発現
5月も20日を過ぎると夜冷える日も少なくなる。夕食を食べていると、父からの電話があった。母の病状の話と学校の話が中心だった。部活動が決まった話をしてパソコン・歴史科学部に入部した事を報告すると、急に明るい声を出している。
「そうか、昤、パソコン部ならパソコンが必要だろう」
「いや、部室にあるからそれを使わせてもらうよ」
父は譲らない。
「あった方がいい。こっちで適当に見繕って送る。来月には届くから。他にも準備が必要だが、部活の仲間に相談しなさい。他にかかりそうなお金はおばあちゃんに送っておくから。夏に一度日本に帰る。母さんにお前からも伝えておいてくれ」
「わかった。ありがとう。母さんにも伝えておくよ」
久しぶりに父の弾んだ声を聞いた気がした。母が入院してから海外にいる父は頻繁に電話をしてくれている。祖母にパソコンが届く事を話した。
「パソコン、なんだい、それ」
「えーと、パソコンはパソコンだよ。パーソナルコンピューター」
祖母は不思議そうな顔をしている。この時代のパソコンはほんの一部の人たちの趣味で、祖母の歳だと見たことも聞いたこともない人が多い。
「うーんと、テレビのブラウン管に電話とワープロがくっついたような……て、手紙……電報も送れる!長いやつ」
説明してる昤もピンとこない。因みにワープロはテレビCMなどもされておりパソコンと比べると認知度が高かった。祖母は孫に大きな荷物が届くことが分かったので充分だったのだろう。お茶を啜ると衣替えの話をし出したのだった。
◇
2階の窓を開けると梅の木にカラスが来ている。昤を観察するように見ている。
「見たってゴハンはないよ」
カラスは黙って見つめている。昤の部屋の蛍光灯の光がカラスの羽を照らしている。つぶらな瞳に艶のある羽、意外とかわいいかもしれない。昤はしばらくカラスを観察していた。普通、この辺りのカラスは夕方になると山の方へ飛んで帰ると言われているが、このカラスは街に住んでいるのかもしれない。この街には寺や神社なども多い。カラスとしては、住みやすい街なのかもしれない。カラスに向かっておやすみを言って窓を閉めた。カラスは、言葉が通じたみたいにどこかへ飛び去って行った。
◇
朝から松さんが来ている。2人で裏の蔵から壺や竹ざる、朱色の御膳を出している。
「祖母ちゃん、手伝おうか」
声をかけると、
「手つだいならもう2週間後にしてもらえるかい。青梅採って貰いたいからね」
「青梅?」
「アンタたちにも梅シロップを作ってあげてるだろう。私たちの梅酒と梅シロップは青い梅で仕込むのさ。梅干し用はその後、色付いたら収穫さ。」
祖母のお手製の梅シロップはジュース代わりに冷たい水で飲んだことがあった。塩と赤紫蘇だけで漬ける梅干しは弁当には必ず入っている。アンタたちというのは、咲月と昤のことだろう。2人ともお互いの孫を本当の孫みたいに扱ってくれている。蔵から出てきた松が今年最後の蕨を採ってきたからと言ってくれた。
◇
翌週、街では大きな祭が開催された。平日にも関わらず学校も午前中で終わる。これまで安平からの返信はなく、この日は部活動も休みなのでメールの確認はできなかった。自宅に帰ると、祖母が竈門で火の番をしている。
「昤、火の番お願い。燃え尽きる前に薪加えて。あ、蓋とっちゃダメよ」
薫は次はあっちだと台所に入って行ってしまった。この建物には釜しかない。他は庭弄りの道具が保管してあるだけだ。コンクリート土間の上に竈門があり、今日は赤飯を炊いている。5月の末にあるこの祭はこの街で一番の祭で、いつも静かな街には人が溢れている。近所や親類などが集まって宴会を行うのが常だ。
「あれ、昤、火の番かい」
