327 旅路の再開
私は幌馬車の後ろから、蔓を大きく振った。
姉であるトゥルペに、しっかりと見えるよう。
立ち止まったトゥルペが、次第に小さくなっていく。
それでも、まだ姉の姿をこの目でとらえることができた。
エーデルワイス公爵邸の敷地は広い。
その広さをこれほど感謝したことはなかった。
でも、いくら広いといっても、限界がある。
アルラウネの視力をもっても見えないくらい距離が離れ、そして門を出たことで完全に見えなくなった。
──トゥルペお姉ちゃん。
また会いに来るからね。
絶対に……絶対に、会いに来るから。
あ、だめだ。
目から蜜がこぼれちゃう。
こんな姿を見せたら、魔女っこに心配されてしまう。
というかそれ以前に、不審に思われてしまう恐れもあるよ。
鉢植えアルラウネである私を抱っこしている魔女っこの顔を、ゆっくりと確認する。
きっと魔女っこも、遠ざかっていくエーデルワイス公爵邸を見つめているはず。
そう思って視線を向けると──魔女っこは私の顔を凝視していた。
「あ……」
頰を流れ落ちる蜜を、魔女っこがじっと見つめている。
泣いているところを見られてしまった。
「こ、これは……」
どう言い訳をしたものかと悩んでいると、魔女っこの指が私の頰をなぞる。
そして蜜の雫を拭き取ると、ペロリと自分の口に含んだ。
「甘い」
「……ルーフェ?」
「アルラウネ……またこの街に、一緒に来ようね」
「……うん」
魔女っこは何を思って、そう言ったんだろう。
もしかして魔女っこも、エーデルワイスを気に入ってくれたのかな。
そうであってくれればいい。
もし、そうでないのであれば…………いや、そのことは考えないことにしよう。
アルラウネが聖女イリスだということは、魔女っこは気が付いていないはずなんだから。
馬車は公爵邸から離れ、街の中心部を通る。
なぜあえて、この道を選んだか。
せっかくだから最後に街の景色を見たい。
そう思って、御者をしているトレントに、事前にルートの相談をしていたからです。
私と魔女っこは、馬車の中から空を見上げた。
本日の天気は快晴。
空は一面の青空のはずなんだけど、どういうわけか視界は緑に覆われていた。
青い空も見えなくはないけど、そのほとんどが緑のトンネルに包まれているのです。
「来たときとはずいぶんと景色が変わってる」
「そ、そうだね……」
でも、大丈夫。
剪定はきちんとしたはずだから、日光が街に届かないなんてことはない。
たまたま、この道が森のトンネルになっているだけで、街はここまで緑に覆われていないんだから。
新緑の道を抜けると、街の中央に出る。
そこには、新しい姿へと生まれ変わったエーデルワイスの街がありました。
石造りの街並みと自然の融合。
それでいて目に優しい緑に包まれた、涼やかで清らかな空間。
うん!
アルラウネ的にも、とても住み心地の良い街並みになったね。
昔の故郷の姿を残したまま、新しい特色を組み入れた先進的な街になっているよ!
「アルラウネ……本当に剪定したの?」
「もちろん、したよ」
あそことか、あそことか、しっかり枝を切り落とした。
本当はもう少し緑を増やしたかったけど、それだと人間的には大変だろうから、我慢して緑を減らしたんだよ。
とはいえ、ちょっと減らしただけだけど。
もっと緑を無くしたほうがいいかなとも悩んだけど、街の人たちはこの新しいエーデルワイスの姿を喜んで迎え入れてくれていた。
そういうこともあって、これくらいで済ませておいたんだよね。
なぜここまで歓迎してくれたのかはわからないけど、きっとエーデルワイスの人たちは緑が好きだったんだと思う。
イリスは知らなかったけどね。
ほら、今も私たちを見送るために、大勢の人たちが街道に集まってくれているよ。
「聖女アルラウネさま~!」
「街を救ってくれてありがとう!」
「お気を付けて!」
「イリスさま~ッ!」
「また戻ってきてくださいね!」
街の人たちが両脇に並んで、私たちにエールを送ってくれていた。
中にはまだ私のことを「聖女イリス」だと言う人もいたけど、この盛り上がりだから仕方ないかも。
なにせエーデルワイスの街の全員が集まっているのかと錯覚してしまうくらい、人が集まっている。
その人垣の道は、私たちがエーデルワイスを出るまでずっと続いていた。
さすがの私たちも、これほどまで多くの人たちに見送りに来てもらえるとは思ってもいなくて、驚いてしまった。
御者台にいるトレントも、その隣にいる妖精キーリも、馬車の中で静かにしているスフィンクスのクスクスさんも、みんな唖然としながら街の人たちを眺めている。
人間ではない私たちがここまで歓迎されたのは、それこそ『塔の街』以来。
むしろ、あの街よりも熱狂的といっていい。
だからこそ、街が森になっても、誰も文句を言わなかったのかもしれないね。
