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悪天候と転校生

 

 校内を歩くと、さまざまな人間が生きている。


 夜更かしして欠伸をしながら登校する者、教科書を捲って勉強する者、友人と昨日見た動画の話で笑い合う者、部活に力を注ぐ者。


 私が棲むこの天魔(てんま)学園の敷地に存在する人間全て、一人一人が“運”を持っている。


 運、と言っても大層なものではない。

 体育の授業があることを忘れていて、体操服を忘れてしまったが、急な先生の体調不良で自習になったぐらいの、そんな些細なものが運と呼ばれている。


 私は天から与えられた運を、ここにいる人間へ分け隔てなく配る使命を与えられ、そこから生まれた人間の感情に含まれる『幸福の芽』を栄養にして、今日を生きていた。


 所謂、天使である。


「天ちゃん、おはよー!」


「はよっす」


 元気よく駆け寄ってきたのは、左右に大きなお団子を下げている髪がトレードマークの鈴乃木 杏(すずのき あん)。

 その隣で、眠そうに手を振っている黒髪のショートヘアの女の子は、和田 栞奈(わだ かんな)。


「おはようっ」


 私は友人に挨拶を返し、肩を並べて教室に向かう。


「なんか学年上がったっていう実感がないよね」


 お団子からはみ出ている髪を揺らしながら、杏ちゃんは呟いた。


「それな。後輩にも敬語使いそうだわ」


「いいんじゃない?謙虚な先輩って感じで」


 気の進まない二人を元気づけるために笑ってみせると、二人は顔を見合せて「天ちゃんは後輩から慕われそうな先輩だ」と意気投合していた。


 そう、本日は高校二年生になる儀式である始業式が行われる日である。


 晴れて今日から、高校二年生…として過ごす天使になったのだ。


 学年ごとに校舎が異なり、私たちは二年生の校舎に足を踏み入れる。

 クラス替えはなく、三年間同じクラスメイトと学校生活を共にするため、新鮮な気持ちを味わえる機会は少ないが、それでも私は楽しみにしていた。


 ーーー新しい人間に巡り会えることに。


 天使は人間という未知の存在に興味がある。

 これは私だけでなく、この世界に存在する全ての天使に共通していることだ。


「担任は誰になるんだろうね?前と同じだったら嫌だな」


「栞奈は前の担任から気にいられてたからいいじゃん!杏なんてドラムばっかりしてないで勉強しろって目つけられてたんだよ!?違う先生がいいなー!」


「杏ちゃんは赤点が多かったから…」


「天ちゃんは杏の味方じゃないの!?」


「また一緒に勉強しよう、ね?」


「天ちゃあーん」


「こら天、杏を甘やかすな。また馬鹿になる」


「栞奈とは一緒に勉強しませーん」


 杏ちゃんと栞奈ちゃんは小学生からの幼馴染らしく、本当に仲が良い。

 冗談を言い合えるほど親しい間柄になれるのは素敵なことだ。


 今日の二人の運は平均値以上あるし、きっと担任の先生は違う人なんだろうな。


 ふと、窓の外に視線が移った。


 …天気は悪いみたいだけどね。


 分厚く黒い雲は、まだ少し冷たい風に乗ってこちらに近づいてきている。


 天使と言えど、天候を操作できる力は持っていない。

 思い通りに天気が操れる力を手にした者が存在しているとしたら、それは神様か悪魔のどちらかだろう。

 自然の力は偉大であり、それを動かすとなれば使い手も相当の力を持つのが当然だ。


 いつも通りの朝の時間を堪能し、体育館に全校生徒が集まり、恒例の学園長の長話を聞き流した後、再び各々の教室に戻った。


 生徒たちがやけに騒がしい。


 それもそのはず、これから校内アナウンスにて、各クラスの担任が発表されるのだ。


 杏ちゃんは落ち着かないのか、机をドラムに見立てて両手の人差し指を使いながら、ビートを刻んでいる。

 その様子を呆れながら眺めていた栞奈ちゃんと、ふと目が合った。


「そういえば、天は生徒会に入るの?」


「生徒会?どうして?」


「んー。なんか…ぽいから?よく校内徘徊してるし、先生たちからの信頼も厚いし、進学するにしても就職するにしても生徒会に入ったら有効カードじゃん?今年から立候補できるし、私と杏からも推薦できるしね」


