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第94話 ルークの青写真、焼けた鉄板と冷たい魔石

昼下がりの市場の裏通りには肉の脂が焼ける匂いが漂っていた。


 石畳の両側に低い屋根の店が並んでいる。鉄板の上で厚切りの肉が音を立てて反り返り煙が細く立ち上る。通りの奥からは槌を打つ乾いた音が響いていた。陽は高いのに路地は建物の影で肌寒い。頬に当たる風がほのかに獣脂の温かさを運んでくる。


「ここが王都で一番うまい串焼きの店だ」


 ルークが得意げに親指で店先を指した。赤毛が逆光で燃えるように見える。


「ルークさんが奢ってくれるの?」


「当たり前だろ。今日は俺が理恵さんを連れ回す番だ」


 そう言って笑う顔は少年のようで理恵も思わず笑ってしまった。


   ◇ ◇ ◇


 串を片手に二人は通りの端の石段に腰を下ろした。


 肉は牙狼種ではなく大角鹿のものだと店主が言っていた。噛めば脂の甘みが広がり遅れて香草の苦みが追いかけてくる。理恵は一口食べて目を丸くした。


「おいしい。下味に何か漬けてるね」


「分かるのか」


「うん。たぶん果実酒と香草。肉の臭みを抜いてる」


「さすがだな」


 ルークは自分の串を見つめて少し黙った。


「実はさ」


「うん」


「食堂をやるって言っただろ。あれ本気で考えてるんだ」


 彼は懐から折り畳んだ紙を取り出した。広げると下手くそな間取り図が描かれている。厨房。客席。奥に小さな倉庫。


「イアンが予算を見てくれるって言うから間取りだけは先に決めようと思って」


「字は汚いけど意外とちゃんと考えてるね」


「一言余計だぞ」


 口を尖らせながらもルークの目は真剣だった。


「狩猟もやりたい。獲った肉をそのまま出したい。ただ問題があってさ」


「問題?」


「肉は獲れても日持ちがしない。仕留めて半日で傷み始める。今までは野営で食い切ってたけど店となるとそうはいかない」


 理恵は串を持ったまま考えた。


「冷やす方法はないの」


「ある。《冷却の魔石》だ」


 ルークは腰の袋から青白い小さな石を取り出した。


 掌に載せると周囲の空気がひやりと冷える。石の内側で淡い光がゆっくりと脈打っていた。


「氷の属性を込めた魔石でこれを箱の底に敷けば中の物が冷える。王都の飲食店はどこもこれを使ってる」


「専属の魔術師を雇ってるの?」


「まさか。そんな余裕のある店は少ない。《充填屋》っていう商売があるんだ」


 ルークは石を指で弾いた。


「魔力が尽きた石を持っていくと術師が氷の魔力を込め直してくれる。店は空の石を渡して満ちた石と交換するだけだ。月ごとの契約で安く済む」


「それなら問題ないんじゃないの」


「王都ならな。俺がやりたいのは森の近くの店なんだ。獲物の近さが売りだから」


 ルークは頭を掻いた。


「充填屋は町にしかない。石の交換のたびに往復で半日かかる。人を雇えば金もかさむ」


「あ、そっか」


「だから自分で魔力を込められる術師が近くにいれば一番楽なんだけどな。イアンみたいな氷の属性が使える魔術師が」


「イアンさんは研究所を作るって言ってるしね」


「そうなんだよ」


   ◇ ◇ ◇


 串を食べ終えると二人は通りの鍛冶屋に立ち寄った。


 鉄の焼ける匂いと炭の熱気が顔を打つ。店の奥で髭面の鍛冶師が真っ赤な鉄塊を叩いていた。火花が散るたびにルークの目が輝く。


「見ろよ理恵さん。あの鉄板いい厚みだ」


「肉を焼く用?」


「ああ。均一に熱が回る鉄板があれば肉が生き返る」


 鍛冶師が手を止めて振り向いた。


「勇者様のお仲間さんかい」


「元だけどな」


 ルークは笑って答えたが少しだけ声が揺れた。


「もう戦わなくてよくなったんだ。だから次は」


 言いかけて彼は言葉を切った。


 理恵は何も言わずに鉄板を見つめるルークの横顔を見ていた。剣を握り続けた手の甲に古い傷跡が幾筋も走っている。その手が今は鉄板の厚みを確かめるように撫でていた。


「ルークさん」


「ん」


「いい顔してるよ」


「そうか?」


 ルークは照れたように鼻の頭を擦った。


「理恵さんにそう言われると調子に乗りそうだ」


   ◇ ◇ ◇


 帰り道の石畳を二人は並んで歩いた。


 夕陽が路地の奥まで伸びて屋根の瓦を橙色に染めている。ルークは間取り図を畳みながらぽつりと言った。


「ひとつだけ言っていいか」


「なに」


「厨房の真ん中にでかい作業台を置く予定なんだ。わざと」


「どうして」


「理恵さんが立ったときに広く使えるように」


 理恵は足を止めた。


 ルークは前を向いたまま続ける。


「帰るって決めたなら笑って送る。コリンが言ってたろ。俺も同じだ」


 その声は軽かった。けれど握った紙の端がわずかに皺になっている。


「でも作業台は置く。置いたままにする。誰も立たなくてもな」


「ルークさん」


「重いか? ごめんな」


 彼はようやくこちらを向いて眉を下げて笑った。


「でも言わずにはいられなかった」


 理恵はすぐには答えられなかった。喉の奥に熱いものが詰まって言葉が出てこない。


 やがて小さく息を吸った。


「ありがとう。重くないよ」


 それだけ言うのが精一杯だった。


   ◇ ◇ ◇


 宿の前に着くと入口の扉の脇に見慣れない黒い外套の男が立っていた。


 長身で痩せている。顔の半分を覆う布の隙間から鋭い目がこちらを射抜いた。


「ヴァルガさん?」


 理恵が声を上げると男は短く会釈をした。


「ゼクセル様がお二人にお会いしたいと仰せです」


「俺たちに?」


「正確には理恵殿に」


 ヴァルガの視線が理恵に向く。


「ゼクセル様は衰弱の間も理恵殿の粥だけは喉を通りました。薬も術も受け付けなかった御体がです」


 理恵の背筋が冷えた。


「ゼクセル様は問うておられます。魔力を持たぬ者の料理が魔力回路を動かした理由を知りたいと」


 ルークが理恵を庇うように半歩前に出た。


「会うだけだよな。変なことはしないよな」


「約束します」


 ヴァルガは頷いた。


「ただしゼクセル様は仰いました。理恵殿が帰る前に必ず伝えねばならぬことがあると」


 理恵の胸の奥で何かが静かに鳴った。


 今朝イアンが口にした仮説。その答えを知る人がいる。


 夕陽が三人の影を長く石畳に引き伸ばしていた。

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