天候の悪魔
「神宮さん、おはよう」
清々しく晴れた朝の教室。
颯爽と現れた悪魔は、クラスメイトに声を掛けながら自席に着いた後、隣の席の私に挨拶をした。
「おはよう」
当然のように返事が出来ているのは、昨日の出来事と関係していた。
昨日の放課後、私の前で「天使だ」と言った件について、問い詰めようとした時だった。
あろうことか、彼は私に告げたのだ。
『神宮さんは天使のような笑顔をするんだね』と。
つまり彼の言う「天使だ」とは形容詞だったのだ。
先走って自分から正体を明かさなくて良かったと、心から安堵したのは記憶に新しくない。
ピンチを切り抜けた私は正気を取り戻し、彼と普通に接する努力をしていた。
そうせざるを得ない理由は、天使と悪魔の敵対関係にある。
天使は人間の幸福を祈る者。それとは反対に、悪魔は人間の不幸を好物にする者だ。
お互い相容れない存在だと理解しているからこそ、邪魔で仕方がない。
しかし、天使は人間へ運を分ける能力しか持っていない。悪魔に対抗する力がないのである。
そのため、消滅させられないよう身を隠すことが最低限の自己防衛とされていた。
バレてしまえば、敵を圧倒する力を持った悪魔に…。
想像するだけでも恐ろしい。
「天ちゃん、今日も早いねー」
「杏ちゃん!おはよう!」
「寝坊が得意な杏とは正反対ね」
「栞奈ちゃんも!」
杏ちゃんは左斜め前、栞奈ちゃんは前の席に座る。
実は、私に早起きという概念はない。
この学園を見守る天使として、この学園から人間が消えると眠り、敷地内に人間が入ると目が覚める仕組みが作られている。
人間のように食事、お風呂、洗濯といった面倒な家事も必要なく、私には“家”も持っていない。
不審に思われてしまわないよう、誤魔化すのは一苦労だ。
「てか、昨日あんなに天気悪かったのに、今日は晴れだね」
嬉しそうに杏ちゃんが話した途端、数秒後には教室が暗くなった気がした。
「…あれ?」
私たちは首を傾げて立ち上がり、恐る恐る窓を開けると、ポツリ。
大きな水滴が落ちてくる。
「天気予報…晴れだったのに」
栞奈ちゃんが言い終わる頃には、雨が地面を濡らしていた。
まだ梅雨の時期でもないのに…。
肩を落とす二人に声を掛けようとしたが、私はあることを思い出した。
この世にはさまざまな悪魔がいる。
大きく低級悪魔と上級悪魔に分かれており、低級悪魔は人間に害を及ぼす力はないが、上級悪魔はあらゆるものを圧倒する力を持っている。
噂程度の情報しか出回っていないが、天候を操作できるほどの強大な力を持つ悪魔も存在すると。
もし、それが迷信ではなく、本当に実在するとしたらーーー。
私は振り返り、新良雷と名前のついた悪魔を見た。
彼も私たち同様に、遠くから雨が降っている様子を眺めていたらしく、上に向いていた視線を私の位置に下ろす。
「今日も雨だ。雷もそのうち鳴るかもね」
得意げに彼は口角を上げた。
「………そうね」
彼の宣言通り、今日の天気は雷雨だった。
嘘みたいな話だ。
たまたま私の管轄内に、天候の悪魔なんていう馬鹿げた力を持っている悪魔がやってくるなんて。
私が天使なんて知られた時には、赤子の手を捻るよりも簡単に消滅させられてしまうだろう。
初めて彼を目にした時のプレッシャーから、低級悪魔とは思っていなかったが、まさかこんなにも力の差がある相手だとは予想していなかった。
天使だと知られないよう、やり過ごさなければ。
そのために距離を置きたいと願うが、現実はそれを叶えてはくれなかった。
「…えっと、ついてこなくても…いい、よ?」
