも、お金でも、力でも。
どれだけ持っていても、線は線。
それを越えたら、誰かの場所を奪うことになる。
深夜3時。
駐車場には、三台の車が停まっていた。
全部、線の中。
きちんと、一台分ずつ。
僕は、なんだか嬉しくなった。
そして、レジの横を見た。
870円。
あの男が置いていった、おつり。
今度は、素直に受け取れる気がした。




