天使のお仕事
天魔学園の一大イベントーーーそれは体育祭。
吹奏楽部と軽音楽部がオープニングのパレードとして、協奏ならぬ競奏をしていた。
オーケストラ調の音色と、ロック調の音色が交互に鳴り響き、同じ曲を二度味わえる最高に粋な催しだ。
その後、各クラスから選出された代表が選手宣誓を叫ぶ。
そして、開会宣言の大役は、いつになく三つ編みをきつく縛った生徒会長だ。
《生徒諸君!今ここに!体育祭開会の宣言をする!いざ…出陣!!!》
「「オオォー!!!」」
そうして、戦いの火蓋は切られた。
「天!」
生徒たちが各クラスの応援エリアに移動し始め、人混みに飲まれる中、親しみのある声が聞こえた。
「栞奈ちゃん!あれ、杏ちゃんは?」
「あいつ最初から出るから。天は今から生徒会の仕事でしょ?一緒にいれないけど、たまに遊びに来るから頑張ってね」
「ありがとう!栞奈ちゃんも頑張ってね!杏ちゃんにも応援してるって伝えておいてほしい!」
「はーい!」
手を振り合い、それぞれの位置についた。
体育祭運営本部のテントに生徒会長と赤妻先輩、そして新良くんが待機しており、救護用テントに私と花井さんが待機する手筈になっている。
しかし、花井さんの姿はなく、私は一人で広いテントに設置されているパイプ椅子に腰掛けた。
新良くんに怒られたのが相当ショックだったみたいで、生徒会の招集を放り出すことはなかったが、私と二人きりになる状況が起きれば、必ず避けるようになった。
花井さんの心情は複雑なのだろう。余計に踏み入れず、見守ることにしている。
…それに、天使の仕事もやりやすい。
己の身体能力を競い合う体育祭では、勿論事故や怪我も増える傾向がある。
後遺症が残らない程度の傷で抑えるためにも、極端に運が少ない人間には運を与えなければならない。
それも短時間に大勢の人間へ運を振り撒くと、幸福の芽を回収するまでは一時的に著しく天使としても人間としても生命力が低下する。
天使の仕事は平凡なもので、時に命懸けなのである。
「みんなのためだものね」
魔術や魔法ではないので、特別な呪文を唱える必要はない。
人間が一人一人持つ運の器を目に映して、必要な場所に必要な量の運を与える。
「神宮さん」
「はいっ」
唐突にトンと肩を叩かれ、反射的に返事をして立ち上がったが、ほとんど余力を残していない私の体は思うように動かず、膝から崩れ落ちそうになる。
しかし、地面に体を打たれる前に「おっと」と言葉を零して、私を片腕で受け止めてくれたのは曲束先生だった。
「大丈夫かい?」
初めてレンズの奥にあった先生の瞳が見えた気がする。
無造作な長い前髪で今まで隠されていたが、今は前傾姿勢の先生を真下から見上げているからか、何だか不思議な気分だ。
奥二重で、意外と凛々しい形をしている。
いつも適当な笑顔で諂っている印象があったから、勝手にタレ目なんだと想像していたが、目尻が少し上がっていた。
「おーい、神宮さん?」
「あっ、ごめんなさい!」
物珍しさにじっと先生の顔を観察しすぎて、やっと意識を取り戻す。
「待って待って。急に動くと危ないから。ゆっくり座りなよー」
「すみません…ありがとうございます」
まだ手足の感覚が掴めない私を気遣いながら、近くにあった椅子をこちらに寄せてくれた。
「ここは君の担当?」
「はい。生徒会の仕事で…救護テントへの誘導や、応急処置を任されています」
「一人?」
「………えっと…まあ…今は」
花井さんのことは黙っておこう。
「じゃあ尚更、ここは神宮さんに任せられないなぁ。助ける側がそれだけ具合悪そうじゃ、助けられる側も不安だよ。保健室に行ってきな?」
「…少し休んでいれば回復するので、大丈夫です。ここで」
あと三十分もすれば自分で歩けるようになるはずだ。
わざわざ保健室に移動して、周りに心配をかけるわけにはいかない。天から与えられた仕事も、生徒会から与えられた仕事も、ちゃんとやらなくちゃ。
緩いジャージを着た曲束先生は、私の前にしゃがみ込んだ。
「神宮さんは本当に強い責任感を持っているね。僕はそれが君の良いところだと思っているけど、あまり無理しすぎるのは感心しないよ。自分の力に見合う仕事をしないとね」
「先生…」
曲束先生は真剣な表情からコロリと笑顔に変え、膝を伸ばす。
「とりあえず、ここで休んでてもいいけど、誰か一人ここへ呼んでくるから、その子に手伝ってもらいな。自分の体調管理も仕事だって、他の先生も煩いくらいよく言ってる。僕はそんなお節介を他人に焼いたりしないけど、可愛い生徒には元気でいてもらわないとね〜」
いつもの調子で去っていく先生に一礼し、椅子に全身を預けた。
人間が不幸にならないよう力を奮っていたが、その人間に自分の心配をさせ、世話を掛けてしまっては情けない。
…今までこんな失態なかったのに。
私の運が尽きたということなのかしら。そもそも私に運なんていうものはあるのかしら。
「神宮さんっ」
伏せていた顔を上げると、新良くんが息を切らせてこちらへ走ってきた。
「どうしたの?」
「曲束先生から神宮さんが倒れたって聞いて…」
大袈裟にされている…。
「倒れてないよ。ちょっと気分悪くて…でも座っていたら元気になるから。それより、新良くんは運営本部を離れて大丈夫だった…?」
「まだ開始前でやることもないし、こっちは気にしないで。とりあえず、何か持ってくる!」
そう言って、嵐のようにすぐ走っていった新良くんの後ろ姿を眺める。
彼にはもうあの時のような威圧や恐怖心は感じない。
何事もなかったかのように振る舞い、こうして日常に溶け込んでいるのだ。
天使と違って、大きな力を持つ悪魔は力を隠す必要がなくて羨ましいと皮肉を言えれば良かったのだが、そんな気も起きないほど私は彼に到底及ばない。
人間を疎ましく、ぞんざいに扱わない限りは、目の敵にしても仕方ないと諦めがつく。
「はいこれ。ゆっくり休んで」
新良くんはわざわざ買ってきてくれたのか、封の開いていないペットボトルの常温水を右手に、左手にはハンディファンを持って戻ってきた。
「…ありがとう」
どうして、新良くんは私に対してここまで献身的な姿勢でいてくれるのだろう。
愛想良く接していれば、彼の好意を受け入れていれば、私が天使でなければ、彼の言動を少しでも理解できたはずだ。
いつの間にか、隣の椅子に座っていた新良くんを横目で盗み見る。ひっそりとした視線にも彼は素早く勘づき、私に笑いかけた。
「今日は一緒にいれないと思ってたけど、ラッキーだ。俺はやっぱり運がいいのかもね」
本当に嬉しそうな顔をするものだから、思わず反対側に顔を逸らす。
顔だけに熱が集中して異様に暑い。
滑る指でペットボトルの蓋を開け、慌てて口に水を流し入れ、深い呼吸を置いた。
「そんなに私のことを気にかけても、あまり…新良くんの得にならないと思うの。もし、期待させるようなことをしてしまったなら謝る。ごめんなさい」
六月の風はまだ生温かい。
「…神宮さんは、どうして俺の立場を気にするの?」
「え?」
「俺は神宮さんの本当の気持ちが知りたい」
時を操られたかのように、彼の言葉はゆったりと私を過ぎる。
号砲の音がグラウンド中に響き渡った。




