第80話 廃坑の儀式、宰相の逃亡
王都南部の廃坑区画は、地の底から這い上がるような重い空気に満ちていた。
崩れかけた坑道の入り口から異様な紫色の光が微かに漏れ出している。空気には封魔銀特有の、鉄が焼けるような匂いが濃く漂っていた。地面を伝う振動が足の裏にじわじわと伝わってくる。
六人が坑道の奥へと駆け込むと、そこには想像を超える光景が広がっていた。
巨大な魔法陣が地下空間いっぱいに描かれている。その中心でグレイヴが両手を掲げ、詠唱を続けていた。
「――もう間に合わないぞ」
グレイヴの声には追い詰められた者特有の切迫した響きがあった。
「やめろ!」トビアスが剣を構えながら叫んだ。
「やめられるものか」グレイヴは詠唱を続けながら答えた。「私の全てを賭けた計画だ。この儀式が成れば、異世界から絶対的な力をこの場に呼び込める」
「――《大規模召喚術式》」イアンが険しい表情で魔法陣を見つめた。「まさか、初期に測定された理恵の固有波長の、あの記録を使っているのか」
「そうだ」グレイヴは静かに認めた。「護符が完成する前の、あの女の波長データ。ギルドの記録庫から、写しを手に入れる機会は幾度もあった」
その言葉に理恵は背筋が凍りつくのを感じた。今、身につけている護符も、あの頃の記録までは、消してくれない。
「呼び込むのは何なんだ!」ルークが怒りを込めて問いかけた。
「異世界に存在する、強大な軍事力の象徴だ」グレイヴは答えた。「それを、この国の兵器として取り込む。戦争を確実な勝利で終わらせるための最後の手段だ」
「そんなもの、成功する保証もない!」イアンが鋭く言った。「制御を失えば、この国そのものが危険に晒される!」
「――止める」
トビアスが静かに、しかし確かな決意を込めて告げた。
「メル、結界を!」
「了解!」
メルの結界が魔法陣の一部を覆うように展開される。
「イアン、コリン、術式の解除を!」
「――《封魔の楔》!」
イアンの放った光の楔が魔法陣の中心へと突き刺さった。
◇ ◇ ◇
魔法陣が激しく明滅する。
「まだだ! まだ終わらせない!」
グレイヴがなおも詠唱を続けようとする。だが、その声は次第に乱れ始めていた。
「――理恵、離れろ!」
トビアスの叫びに理恵は慌てて後方へと下がった。
その瞬間、魔法陣が大きく光を放って爆発した。
爆風が坑道全体を揺るがす。土埃が視界を白く染めた。
「――皆、大丈夫か!」
トビアスの声に、それぞれが無事を口々に答える。
土埃が晴れると、そこには崩れた魔法陣の残骸だけが残されていた。
グレイヴの姿は、どこにもなかった。
「――逃げたのか」ルークが周囲を見回しながら呟いた。
「儀式は止められた」イアンが水晶板の反応を確認しながら告げた。「だが、あの男はまた逃げ延びたようだ」
「――どこへ」理恵が震える声で尋ねた。
「痕跡が途切れている」フィオナが後から駆けつけ告げた。「追跡は難しいでしょう」
その報告に六人の間に複雑な空気が流れた。
「あの男の権限は、すでに停止されている」トビアスが静かに言った。「これ以上、大きな動きは取れないはずだ」
「それでも」メルが険しい表情で続けた。「まだ何か企んでいる気がする」
◇ ◇ ◇
王城に戻った六人は王に事の次第を報告した。
「――宰相の逃亡、承知した」王は静かに頷いた。「国中に手配をかける。だが、そなたたちの働きにより、この国は大きな危機を免れた」
「まだ油断はできません」トビアスが答えた。「あの男が次にどこへ向かうか」
「――魔王領、かもしれませんね」メルが静かにそう告げた。
その可能性に六人は静かに息をのんだ。
もしグレイヴが魔王領へ逃れ、さらなる破滅的な計画を企てているとしたら、その先に待つのは、これまでのどんな戦いよりも大きな決着になるだろう。
王都の空に夕暮れの光が静かに広がっていく。
だが、その穏やかな光景の裏で六人の旅は、いよいよその最終局面へと向かい始めていた。
次に彼らが目指す場所は、もはや明らかだった。
魔王城――そこで全ての真実と全ての想いが、決着を迎えることになる。