声をかけてきたのは咲月の父・亮だ。子供の頃から咲月と一緒に遊んでいたからよく知った顔だ。亮の膝を抱くようにしてくっついてる男の子がこちらを窺っている。咲月の弟の駿だろう。小学生低学年のはずだ。
「ほれ、駿、地蔵尊のお祭の時、一緒に御神輿引っ張ったろう」
「……うん。昤ちゃん、久しぶり」
恥ずかしそうに前に出てくる。姉と違って控えめな性格なのだ。
「駿、俺と火の番するか」
「いいの?」
「大人はみんな、忙しそうだからね」
昤が亮を見ながら微笑うと、亮も助かったという顔をする。
「悪いけど、頼むよ、昤。松はどこ行っちゃったんだか……」
「いいよ、松さんは台所にいるんじゃないかな」
◇
駿と2人で竈門の番をした。ゆらゆら動く炎を見てると不思議と落ち着く。駿も炎に照らされながら興味深げだ。釜や煙突は熱くなるから触らないよう注意して、薪を焚べさせてみると、楽しかったようだ。表情がやわらいだ。
「駿、小学校はどう?たのしいか」
駿は俯き首を振った。
「なんだ、友だちいないのか」
「ちがうよぅ……なかよしのともだち、がっこうこないんだ」
「なんだ、病気かい」
「……こわいんだって」
登校拒否という言葉が流行りはじめているのは昤も知っていた。子供には子供の人間関係がある。炎を見つめたまま駿が呟いた。
「正太郎くん、学校に来ると見張られてる気がするんだって。」
しばらくの間、昤は口をきけなかった。頭の中でたった今聞いた言葉と安平のメールの内容が奇妙なほど一致していたからだ。ぐるぐる頭の中で言葉巡る。
「……ん、れ……ん……れいちゃん!」
隣で駿が心配そうにこちらを見ている。
「……あ、ごめん、ぼうっとしてた」
「駿、その友達、正太郎君だっけ、何に見張られてるの」
駿は少し迷ったような素振りを見せつつも、口を開いた。
「ネズミ、気がつくと真っ赤な目をしてじっと見てるんだって。」
「そろそろ炊けたかねぇ。あら、駿坊、ここにいたの」
祖母が釜を見て上出来上出来……と言うと、小遣いを渡してきた。
「昤、お赤飯食べたら駿坊連れてお祭に行っておいで。暗くなる前に帰って来るんだよ」
◇
大人の御膳には、焼いたサクラマスと百合根に甘じょっぱい餡のかかったもの、筍の煮物、炒り鶏、蕨の漬物に酒が出た。ここに昤たちの炊いた赤飯がつく。祭の日は親戚や友人と集まって酒を酌み交わすのが通例だった。昤と駿……子供たちは大人に挨拶をした後、台所で少し遅い昼ごはんを食べた。駿は赤飯に感動していて、毎日赤飯がいいと極端なことを言って昤を笑わせた。
駿が大人の御膳よりハンバーグやから揚げの方がおいしいから、お祭りのご馳走も変えたらいいのに……と自説を主張しはじめて昤をまた笑わせてると、亮が来て仕事に戻ると言った。市役所勤めの亮はお手伝いと称して夕方から動員をかけられているらしい。大好きな酒を我慢して出勤するのは、仕事とはいえ気の毒にみえた。
「昤、これで駿連れて祭回ってこい」
さっき、祖母から貰ったと云うと、
「正直者だなぁ。まぁ、今日はお祭だから貰っておきな」
と言って、昤の頭を撫でると出て行ってしまった。
◇
「わたあめ、たこやき〜♪ きんぎょすくって チョコバナナ〜♪」
駿のでたらめな歌を聴きながら歩道を歩く。祭の中心である神社、城址の公園、大正通りやその北側の銀座通りは祭の屋台と人でいっぱいだと亮が言っていた。人の多さに、普段どこにいるのかと昤はおどろいている。
「ねぇちゃん、かわいそうだな〜。火の番もお祭も来ないのに笛吹かなきゃならないなんて」
駿が咲月のことを思い出して笑ってる。咲月の吹奏楽部は駅の方からのパレードに動員されていた。駿は本当にかわいそうに思ってるのか分からないほど満面の笑みだ。何からまわるかと昤が尋ねると、
「まず、お参りする。それから考える」
