↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
神様の依頼簿  作者: 寝る猫
第2章 異世界・ギルドマスター編
PR
10/11

第9話 脅威と日常

◆受付嬢


魔王がギルドへ来たのは、食堂を閉めたあとのことだった。


床に黒い魔法陣が浮かび、炎とともに大きな影が現れた。


天井に届きそうな二本の角。


黒い鎧。


背中には、人間一人ほどの幅がある大剣。


私は警報の鐘へ手を伸ばした。


「鳴らすな。鳴らせば、二百人ほど集まるぞ」


声だけで窓が震えた。


「承知しています。その二百人は、あなたを討伐するために来ます」


「それに困っているから来たのだ」


魔王は、受付台へ一枚の依頼書を置いた。


依頼内容。


魔王討伐クエストの取り下げ。


報酬欄には、魔王城と書かれていた。


「城をもらっても、ギルドでは使い道がありません」


私が言うと、魔王は少し傷ついた顔をした。


「眺めはよい」


「場所が遠すぎます」


「温泉も出る」


「先にお名前を伺ってもよろしいですか」


魔王は、ため息をついた。


「ヴァルガス。第十三代魔王ヴァルガスだ」


「ご職業は」


「今、言っただろう」


「申請書に必要ですので」


私がペンを構えると、奥の部屋から笑い声がした。


ギルドマスターは、魔王が来ることを知っていたらしい。


◆魔王


私は百八十七年、魔王をしてきた。


最初の五十年は、悪くなかった。


命令すれば軍が動いた。


人間の砦を落とせば、配下が歓声を上げた。


勇者が来れば、玉座の間で待っていればよかった。


七十年を過ぎたころから、同じことの繰り返しになった。


勇者を倒す。


勇者の弟子が来る。


弟子を倒す。


弟子の息子が来る。


こちらも将軍を任命する。


将軍は領地を欲しがる。


領地を与えると、隣の将軍と争う。


止めれば、魔王様は人間に甘いと言われる。


最近では、玉座に座っている時間より、仲裁の書状を書いている時間の方が長かった。


私は城の裏に、小さな畑を作った。


黒土芋と、夜豆と、地獄唐辛子を育てた。


戦況報告を聞くより、芽が出た数を数えている方が楽しかった。


だが、魔王が鍬を持つと、配下は新しい拷問器具だと思った。


収穫した芋で煮込みを作ると、毒見役が三人来た。


私は、ただ静かに暮らしたかった。


「魔王を辞めたい」


ギルドマスターに言うと、受付嬢はペンを止めた。


「退職届で済む話なのですか」


「済まなかったから、ここにいる」


◆ギルドマスター


魔王とは、種族の名ではありません。


魔族の王を名乗り、複数の国へ継続して軍事的な脅威を与えた者を、中央ギルドがそう認定します。


認定されれば、国境を越えて討伐依頼が共有される。


冒険者にとっては最高位のクエストであり、王国にとっては戦争を続ける理由になり、魔族にとっては従うべき力の証明になります。


つまり、よくできた肩書です。


「認定を取り消すことはできます」


私が言うと、ヴァルガスは大きな身を乗り出しました。


「本当か」


「ただし、脅威でなくなっていただきます」


私は、魔王認定書を机の上へ出しました。


「魔王として得た力。軍を従わせる命令権。配下を守る結界。あなたの名を聞いた者に恐怖を与える威圧。そのすべてをいただきます」


「力を失えば、配下に殺される」


「そうかもしれません」


「人間にも狙われる」


「魔王討伐クエストは終了しますが、個人的な恨みまでは消しません」


ヴァルガスは腕を組みました。


そのまま長いこと、動きませんでした。


「一つ聞く」


「どうぞ」


「畑を作る力は残るか」


「鍬を使うのに、魔王の力は必要ありません」


彼は魔王認定書へ署名しました。


黒い鎧から光が消えました。


