第92話 それぞれの明日、決まっていく進路
王都の宿の食堂には、夜更けの静けさが降りていた。
卓の上に置かれたランプの灯りが、木の天板を柔らかく照らしている。冷めかけた茶の湯気が細く立ち上り、ほのかな薬草の香りが鼻先をかすめた。窓の外では平和を祝う灯りが、まだ遠くで瞬いている。
六人は円卓を囲み、順番に自分の明日を語り始めていた。
「じゃあ、俺からいくぞ」
ルークが腕を組んで胸を張った。
「故郷に帰って食堂を開く。狩猟もやる。獲った肉をそのまま客に出せる店だ」
「資金はどうする」イアンがすかさず尋ねた。
「王様がくれる褒賞で足りるはずだ」
「足りない」
「即答かよ」
「厨房設備と仕入れ先の確保、人件費まで計算に入れていないだろう」イアンは眼鏡を押し上げた。「俺が収支計画を作ってやる」
「お前、なんだかんだ優しいよな」
「合理的な協力だ」
その掛け合いに理恵は思わず笑った。
「僕は、故郷の村に治療院を作ります」コリンが続けた。「上級治癒術の勉強も続けたいので、母と一緒に始めるつもりです」
「村の皆さんも喜びますね」
「はい。それで」コリンは少し照れくさそうに耳を揺らした。「理恵さんのミルク粥の作り方、教えてもらえませんか。患者さんに出したいんです」
「もちろんです」理恵は頷いた。「蜂蜜の量まで全部書いて渡しますね」
「俺は研究機関の設立だ」イアンが言った。「人間と魔族の術師が共同で学べる場を作る。ゼクセル殿の協力を得られる見込みはある」
「協力する」魔王の名代として同席していたヴァルガが短く応じた。「陛下はすでに場所の選定を始めている」
「仕事が早いな」
「陛下は戦争が終わるのを、ずっと待っておられたからな」
その言葉に場が静かに和んだ。
「僕は」メルがいつもの調子で口を開いた。「魔族領に戻って兄上を支えるよ。政務の山が待ってるみたいだから、逃げ場がなさそうだけど」
「逃げるな」ヴァルガが即座に釘を刺した。
「ほら、もう怖いのがいる」
メルは大げさに肩をすくめた。だがその笑みの奥に、確かな覚悟と安らぎが滲んでいた。
◇ ◇ ◇
四人の話が終わったとき、食堂に短い沈黙が落ちた。
残るのは理恵とトビアスだった。
「トビアスは、どうするんだ」ルークが尋ねた。
「――まだ決めていない」
トビアスは静かに答えた。
「王からは何でも望みを言えと言われた。だが望むものが思いつかない」
「そのうち見つかりますよ」コリンが励ますように言った。
「ああ」
トビアスは小さく頷いた。その横顔には、以前のような重い陰りはなかった。ただ、まだ見ぬ何かを探しているような穏やかな戸惑いがあった。
「理恵さんは」コリンが遠慮がちに尋ねた。
「私は」
理恵は言葉を探した。
「フィオナさんが、三日後ならゲートを開けると言ってくれました」
その一言に全員の動きが止まった。
「三日後」ルークが小さく繰り返した。
「はい。それまでに、自分で答えを出します」
理恵は静かに五人の顔を見回した。
誰も引き止めなかった。誰も急かさなかった。ただそれぞれが、それぞれの形で理恵の言葉を受け止めていた。
「――分かった」トビアスが静かに言った。「あんたが決めたことを、俺たちは支える」
その言葉に理恵は目頭が熱くなった。
夜が更け、ランプの灯りがゆっくりと小さくなっていく。
六人で囲む食卓が、あと何度残されているのか。
その数を、理恵は初めてはっきりと数え始めていた。
(第93話へ続く)