さっきまで恥ずかしがってたのにきっぱり言い切った。
「お、偉いな。じゃあ、どんな店があるか見ながら行くぞ」
昤の言葉に駿は名案、名案〜♪とまたでたらめな歌を歌い出した。
◇
神社でお参りをして、わたあめと水ヨーヨーを買った。駿は頭にヒーロー物のお面を被っている。左手に持ったりんご飴を舐め、水ヨーヨーを片手に意気揚々と前を歩いてゆく。松が見てたらお説教を食らうだろう。昤も食べれなくも無いが、もう少し歩いてからにしようと考えていた。駿に買ってやった、アニメキャラの袋入りのわたあめを手に持って歩いている。
人混みを避けて路地に入って行くとやっと人の波から解放されて、昤はホッとした。ひと月前まで東京に住んでいたのに、この街に馴染んでしまったのだろうか。不思議と悪い気はしなかった。
城下町特有の狭くくねくねとした道をしばらく歩いた。角を曲がると駿が立ち止まっていて、昤は危うくぶつかりそうになった。見ると、5メートルほど先で5人の男が何か争っている。1人を囲んで4人の男が脅しをかけているところだった。駿を連れているのにまずいところに出くわした。
咄嗟に駿を背後に隠そうとした時だった。
「あ、ゆきこのにいちゃん……」
駿が呟いた。4人の男たちは高校生だろう。こちらに気がつくと、
「なんだよ、カモが増えちまった……」
高校生の1人がニヤニヤしながらこちらへ近づいてくる。金髪で襟足が長い。指にはやかましいくらい派手な指輪を嵌めている。その時、殴られている男と目が合った。三年生の宇佐美義一だ。手にはわたあめの袋が有るが、無残にも破けて中身が溢れ出ていた。もう食べるには適さないだろう。宇佐美はこちらも睨んでいる。昤からすると、俺が何をしたというのか、と迷惑でしかないが、問題は駿を連れてこの場をどう切り抜けるかだった。
近づいてきた男が駿のお面を取り上げようと手を伸ばした時、昤はその右腕を左手で掴んでいた。次の瞬間、男は悲鳴をあげていた。万力で絞り上げられてるような圧倒的な握力だった。見下ろしていたはずの中学生の前に両膝を落とし、頭を下げるような体勢になった。
「おまえ、中坊相手に何してんだ」
1番大きく100キロはあろう男と痩せているパーマを当てた男が、宇佐美から昤にターゲットを移した。昤も手を離して一歩前へ出る。痩せた男は空手でもやっているのか、上段蹴りはきれいに昤の側頭部に入った……はずだった。パシッと乾いた音が響き、昤の左手に右足首を掴まれた男は蹴り足を戻すことができないことに気づいた。次の瞬間、足首の骨が軋む音が体内から響く。声にならない悲鳴をあげていた。
大柄な男は、異変に気がつくと昤に向かってタックルを仕掛けた。男のイメージでは、生意気な中学生を地面に叩きつけられておしまい。だが、実際、昤はびくともしなかった。無造作に立っているだけだ。常識ではあり得ない完璧なタックルが効かないのだ。足に根が張っているような感覚。
昤の右手が顔を掴む。女のような小さな手だったが、男は自分の顔がくしゃくしゃに破壊されるイメージが頭をよぎりタックルを解いてしまっていた。次の瞬間腹の肉を左手で掴まれ、2メートルほどの高さに投げられていた。そのまま3メートル先に投げられ、男はアスファルトに叩きつけられた。
宇佐美は呆気にとられていたが、目の前の高校生がよそ見をしているのに気がつき、きれいなワンツーを目の前の男に決めた。高校生がきれいに尻餅をつく。
残った1人が、行くぞと声をかけて、高校生たちは這々の体で路地から逃げ去った。宇佐美が昤を見て、
「お前、それ……」
と指差した。昤の足下には高校生のものであろう革靴が落ちていた。蹴った高校生の忘れものだ。昤がブフッと笑うと宇佐美も笑っていた。




