第7話「弁当の温度」
「温めますか?」
この質問を、僕は一日に何十回も口にする。
ほとんどの客は「お願いします」と答える。
でも、たまに「冷たいままで」という人がいる。
午前1時。スーツ姿の女性が弁当を持ってきた。ハンバーグ弁当、480円。
「温めますか?」
「いえ、冷たいままで」
僕は会計を済ませた。女性は、冷たい弁当を受け取って、イートインコーナーへ。
そして——蓋を開けて、そのまま食べ始めた。
冷えたハンバーグ。固まった油。冷たいご飯。
女性は、無表情でそれを口に運んでいる。
僕は、思わず声をかけた。
「あの……本当に、温めなくて良かったんですか?」
女性は顔を上げた。
「ええ」
「でも……」
「これでいいんです」女性は言った。「私、温かいものを食べる資格がないので」
「資格?」
女性は、箸を置いた。
「今日、部下を怒鳴ったんです。些細なミスで。でも、本当は私のミスだった」
「それは……」
「謝ればいいのに、できなかった。プライドが邪魔して」女性は冷たい弁当を見つめた。「だから、罰です」
「罰って……」
「温かい食事は、まともな人間が食べるものです。私みたいな、部下を傷つけて謝りもしない人間は、冷たいものを食べるべきなんです」
僕は、何も言えなかった。
女性は、また冷えたハンバーグを口に運んだ。
「不味いです」小さく笑った。「当たり前ですよね」
そして、半分ほど食べて、箸を置いた。
「ごちそうさま」
女性は立ち上がり、弁当を片付けた。
「ありがとうございました」
彼女は店を出て行った。
僕は、彼女が座っていた席を見た。
テーブルに、水滴がついている。
いや、違う。
涙だ。
翌週。
また同じ女性が来た。同じ時間、同じハンバーグ弁当。
「温めますか?」
僕が聞くと、女性は少し考えた。
「……お願いします」
僕は弁当を温めた。レンジが回る音。2分間。
「お待たせしました」
「ありがとうございます」
女性は、また同じ席に座った。
蓋を開ける。湯気が立ち上る。
一口食べて、彼女は泣いた。
「美味しい……」
僕は、レジから見ていた。
彼女は、ゆっくりと弁当を食べた。最後の一粒まで。
食べ終わって、彼女は僕のところに来た。
「あの」
「はい」
「先週、変なこと言って、すみませんでした」
「いえ……」
「部下に、謝れたんです。昨日」
「それは……良かったです」
「はい」女性は微笑んだ。「だから、今日は温かいものが食べられました」
彼女は、店を出て行った。
今度は、涙の跡はなかった。
それから、僕は「温めますか?」と聞くたびに、考えるようになった。
この質問は、ただ弁当を温めるかどうかだけじゃない。
その人が、今、温かいものを受け取れる状態かどうか。
そういうことなのかもしれない。
ある日の深夜2時。
高校生の男の子が、カップラーメンを持ってきた。
「温めますか?」
「え、カップラーメンって温めるんですか?」
「いえ、お湯のことです」
「あ、お願いします」
お湯を注ぎながら、僕は聞いた。
「何かあったんですか?」
「え?」
「この時間に、一人でカップラーメン」
男の子は、少し笑った。
「家出中です。親と喧嘩して」
「そうですか」
「でも、お腹空いて」男の子は言った。「お金、これしかなくて」
カップラーメン、120円。
「3分です」
「ありがとうございます」
男の子は、イートインコーナーで待った。
3分後。
「どうぞ」
「いただきます」
男の子は、一口すすった。
「……温かい」
そして、また泣いた。
「温かいものって、こんなに……」
僕は、何も言わなかった。
ただ、遠くから見ていた。
男の子は、最後まで食べて、ゴミを片付けた。
「ありがとうございました」
そして、店を出る前に振り返った。
「帰ります。家に」
「気をつけて」
扉が閉まる。
僕は、思った。
温かいものは、ただお腹を満たすだけじゃない。
心も、温める。
そして、人に「帰る場所がある」ことを思い出させる。
深夜3時。
僕は、自分用にカップラーメンを買った。
お湯を注いで、3分待つ。
一口すすった。
温かい。
当たり前だけど、温かい。
でも、この当たり前が、誰かにとっては当たり前じゃない。
僕は、カップラーメンを食べながら、窓の外を見た。
どこかで、あの女性が温かい夕食を食べているだろうか。
どこかで、あの男の子が家に帰っているだろうか。
答えは、分からない。
でも、明日も僕は聞く。
「温めますか?」
そして、その答えの中に、誰かの小さな物語を見つける。
それが、僕の仕事だ。




