第6話 報酬と収穫
◆受付嬢
冒険者ギルドでは、どんなクエストも一枚の依頼書から始まる。
誰が困っているのか。
何に困っているのか。
どれほど危険なのか。
そして、その危険を引き受けた冒険者に、何を支払えるのか。
最後の項目が空欄の依頼書は、掲示板へ張り出されない。
命を懸ける者に、善意だけを報酬として渡してはならない。それが、このギルドの決まりだった。
受付の内側へ座る前、私も冒険者だった。だから、報酬が単なる金額ではないことは知っている。それは、依頼人が危険を正しく理解しているという証明でもあった。
私が受付嬢になって七日目、一人の男が依頼書を持ってきた。
日に焼けた顔と、土の入り込んだ爪。首からは、古びた冒険者証を下げている。
バルド。四十七歳。元Dランク冒険者。
現在の職業は、フェルン村の村長だった。
「討伐依頼を出したい」
男は、受付台の上に依頼書を置いた。
報酬の欄だけが、空いていた。
◆依頼人
灰角猪が最初に現れたのは、麦の穂が出始めたころだった。
大人の背丈ほどある猪で、額から灰色の角が二本生えている。普通の猪なら、村の狩人でも追い払える。
だが、灰角猪の皮には矢が通らない。
一頭目が麦畑を荒らした。
二頭目が荷馬車をひっくり返した。
三頭目が村の狩人を殺した。
それから群れは七頭に増えた。
領主へ助けを求めたが、兵は国境の警備から戻せないと言われた。町の冒険者にも声をかけたが、村が払える額を聞くと、誰も首を縦に振らなかった。
冒険者だった俺には、彼らを責められない。
灰角猪七頭の討伐は、命を懸ける仕事だ。
だから、ギルドへ来た。
ここなら、正しい危険度と、正しい報酬を決めてくれる。
ただし、正しい報酬を払えるとは限らなかった。
◆受付嬢
私は聞き取った内容を、依頼書へ書き込んだ。
灰角猪、推定七頭。
人的被害、一名死亡、二名負傷。
農地被害、麦畑の六割。
主要街道、通行不能。
「Cランク相当です」
私は査定表を開いた。
「推奨人数は四名以上。最低報酬は金貨三十枚。依頼を掲示する前に、全額をギルドへ預けていただきます」
バルドは黙っていた。
「用意できますか」
「できない」
「では、ギルドの正式な依頼としては受け付けられません」
言いながら、胸が痛んだ。
けれど、ここで規則を曲げれば、危険を引き受ける冒険者へ、今度は私が嘘をつくことになる。
「報酬を下げられないか」
「危険度を下げることはできません」
「村に残っている金を全部集めても、金貨八枚だ」
「残りの二十二枚が必要です」
「今年の収穫は、もう半分以上やられた。借りる当てもない」
バルドは、空欄の報酬欄を見つめた。
「依頼を出せなければ、次の収穫を待つ前に、村がなくなる」
「では、次の収穫をいただきましょう」
声をかけたのは、ギルドマスターだった。
マスターは、いつからそこにいたのか分からない。いつものように穏やかな顔で、依頼書の空欄を覗き込んでいた。
「どういう意味だ」
「不足している金貨二十二枚を、ギルドの金庫から立て替えましょう。その対価として、フェルン村の来年の収穫をいただきます」
バルドの顔が強張った。
「来年に採れたものを、すべてギルドへ渡せということか」
「麦も、豆も、果実も。収穫したものは、すべて返済に充てていただきます」
「村の一年分と、金貨二十二枚が同じ価値だというのか」
「平年の収穫を町で売れば、手元に残るのは、およそ金貨二十二枚です」
「それでは、村人が飢える」
「そうなるかもしれません」
マスターは、まるで天気の話をするように答えた。
私は口を挟んだ。
「来年の収穫を失ったら、今助かっても意味がありません」
「今を助からなければ、来年の畑を耕す者もいませんよ」
バルドは、長い間、何も言わなかった。
やがて、首から下げていた古い冒険者証を握った。
「依頼を出してください」
「よろしいのですか」
「今を生き残れなければ、来年などない」
マスターは、依頼書とは別に一枚の契約書を取り出した。
ギルドが金貨二十二枚を立て替えること。
返済には、フェルン村の翌年の収穫すべてを充てること。
それを読んだバルドが署名すると、マスターは私に金庫の鍵を渡した。
私は奥の金庫から金貨二十二枚を運び、村が持参した八枚と一緒に数えた。それから、依頼書の報酬欄を埋めた。
報酬、金貨三十枚。預託済み。
◆冒険者