大剣は床へ落ち、彼自身にも持ち上げられなくなりました。


天井近くまで伸びていた角は、山羊ほどの長さになりました。


受付嬢は中央ギルドの記録を開き、認定の末尾へ追記しました。


――対象者の脅威消失により、魔王討伐クエストを終了する。


魔王ヴァルガスはいなくなりました。


残ったのは、力のない大柄な魔族でした。


◆元魔王


魔王を辞めた翌朝、私は城へ戻った。


自分の転移魔法は、もう使えなかった。


ギルドマスターが、一度限り使える往復転移札を渡した。身の回りの品を引き取るためのものだと言った。


転移札を握ると、私は魔王城の正門前に立っていた。


正門の結界に弾かれた。


私が作らせた結界だった。


門番は、私を見ても槍を下ろさなかった。


「魔王様の偽物め」


「私が、その魔王だ」


「魔王様が、そのように小さな角であるはずがない」


私は畑に残した鍬だけでも返すよう頼んだ。


門番は、鍬を城壁の上から投げ捨てた。


こうして私は、城と軍と畑を同時に失った。


鍬を拾って転移札へ触れると、次の瞬間にはギルドの受付へ戻っていた。


町へ戻ると、ギルドマスターが二枚の書類を用意していた。


一枚目は、ギルド職員証。


名前、ヴァル。


種族、魔族。


所属、冒険者ギルド食堂。


職種、調理人見習い。


身元保証人、ギルドマスター。


二枚目は、自由都市ラトゥラの滞在・就労許可証。


雇用主、冒険者ギルド。


居住地、ギルド職員寮。


ラトゥラでは、魔族であることだけを理由に居住を拒まれることはない。


ただし、都市の外から来た者には、身元を保証する雇用主が必要だった。


かつて魔王と認定されていた者を保証したがる人間など、ギルドマスター以外にはいなかっただろう。


「私は料理人ではない」


「畑で採れた芋を煮込んでいたのでしょう」


「あれは趣味だ」


「まずは、まかないからお願いします」


食堂の裏には、住み込みの職員が使う小さな部屋も用意されていた。


受付嬢のエリナは、私に食堂の鍋と部屋の鍵を渡した。


私は黒土芋の代わりに普通の芋を使い、夜豆の代わりに白豆を使った。


地獄唐辛子は、一本だけ刻んだ。


最初に食べた剣士は、火を噴いた。


二人目は水差しを抱えて走った。


三人目は、涙を流しながらおかわりを求めた。


翌日から、食堂の前に列ができた。


◆受付嬢


魔王がいなくなれば、戦争も終わるのだと思っていた。


実際には、魔王軍が三つに割れた。


三人の将軍が、それぞれ自分こそ次の王だと名乗った。


王国軍は魔族の領土へ進み、奪い返した土地をどの貴族が治めるかで争い始めた。


魔王討伐依頼の代わりに、砦の奪還、街道の警護、難民の護送といった依頼が掲示板を埋めた。


小さな争いは、魔王がいたころより増えた。


私は、食堂で豆を刻んでいたヴァルに言った。


「あなたが辞めたせいで、戦争が広がっています」


「そうか」


「気にならないのですか」


「私は、世界を平和にしてくれとは依頼していない」


ヴァルは鍋の味を確かめ、塩を一つまみ足した。


「魔王を辞めたいと依頼しただけだ」


正しい返事だった。


それが腹立たしかった。


昼になると、冒険者たちが食堂へ集まった。


「ヴァル、今日の煮込みはまだか」


「昨日より辛くしてくれ」


「死なない程度にな」


かつて名を聞くだけで軍隊を震え上がらせた男は、木の匙を持って彼らを睨んだ。


「騒ぐな。煮崩れる」


冒険者たちは笑い、素直に席へ戻った。


恐れられることと、必要とされることは、よく似ている。


どちらも、自分がそこにいることで誰かの行動が変わる。


けれど、ヴァルはもう、その二つを取り違えてはいないようだった。


鍋が空になるたび、彼は魔王だったころには見せなかった顔で笑った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。