第86話 出陣の朝、魔王城を目指して
夜明けの丘は薄紫色の光に静かに包まれていた。
草の葉先に結んだ朝露が淡い光を受けて小さく瞬いている。冷えた空気を吸い込むと、肺の奥まで澄み渡るような感覚が広がった。遠くで名も知らぬ鳥の声が一声、高く響く。
理恵は荷物をまとめながら、その澄んだ朝の空気を胸いっぱいに吸い込んだ。
「――準備はいいか」
トビアスの声に六人と一人は、それぞれ頷いた。
「おう、いつでも行けるぞ!」ルークが大剣を担ぎ直しながら答える。
「僕も大丈夫です」コリンが薬草袋をしっかりと背負い直した。
「術式の調整、万全だ」イアンが水晶板を懐にしまい込む。
「――行こうか」メルが静かに、しかし確かな決意を込めて言った。
「道案内は任せてくれ」ヴァルガが先頭に立つ。
理恵は最後に、もう一度六人の顔を順番に見渡した。
その一人一人の表情に、これまでの旅の全てが詰まっているように感じられた。
丘を下り、魔王城へと続く道を一行は歩き始めた。
道中、ヴァルガが周囲を警戒しながら静かに告げた。
「――この辺りから魔王城の防衛結界の範囲に入る」
「防衛結界、ですか」理恵が尋ねる。
「城全体を覆う大規模な結界術式だ」ヴァルガが説明した。「本来は外敵の侵入を阻むためのものだが、今は俺が通行の許可を事前に得てある」
「宰相グレイヴの動きは」トビアスが尋ねた。
「依然、潜伏中だ」ヴァルガが答えた。「だが監視網に不審な魔力反応が時折観測されている。油断はできない」
「――もし、城の中で遭遇したら」イアンが険しい表情で続けた。
「その時は全力で対処する」トビアスが静かに、しかし確かな決意を込めて答えた。
道の途中、理恵はふと隣を歩くコリンに目を留めた。
その横顔には、これまでにない真剣な表情が浮かんでいる。
「――コリンさん」
「はい」
「緊張してますか」
「はい、正直」コリンは素直に答えた。「でも、不思議と怖くはないです」
「どうしてですか」
「――皆さんと一緒だから、だと思います」コリンは静かに微笑んだ。
その言葉に理恵は静かに頷いた。
一人なら、きっと恐ろしくて足がすくんでいただろう。だが、この六人と一人と一緒なら、どんな困難にも立ち向かえる気がした。
「――理恵さんは、どうですか」コリンが尋ね返した。
「私も同じ気持ちです」理恵は笑いながら答えた。「皆さんがいるから大丈夫だって思えます」
◇ ◇ ◇
やがて一行の前に、魔王城の正門が、その巨大な姿を現した。
黒曜石を思わせる門扉には複雑な紋様が刻まれている。近づくにつれ、重厚な魔力の圧が肌をひりひりと刺すように感じられた。
「――ここが」理恵は思わず足を止めた。
「全ての始まりと終わりの場所だ」トビアスが静かに告げた。
門の前で一行は一度足を止めた。
「――ここから先は」ヴァルガが静かに告げた。「俺が先導する。王国の勇者パーティーが正式な使者として入城することを、兵たちに周知させてある」
「ありがとうございます」理恵は頭を下げた。
「――最後に一つだけ」
トビアスが全員を見回しながら言った。
「何が起きても互いを信じろ。俺たちは、ここまで一緒に乗り越えてきた」
「――当然だろ!」ルークが力強く答える。
「僕たちは仲間です」コリンも頷いた。
その言葉に理恵の胸に確かな温かさが広がった。
この六人と一人となら、どんな真実が待っていても乗り越えられる。
その確信を胸に理恵はしっかりと前を見据えた。
「――行こう」
トビアスの声を合図に一行は、重い門扉の向こうへと足を踏み入れていった。
魔王城の内部は、以前訪れた時と変わらず、荘厳な空気に満ちていた。だが今日は、あの時とは違う、張り詰めた緊張が、確かに漂っている。
その先に全ての真実と全ての想いが交錯する最後の局面が待ち受けている。
理恵たちの長い旅の本当の意味が、今ここで試されようとしていた。