 栞奈ちゃんは頬杖をつく。


 彼女の言う通り、生徒会に入ると都合が良いのは確かだ。

 学園全体を把握しやすいし、天使としての仕事も捗る。


 ただ、一つ訂正をするなれば、今の私、神宮 天(じんぐう てん)としての『将来』はない。

 時が巡ったとして、このまま卒業式を終えたら、私は再び高校一年生に産まれ変わる。

 神宮 天に関わる記憶は、今この時間を生きている皆の中から消え、また新たな“神宮 天”が、天から与えられるのだ。


 人に好かれるような振る舞いは必要だが、記憶の改ざんに矛盾が生じないよう、なるべく目立たないよう立ち回るのが無難だが…。


「…考えてみる。ありがとう」


 この学園の生徒会には、いくつか気になることがあった。


 深く思考に落ちる私を遮るように、校内アナウンスでは次々と担任の名前が告げられる。

 三年生から始まり、ついに私たちの学年まで読み上げられていった。


 《二年B組の担任は…》


 ゴクリと教室中の生徒が息を呑む中、前方の扉から大きな音が鳴る。

 閉じていたはずの扉は開いており、驚きのあまり、全ての視線はそこに集中した。


「いやぁ〜やっと辿り着けた」


 ひどく猫背の男性が、ぼさぼさの髪をボリボリと右手で掻き、左手にバインダーのようなものをぶら下げて

 重い足取りで教室に入ってくる。

 大きな黒縁の眼鏡と、長い前髪でよく顔は見えないが、明らかに生徒ではないことは確かだ。


 呆気に囚われている生徒の表情をレンズ越しに確認したらしい男性は、何やら笑みを浮かべているようだった。


「ごめんごめん。誰だか分からないよね。あ、でも不審者じゃないよ?僕は曲束(まがつか)。ここの担任になりました。初めてこの学校に来た新入りなので、お手柔らかに」


 教卓にバインダーを置いたあと、黒板に苗字を記した。


「せんせー、いくつですかぁ?」


 誰かが質問を投げると、曲束と名乗る先生は、小さく唸りながら顎を触る。


「僕は秘密主義だから、勉学や道徳以外の余計なことは答えられない。担当科目は数学。部活の顧問はしません、残業はゴメンなんで。以上。よろしくぅ」


 緩い口調に比べて、端の席に座っている生徒から順に、一人一人握手をしていった。


 杏ちゃんは満面の笑みで、栞奈ちゃんは遠慮気味に、そして私の番が来る。


「よろしくお願いします、曲束先生」


「よろしく、神宮さん」


 私は笑顔で手を差し出すと、先生の口角が上がっていることだけは確認できた。

 握られた手は不思議と冷たかったが、曲束先生は幸運の持ち主であることがよく見える。


 運の見え方は天使によって違うが、私の場合は人間の核があるお腹の部分に、硝子素材に似た器が映し出され、その器に運が貯まっているのだ。

 見えづらい人間もいるが、こうして肉体に触れることにより、鮮明に運の量が把握できる。

 この曲束先生の器は他人よりも大きく、溢れそうなほど有り余っていた。


 見たことがない訳では無いが、作曲家や小説家、漫画家など、運良く売れた作品のおかげで一生を遊んで暮らせる巨額のお金を稼いでいる人に見られる傾向だ。

 これからそういう人になるんだろう。


 全ての生徒と握手を交わした後、再び曲束先生は教壇に立ち、黒縁眼鏡のブリッジを人差し指で持ち上げ、咳払いをする。


「それもう一つ、このクラスには転校生が来まーす」


 曲束先生の一言で、静かになった空間はまたもや喧騒を帯びた。


「え!?」


「マジで!?」


 歓喜の声は、幸福の芽を生やしている。

 とても喜ばしいことだが、何だか胸騒ぎが止まらない。


 今度は意識的に窓の向こう側を見ると、先ほどまで遠くにいた黒い分厚い雲は既に辺りを覆い尽くしており、激しい雨が降っていた。

 雷も鳴り始めそうな天候とは裏腹に、みんなの声が自然の音を掻き消す。


「じゃあ、転校生の人ー!入ってきてー!」


 先生の声を合図に、ゆっくりと前方の扉が開いていく。


 嫌な予感は次第に膨らみ、それが正解とでも言いたげに、雷鳴が響いた。


「新良 雷(あらし らい)です」


 この学園の制服を着た、端正な顔立ちをした男の子。

 さらさらの黒い髪、日焼けしていない白い肌、背も高く、万人受けしそうな柔らかい表情で真ん中に立っているが、私は彼から漂う異様な威圧感に押されていた。


「新良くんは親の都合でこっちに最近引っ越してきたらしいよー。えっと…じゃあ神宮さんの隣空いてるから、そこ座ってね」


「はい」


 曲束先生は私の隣の席を指定し、彼もその通りに歩み寄ってくる。

 邪悪な気配が一歩、また一歩と近づいてくる感覚に、私は俯くしかなかった。


 そして、すぐ隣で彼が椅子を引いて、腰を下ろす。


 落ち着け、私。大丈夫。

 変な態度をとったら、それこそ私が天使だということを、この人に勘づかれてしまう。いつも通り、人間と同じように彼と接するの。


 そうするしか、私に選択肢はない。

 ぎゅっと両手の拳を握り締め、ばっと顔を上げた。


「よろしくね、新良くん」


 隣に座った彼に微笑む。


 すると、背後に稲妻が走ったようで、ドンと眩い光と大きな地響きがした。


「………天使だ」


 彼は目を見開いて、私に言った。

 その瞬間、私は表情を変えることなく硬直する。


 …私が天使だということが、バレて…しまった。


 ーーー新良 雷という人間の皮を被った“悪魔”に。



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