第5話「おつりの行方」
レジを打っていて、一番不思議なのは「おつりはいいです」という言葉だ。
十円、二十円。小銭を受け取らずに去っていく人がいる。
そのお金は、どこへ行くのだろう。
募金箱に入れることもできるが、たいていの客はそれもしない。ただ「いいです」と言って、消えていく。
午前1時半。サラリーマン風の男がカップ酒を買った。
「420円です」
男は千円札を出した。
おつりは580円。五百円玉一枚と、五十円玉一枚、十円玉三枚。
「おつり、580円です」
僕が手を差し出すと、男は五百円玉だけを受け取った。
「あの、あと80円……」
「いらない」
「でも……」
「いいんだよ」男は言った。「その80円、あんたが持ってろ」
「え?」
「俺の代わりに、何かに使ってくれ」
男はそう言って、店を出て行った。
僕の手の中に、80円が残された。
80円。
コンビニで買えるものは限られている。ガム、飴、駄菓子。
でも、男は「何かに使ってくれ」と言った。
僕は、その80円をレジの横に置いた。
翌日の深夜。
今度は、大学生らしき女性が来た。おにぎり一つ。140円。
「200円お預かりします」
おつりは60円。
「おつり……」
「あ、いいです」女性は手を振った。「面倒なんで」
また、おつりが残された。
僕は、昨日の80円と一緒に、レジの横に並べた。
80円と60円。合わせて140円。
おにぎり、ちょうど一個分。
三日目。
高校生の男子が、エナジードリンクを買った。220円。
千円札。おつりは780円。
「七百……」
「十円以下、いらないっす」
五十円玉一枚と、十円玉三枚が残された。
僕は、それを他のおつりと一緒に並べた。
80円、60円、80円。
合計220円。
エナジードリンク、ちょうど一本分。
四日目の深夜2時。
老人が来た。肉まん一つ。150円。
「200円、お預かりします」
おつりは50円。
僕が五十円玉を渡そうとすると、老人は首を横に振った。
「若いの、それ取っときな」
「いえ、でも……」
「いいんだよ。俺が使うより、あんたが使う方が、そのお金も嬉しいだろ」
老人は、笑って去った。
僕は、レジの横を見た。
80円、60円、80円、50円。
合計270円。
その時、扉が開いた。
入ってきたのは、小学生くらいの男の子。真夜中に、一人で。
「いらっしゃいませ」
男の子は、おにぎりの棚の前でうろうろしていた。でも、手に取らない。
「どうしたの?」
「あの……」男の子は小さな声で言った。「140円しかなくて」
「おにぎり買いたいの?」
「はい。でも、お母さんに怒られるから、レシート捨てたくて」
「レシート?」
「ビニール袋、8円かかるじゃないですか。そしたら148円になっちゃう。8円足りない」
男の子は、握りしめた硬貨を見せた。
百円玉一枚、十円玉四枚。
確かに140円。
僕は、レジの横を見た。
270円。
「ちょっと待ってて」
僕は、レジの横から10円玉を一枚取った。
「はい、これ」
「え?」
「落ちてたよ。さっき、そこに」
男の子の目が、輝いた。
「ほんとですか!」
「うん。だから、ビニール袋も買えるね」
男の子は、おにぎりを一つ持ってきた。鮭。
「148円です」
男の子は、自分の140円と、僕が渡した10円を出した。
「2円、おつりです」
「ありがとうございます!」
男の子は、ビニール袋に入ったおにぎりを抱えて、嬉しそうに走っていった。
僕は、レジの横を見た。
残りは、260円。
それから一週間。
おつりを受け取らない客は、さらに増えた。
30円、20円、50円。
レジの横に、小銭が溜まっていく。
そして、それを必要とする客も来た。
「5円足りない」という学生に、5円。
「小銭がない」というおばあさんに、80円。
「財布忘れた」という酔っぱらいに、120円。
不思議なことに、金額はいつもぴったりだった。
まるで、誰かが計算しているみたいに。
ある日、店長に聞かれた。
「田中、レジ、合ってるか?」
「はい、ぴったりです」
「そうか」店長は首を傾げた。「不思議だな。深夜シフトって、いつもズレるのに」
僕は何も言わなかった。
レジの横を見る。
今日は、90円。
この90円が、いつか誰かの役に立つ。
その誰かが置いていった小銭が、また別の誰かを助ける。
お金は、巡っている。
おつりは、消えない。
ただ、次の人のところへ行くだけだ。
深夜3時。
僕は、レジの横の小銭を数えた。
90円。
明日は、誰が来るだろう。
そして、この90円は、何に変わるだろう。
答えは、明日の夜、わかる。




