第84話 国境にて、ヴァルガの決断
黒嶺領との国境に差し掛かる頃には、六人の足取りに、これまでとは違う確かな重みが加わっていた。
荒野を渡る風が乾いた土埃を薄く巻き上げている。遠く瘴気混じりの空気が鼻の奥にぴりりとした刺激を残した。地面を踏みしめるたび、硬い岩の感触が靴底から、じかに伝わってくる。
国境の標柱の傍らに、一つの影が静かに佇んでいた。
「――待っていた」
その声に六人は足を止めた。
漆黒の装束に身を包んだその人物は――《穿影将ヴァルガ》だった。
「ヴァルガさん」理恵が思わず声を上げる。
「ゼクセル様に、お目通りしてきた」ヴァルガは静かに告げた。「あなた方の言葉通りだった。私は長い間、騙されていた」
「それで、お前は」トビアスが慎重に尋ねた。
「ゼクセル様に仕えることを、改めて誓った」ヴァルガは淡々と答えた。「そして、宰相グレイヴの行方も追っている」
「――グレイヴの?」イアンが身を乗り出す。
「奴は黒嶺領の外れに潜伏している痕跡がある」ヴァルガは続けた。「おそらく、まだ何かを企んでいる」
「協力してくれるんですか」理恵が尋ねた。
「――借りを返す」ヴァルガは静かに答えた。「以前、あなた方を理由も知らず襲った。その詫びとして」
「それなら」トビアスが頷いた。「心強い」
「《隠形術》の扱いには長けている」ヴァルガは続けた。「魔王城への道中、護衛として同行しよう」
「よろしくお願いします」理恵が頭を下げた。
「――人間に頭を下げられるとは」ヴァルガはわずかに表情を緩めた。「不思議な気分だ」
◇ ◇ ◇
一行に加わったヴァルガを先頭に、六人と一人は黒嶺領の奥へと進んでいった。
「――魔王城までの最短ルートを知っている」ヴァルガが道を示しながら告げた。「《結界の道標》を使えば通常より半日は短縮できる」
「以前、メルさんも使ってましたね」理恵が思い出しながら言った。
「あれは俺たち魔族にとって昔からの知恵だからね」メルが答える。
道中、理恵はヴァルガの様子を、そっと窺っていた。
以前の感情を排した冷たさは、まだその声に残っている。だが、その佇まいにはどこか憑き物が落ちたような軽やかさが感じられた。
「――何か言いたいことがあるのか」
その視線に気づいたのか、ヴァルガが静かに尋ねてきた。
「いえ」理恵は慌てて首を振った。「ただ、以前より落ち着いて見えるなって」
「――真実を知る前は、いつも何かに追い立てられているようだった」ヴァルガは静かに答えた。「今は自分の意思で動いている。それだけで随分と違う」
「分かります」理恵は静かに頷いた。「自分で選んだ道って、しんどくても前を向けますよね」
その言葉にヴァルガはわずかに目を細めた。
「――あなたが噂の《食料供給源》か」
その呼び方に理恵は思わず苦笑した。
「それ、そろそろ訂正してもらえますか」
「失礼した」ヴァルガは珍しく律儀に言い直した。「――理恵殿」
「殿は、いらないです」
「では、理恵」
その短いやり取りに、少し離れた場所を歩いていたルークがくすりと笑った。
◇ ◇ ◇
夕暮れ近く、一行は魔王城を遠くに望む丘陵地帯に差し掛かっていた。
黒い尖塔が夕焼けの朱色を背に、くっきりと浮かび上がっている。その威容を前に理恵は改めて、これから待ち受ける決着の重さを実感した。
「――今夜は、ここで野営する」トビアスが告げた。「魔王城への突入は明日の朝だ」
「宰相グレイヴの動向は」イアンが尋ねる。
「兄上の部下が監視を続けている」ヴァルガが答えた。「大きな動きがあれば、すぐに連絡が入るはずだ」
野営の準備が整う頃、理恵はヴァルガの分の食事も忘れずに用意した。
「――これも、俺に?」
「仲間ですから」理恵は当然のように答えた。
「――ありがとう」
その短い礼の言葉に理恵は静かに微笑んだ。
魔王城を望む丘の夜は静かに更けていく。
新たな仲間を得て、六人と一人の旅はいよいよ最終局面を迎えようとしていた。
明日、彼らは全ての真実と全ての想いが交錯する場所へと足を踏み入れることになる。
その先に何が待っているのか、理恵にはまだその全てを知る由もなかった。