賑やかな喧騒の様子もやがて途絶え、私たちは街の外へと出た。
塀の上に旗が掲げられ、兵士たちが私たちに敬礼をしているのが見える。
街を救った私たちへの、最大限の感謝を表しているのだ。
馬車は街道を進み、エーデルワイスの街が少しずつ遠くなっていく。
一見すると森のようにも見えなくもないその街を眺めながら、魔女っこが尋ねてきた。
「アルラウネはエーデルワイスが心配?」
「ううん。そんなことは、ないよ」
また魔王軍が攻めてくるかもしれない。
そういった不安は、たしかにある。
でも、また魔王軍がエーデルワイス近郊まで攻めてくることは難しいと思うんだよね。
魔王軍が一枚岩ではないことを知っているし、ここまで大規模な攻勢はそう何度もできないはず。
それに……私は、戻ろうと思えばいつでもエーデルワイスに帰れるしね。
このエーデルワイスを含めた広大な大地の下には、私の根のネットワークが広がっている。
つまり地面に根を下ろすだけで、私は転移能力を使っていつでもエーデルワイスに分身を生やすことができるのだ。
帰ろうと思えば帰れる。
だから、たまにエーデルワイスの様子をこっそりのぞいて、ついでにトゥルペとお茶会をするのも良いかもしれない。
もちろん、すぐにはしないよ。
ここまで感動的な別れ方をしたばかりだから、どんな顔をして再会すればいいかわからないからね。
こっそり故郷を視察するのは怠らないけど、姉に会うのはまだ先。
いきなりトゥルペの前に現れて、驚かせてあげたい。
ちなみに、子アルラウネをエーデルワイスに残さなかったのは、トゥルペがいるからです。
あの変人の姉のことだ。
子アルラウネを残していったら、いったいどんな変態的所業をするかわかったものじゃない。
我が姉のことだから、ちょっと心配なの。
あと本音を言えば、私じゃないアルラウネがトゥルペと仲良くしているのも、なんだか嫌なんだよね。
想像するだけで、胸がもやもやしてくる。
そういうこともあって、とりあえずは現状維持ということにしました。
──だから必ず、エーデルワイスに戻ってくるからね。
そう心の中で誓いながら、私は馬車の後方から少しずつ小さくなっていく故郷を目に焼き付ける。
視界から見えなくなっても、私はずっとエーデルワイスを見続けました。
エーデルワイスは、イリスの故郷。
今回こうやって街に立ち寄ることで、生前は叶わなかった姉や公爵家のみんなとの別れを行うことができた。
だけど、イリスとして故郷を見るのは、これが見納め。
なぜなら私は、植物モンスターのアルラウネになったから。
なので、次にエーデルワイスに来たときは、アルラウネとしてエーデルワイスに来よう。
かつての故郷に根を下ろすことはないけど、それでもこうやってまた立ち寄ることはできる。
もう二度と、来られないわけじゃない。
それでもやっぱり、寂しくなった。
「大丈夫だよ」
「ルーフェ?」
「アルラウネには、わたしがいるから」
「……ありがとう」
鉢植えを抱きしめる魔女っこの力が強くなった。
ルーフェなりに、何かを感じ取ったのかもしれない。
そういえば以前、魔女っこと一緒に、魔女っこの村に里帰りしたことがあった。
ルーフェが両親と一緒に過ごして、そのあと魔女狩りにあったあの村だね。
炎龍様に燃やされてしまい、廃墟となったその村に私たちは再び足を踏み入れた。
その時の魔女っこの表情を、ふと思い出してしまう。
もしかして魔女っこは、今の私と似たようなことを感じていたのかな。
そうであるのなら、ルーフェの故郷にも、また里帰りをしないといけないね。
すべてが終わったら、また一緒にあの村に行こう。
アルラウネとルーフェが初めて出会った、あの森に──。
旅路は再開され、幌馬車が草原を駆けていく。
ウッドホースゴーレムの走る速度は、普通の馬の三倍。
つまり私たちは、先にいる馬車を簡単に追い越してしまうほど、早く移動することができるのだ。
だけど不思議なことに、草原の街道には私たち以外の誰もいない。
大都市であるエーデルワイス近郊とはいえ、なんだか静かな気がするね。
そんなことを思っていると、急に馬車の速度が遅くなりました。
「キーリ、どうしたの?」
「なんか人間が道を塞いでるみたいー!」
「え? こんなところで?」
まだエーデルワイスを出てから、半日も経っていない。
こんなところに関所はなかったはず。
それともイリスがいなくなった後に、新しく関所を作ったのかな?
魔女っこにお願いして、馬車の前方へと運んでもらいます。
そしたら、たしかにそれが見えた。
「兵士が道を、塞いでる?」
彼らは道の中央に木製の柵を作り、進路を塞いでいた。
その柵の前にたたずむ兵士が、こちらに向かって大声を上げる。
「そこの馬車、止まれー!!」
次回、街道封鎖です。







