↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
82/116

第82話 最後になるかもしれないので、何が食べたいですか

出立の朝を翌日に控えた夜、六人が囲む野営地は、王都の外れ、小高い丘の上にあった。


 眼下に広がる王都の灯りが夜空の星々と呼応するように、ちらちらと瞬いている。焚き火の爆ぜる音が静かな夜に、ぱちりと響いた。風が運んでくるのは冬の気配を含んだ、冷たく澄んだ匂いだった。


 理恵は鍋に手をかけたまま、しばらく動けずにいた。


「――あの」


 理恵は思い切って口を開いた。


「最後になるかもしれないので、聞いておきたいんです」


 その切り出し方に五人の表情が一瞬強張った。


「何が食べたいですか」


 その問いに、しばらく沈黙が落ちた。


「――おい、縁起でもないこと言うなよ」ルークが困ったように笑った。だが、その声には理恵の気持ちをちゃんと受け止めている響きがあった。


「でも、せっかくだから答えるか」


「俺は」ルークが少し考えてから言った。「最初の夜、あんたが作ってくれた、あのトマトと干し肉のスープ。あれがいいな」


「全部の始まりの味、ですね」理恵は静かに微笑んだ。


「ああ。あれがなかったら、今の俺たちはないからな」


「僕は」コリンが続けた。「あの夜食のミルク粥、お願いしたいです。母の味を思い出させてくれた、あれ」


「覚えてます」理恵は頷いた。「蜂蜜たっぷりで」


「はい」コリンは少し照れくさそうに笑った。


「俺は」イアンが眼鏡を押し上げながら言った。「あの質素なスープがいい」


「学生時代の、あれですか」


「ああ。今の俺にとっては、もう寂しい記憶の味じゃない」イアンは静かに続けた。「あんたと分かち合った記憶の味に変わったから」


 その言葉に理恵の胸が静かに熱くなった。


「僕は」メルがいつもの調子で、しかしどこか優しい声で言った。「理恵ちゃんと一緒に、紅胡椒を使った、あの煮込みをまた食べたいな」


「人間と魔族の料理を混ぜたやつ、ですね」


「うん。あれは僕にとって特別な意味を持つ料理になったから」


 その答えに理恵は静かに頷いた。


 四人の答えを聞き終えたあと、理恵は静かにトビアスの方を見た。


「――トビアスさんは」


 その問いにトビアスは、しばらく黙っていた。


「――君が食べたいもの」


 その答えに理恵は一瞬言葉を失った。


「それじゃ答えになってないですよ」


「――いや」トビアスは静かに続けた。「俺には特別な記憶の味というものがない。だから、あんたが今食べたいと思うものを作ってくれ。それが俺にとっての答えだ」


 その言葉に理恵は、しばらく何も言えなかった。


 やがて静かに頷く。


「――分かりました」


   ◇ ◇ ◇


 理恵は持っていた全ての食材を使い、大きな鍋で一つの料理を作り始めた。


 トマトと干し肉。ミルクと蜂蜜。質素な根菜。紅胡椒。


 それぞれの思い出が詰まった食材を一つの鍋に丁寧に重ねていく。


「――これは」


 完成した料理を見てルークが目を丸くした。


「皆さんの思い出を全部混ぜてみました」理恵は少し照れくさそうに笑った。「縁起でもないとか言わないでくださいね」


 六人はその大鍋を囲んで座った。


 誰も冒険のことは話さなかった。恋愛のことも世界の命運のことも。


 ただ、くだらない話だけをしていた。


「――あ、俺の肉!」


 ルークが鍋から肉を取ろうとした瞬間、コリンが素早くそれを横取りした。


「僕が先に見つけてました!」


「いや、俺が先に狙ってた!」


「子供みたいな喧嘩、やめてください」イアンが呆れたように口を挟む。「それより野菜をちゃんと食え。栄養が」


「分かってるって!」ルークが不満げに根菜を頬張った。


「――ふふ」


 メルがこっそりと、誰かの水筒からワインらしきものを盗み飲みしていた。


「メルさん、それ僕のです!」コリンが気づいて声を上げる。


「ばれたか」メルはいつものように軽く笑った。


 その賑やかなやり取りに理恵は思わず声を上げて笑った。


 そして理恵はふと気づいた。


 少し離れた場所で、トビアスが珍しく声を立てて笑っていた。


 その表情は、これまで見てきたどんな彼とも違っていた。


 賑やかな食卓の只中で、理恵はふと思った。


 ――この時間が終わるのが嫌だ。


 その想いは、これまでのどんな感情よりもはっきりと、強く理恵の胸に刻まれていた。


 だが、それが誰への想いなのか。


 理恵には、まだその答えを見出すことができずにいた。


 焚き火が静かに燃え続けている。


 王都の灯りが眼下に変わらず瞬いていた。


 明日、六人は魔王城へと向かう。


 この賑やかな食卓が最後になるのか、それとも新たな始まりの一夜になるのか、その答えはまだ誰にも分からなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。