正反対な二人
咀嚼しきれない感情を抱えたまま、生徒の半数が居眠りをしている授業が静かに流れ、放課後を迎えた。
杏ちゃんと栞奈ちゃんたちに別れを告げ、私はある人に会いに職員室へと足を運ぶ。
「曲束先生」
書類が無造作に積まれたデスクで、眼鏡を湯気で曇らせながらコーヒーを啜る男性に声をかける。
「お?この声は…神宮さん?」
曲束先生は私の方に顔を向けたが、視界が拓ける数秒は「いや」「違うかも」などと不安げに他の生徒の名前を挙げていた。
「ああ、やっぱり神宮さんだったね」
レンズが透明に戻り、相変わらずひょうきんに笑っている。
手に持っていたコップをコースターの上に乗せると、ようやく椅子を回転させ、体ごと私に意識を移した。
「先生にお願いがあって来ました」
「ほう?」
「二年生にもなりましたし、ずっと前から興味のあった生徒会に入りたいと思っていて、生徒からの推薦は栞奈ちゃ…和田さんからいただいているので、先生からの推薦を、曲束先生からいただきたいです」
私の言葉を受けて、どう思ったのか、何を考えているのか、長い前髪と眼鏡に覆われた先生の表情は全く読み取れない。
唇の僅かな動きにも、瞬きを遠慮するくらい凝視し、緊張感を張り巡らせていると、糸を断ち切るかのように白い用紙が降ってきた。
「俺も先生から推薦もらいたいんですけど」
「新良くん!?」
用紙には生徒会立候補を希望する内容が綴られており、彼の名前も記されている。
悪魔は面倒なことを嫌う習性があり、わざわざ自分から手を挙げる行為に、驚きが隠せない。
「えーと、君たちは仲が良かったのかい?」
「いいえ」
「はい」
目を丸くした曲束先生の問いに『いいえ』と答えたのは、勿論私の方だった。
というよりも、いいえ以外は不正解だからだ。
「新良くんと仲良くなった覚えはないんだけど…」
あくまでも真剣な表情で『はい』と返答した新良くんを睨むと、彼は困ったように目を逸らし、短く吐いた息を吸い込む。
「本当は、神宮さんと仲良くなりたくて、それが生徒会に入る目的です」
なっ、何言ってんの!?
私と曲束先生は困惑のあまり、脳の回路が停止する。
そんな長い沈黙を破ったのは、耳心地のいい凛とした高めの女性の声だった。
「いいんじゃないでしょうか、先生」
度数の高そうな厚めのレンズがついた眼鏡をかけ、長いおさげを腰の辺りまで垂らした生徒が、右側から突然現れた。私よりも数センチほど背の低い彼女は、曲束先生と向き合う形で隣に立つ。
今時珍しい古風なその姿は、見覚えがあった。
「………生徒会の…」
「前期は副会長だった三年の中野紗南です。一応、推薦者がいないから暫定で今期の生徒会長でもあるんだけどね」
優しそうな柔らかい笑顔に、緊張感が絆される。
一見気弱そうな顔立ちをしているが、彼女にはどことなく芯の強さを感じた。
「えーと、中野さん?だっけ。まあ、生徒会長がいいって言ってるなら、これ以上僕が言うこともないなぁ。二人とも、僕から推薦するよ」
「えっ!いいんですか?」
「うん。僕は神宮さんが責任感の強い生徒だと知っているし、新良くんも周りの評判が良いからね。反対する材料がない。神宮さんも生徒会への立候補用紙書いて、出しておいで」
「はいっ!ありがとうございます!」
そう言って、再び眼鏡を曇らせる曲束先生に頭を下げ、生徒会長である中野先輩にも一礼する。
新良くんとも目は合ったが、今はどんな風に接すればいいか分からなかった。
私が天使だと勘づき、消滅できる絶好の機会を狙っている可能性も…。
職員室を出た私たちは、中野先輩のご厚意で生徒会室を案内してもらえることになった。
立候補者が多数いた場合、より多くの生徒から支持を得た者が選ばれるため、まだ現時点では入れると決まったわけではない。
新入生歓迎会の後半プログラムに生徒会役員発表の時間を設けられており、その場で確定するという例年の決まった流れがある。
それでも一度見に来て欲しいと、三年の校舎の最上階の一室へ招待された。
「ここが生徒会室よ」
二メートル近くある立派な木製の扉を、重たそうに両手で中野先輩が開ける。
部屋の中を見るよりも先に、大きな影が落ちてきた。
「あれ?会長じゃない人がいる」
明るい髪色をしたウルフヘアの男の子は、長身の背を折り、不思議そうに私へと顔を近づけてくる。
少しでも動けば鼻が触れてしまいそうな距離まで詰められたかと思えば、目の前の男性はすんと息を吸った。
もしかして、私今、匂いを嗅がれた?
「あの」
それを制止するように、新良くんが私の前に割り込むと、ウルフヘアの男性はへらりと笑う。
「ああ、ごめんごめん。珍しくて」
「ちょっと、赤妻くん。大事な後輩に変なことしないでよ」
入口で立ち往生していた私と新良くんを、赤妻と呼んだ男性から遠ざけながら、室内にある椅子に座るよう促した。
木製の長テーブルの奥には、肘置きがついた黒い合皮のチェアがあり、その周りを囲むようにパイプ椅子が配置されている。
「はいはい。わかってるよ」
怠そうに返事をして赤妻先輩がパイプ椅子に腰掛け、黒いチェアには中野先輩がゆっくりと座った。
「彼は赤妻妖鬼くん。暫定だけど、副会長よ。変な人だけど、無害だからあまり警戒しなくても大丈夫だから」
「…それならよかったです」
貼り付けたような笑顔で私と新良くんを眺める赤妻という男はーーー吸血鬼だ。
昨年、生徒会役員が発表された時、堂々と人間に混じって学園に居座っている吸血鬼の存在を知り、驚愕したことを鮮明に覚えている。
学園内での被害報告はまだないが、間違いなく誰かの血を食っている。
今も尚、生命を維持できているのがその証拠。
わざわざリスクを冒してまで生徒会に入る理由も、この吸血鬼にあった。
この学園の敷地内が私の管轄下。
それより外で行われた悪事は咎められないが、もしこの中で誰かの血を奪っているというのなら、天使の使命として解決すべく問題である。
「そういえば、二人はどんな関係なの?」
人間の皮を被った吸血鬼に意識を集中させていると、中野先輩が私と新良くんに質問を投げかけた。
「同じクラスメイトで、新良くんは新学年早々に転校してきたので、あまり関係値を言葉にできるほど深い関わりはありません」
「神宮さんはとても周りが見えていて、生徒だけでなく先生にまで気遣いができる素敵な人間です。優しくてまるで天使のような…」
「ちょ、ちょちょ、ちょっと待って新良くん。一旦黙って」
「なるほど。新良くんは神宮さんが好きなのね」
「はい」
「はい!?」
「へー、君たちはそういう感じなのかぁ」
満足そうに微笑む新良くんと、何かに頷く中野先輩、面白いとでも言いたげに口元を緩ませる赤妻先輩。
「先輩方!誤解されていると思います!話したのだって片手で数えられるくらいですし、お互い好意はありませんし、もしかしたら転校初日に隣の席になったのが偶然私だったから…とにかく、誰にでも当てはまるようなっ…」
「正式に発表された後は役割を振り分けるから、よろしくね。二人とも」
立ち上がって必死に弁解する私の努力も虚しく、まんまと悪魔が掘った落とし穴に引っ掛かり、奥底へと突き落とされた。