依頼書が掲示板へ張り出された日の午後、俺たちは四人で署名した。
Cランクパーティー《青鷹》。剣士二人、弓使い一人、治癒術師一人。
報酬は金貨三十枚。
依頼内容は、フェルン村周辺に出没する灰角猪七頭の討伐。
受付嬢は、目撃地点と被害の範囲を地図で説明した。討伐証明として、灰色の角を一本ずつ持ち帰ること。期限は十五日。追加個体が確認された場合は、帰還して再査定を受けること。
契約書の最後には、依頼人、ギルド、パーティー代表者の署名が並んだ。
俺は内容を読み返し、署名した。
報酬が預けられている。
危険度が明記されている。
何をすれば完了になるのか、誰にでも分かる。
だから俺たちは、命を懸けられる。
◆受付嬢
九日後、《青鷹》は七本の灰色の角を持って帰還した。
私は角の数と特徴を確認し、討伐証明書へ受領印を押した。
負傷者は一名。死者はなし。
クエスト完了。
預かっていた金貨三十枚を、パーティーの代表者へ渡した。
報酬を受け取った冒険者たちは笑い、バルドは何度も頭を下げた。
街道は再び開き、残った畑では収穫が行われた。
フェルン村は、その冬を越した。
◆依頼人
翌年の春、俺たちは畑を耕した。
実ったものを、すべてギルドへ渡すことは、最初から分かっていた。
だから若い者は冬のうちから町へ働きに出た。森で薪を切り、保存できる肉と穀物を買った。老人と子供を受け入れてくれる土地も探した。
それでも、村一つが冬を越すには足りなかった。
村を捨てる者が出ても、責めるつもりはなかった。
それでも、誰も畑を捨てなかった。
去年より深く土を起こし、種を選び、水路を直した。
◆ギルドマスター
私は、フェルン村の人々を見ていました。
神様ですから、見ようと思えば、どこにいる誰のことでも見えます。
けれど、見えることと、見守ることは少し違います。
若者たちは昼に町で働き、夜には村へ戻って畑を耕しました。老人たちは残された種を選り分け、子供たちは直したばかりの水路から石を拾いました。
実ったものが自分たちのものにならないと知りながら、誰も手を抜きませんでした。
来年などないと言った人々が、来年のために働いていました。
私は金庫から、フェルン村との契約書を取り出しました。
対価は変えません。
ただ、支払う時期を変えることにしました。
暇な神の、気まぐれです。
◆依頼人
芽は出た。
茎は伸びた。
花も咲いた。
やがて、麦の穂が重たそうに垂れた。豆の鞘が膨らみ、果樹の枝が実の重さでしなった。
去年よりも、よい出来だった。
誰も、契約のことを忘れてはいなかった。
収穫の日が来れば、このすべてを引き渡す。
俺たちは自分たちの食べる分を先に取ることもせず、刈り取った麦を村の広場へ積んだ。
最初の荷車がいっぱいになったころ、町からギルドの使者が来た。
使者が持っていたのは、見覚えのある契約書だった。
ただし、「翌年の収穫すべてをもって一括で返済する」という一文には、一本の線が引かれていた。
その下に、見覚えのない条件が書き足されていた。
今後五年間、各年の収穫の五分の一をもって返済に充てる。
利息は取らない。
俺は、同じ一文を何度も読み返した。
◆受付嬢
収穫を終えたころ、バルドがギルドを訪れた。
一年前より日に焼けていたが、背中はまっすぐに伸びていた。
「収穫の五分の一を、納めてきた」
「はい」
「残りで、村は冬を越せそうだ」
「よかったです」
バルドはうなずいたが、帰ろうとはしなかった。
「なぜ、契約を変えた」
奥で書類を読んでいたマスターが、顔を上げた。
「対価を減らしたわけではありません。一年分の収穫を、五年に分けていただくだけです」
「そういうことを聞いているんじゃない」
マスターは、少しだけ考える顔をした。
「来年などないと言っていた方々が、来年のために随分よく働いていたので」
それから、いつもの穏やかな顔で笑った。
「少し、興味が湧きました」
バルドは何かを言いかけ、結局、深く頭を下げた。
等価交換なのだと、マスターは言う。
差し出す量が同じなら、一度に失っても、五年をかけて支払っても、神様にとっては同じなのかもしれない。
けれど、一年分の収穫を失えば消えていた村が、五年分の季節を与えられた。
同じ対価でも、支払う時間が違えば、人間に残るものは同じではない。
その違いを慈悲と呼んでよいのか、ただの気まぐれと呼ぶべきなのか、私にはまだ分からなかった。