放課後、私はこの場所にいる人間の様子を窺うため、校内を歩き回る仕事がある。
それに、何故か新良くんも私の斜め後ろについて歩いていた。
やはり私が天使だとバレているのではないか、そう勘ぐるが、彼から返ってくる答えは陽気なものだ。
「神宮さんのことが知りたくて」
「そ、そう?」
できるだけ、自然に会話を。
「神宮さんはどの天候が好き?雨?」
新良くんは私の顔を覗き込む。
思わず立ち止まり、悪魔の軽快な企みに、天使の勘が警戒アラートを発令させた。
「どれだろう…考えたこと無かったな」
ちらりと悪魔を盗み見すると、何かを思い立ったように私を渡り廊下へと手招く。
此処では空がよく見渡せる。
「今は雨が降ってる」
「…そうだね。まだ降ってる」
水溜りがいくつか作られていて、しばらく雨が降り続いているのだと分かる。
外で部活動をする生徒たちが悲しんでしまうな、とごく自然に思った。
私の好きな天気は晴れだ。
晴れるだけで人間の心は澄み、雨が降るだけで淀んでしまう。それだけ影響を強く与えてしまう天気を、こんな悪魔一人に左右されるなんて、悪い冗談だと言ってほしい。
でも、悪魔はきっと悪天候がお好みなのだろう。
晴れを雨に変えた昨日の、得意げな彼の姿がその証拠だった。
「神宮さんは…雨が苦手そうだね」
「え?」
「違った?」
私の浮かばない気分で察したのか、悪魔の視線は私を突き刺す。
悪魔の機嫌を損ねてしまえば、他の生徒たちにどんな危害が及ぶか予測できない今の状況で、天使としての本音は口にできない。
でも、このまま雨を降らせてしまったら、それこそ私の大好きな人間たちが不安を募らせてしまう。
自分の保身のためにご機嫌取りをして、人間の不幸に見て見ぬふりをして、それで天使と呼べるのだろうか。
「いいえ。雨というより、生徒の皆が悲しんでしまうから、少し…喜べないの」
私にこの雲を払う力があったら、風を吹かせて青空を覗かせられるのにな。
「…よく分からないけど、人に優しいんだね。神宮さんは」
「ここにいる人たちが好きなだけだよ」
人を慈しむ気持ちは、悪魔には分からないでしょう。
雨が弾けて私の足元に飛ぶ。
靴下が濡れていくところをじっと眺めていると、悪魔はどういうつもりか私の肩に手を置いて、後ろに下がれと言わんばかりに体を慎重に押し退けた。
「理解できないな、やっぱり」
彼は空を掴むように手を上へと伸ばす。
すると、雨模様はどこへ行ったのか、瞬く間に晴れ間が差し、真っ青な空が一面に広がった。
今まで雲隠れしていた太陽は水面を照らし、目の前の景色は鮮やかな色を取り戻す。
これが、天候の悪魔が持つ能力。
「…すごい」
まるで神様のような力だ。
不謹慎にも、そう思ってしまった。
ゆっくりと手を下ろした悪魔も、眩しさに目を薄めながら空を見上げている。その表情からは何も読み取れないが、学校中の生徒の幸福の芽が増えていくのを肌で感じる。
雨を晴らしたところで、悪魔には何のメリットもない。
それどころか、人間が幸福感に満たされることにより、不幸を栄養とする悪魔には不都合なはずだ。
こんなことをしても、彼にとっては無意味なのに。
「どうして晴れたの?」
純粋な疑問を彼にぶつけてみる。
「さあね。神宮さんの運が良かったのかも」
「そっか」
悪魔は災いをもたらす邪悪な存在だと言い伝えられてきた。
過去に出会った悪魔も例外はなく、消滅させられた天使もいる。決して許してはならず、如何なる場合も非情に責め続けるべきである。
彼も悪魔なのだから。
自分にそう言い聞かせながら、今だけはと、晴れ晴れと澄んだ青を二人で見上げた。




