第8話 謁見の間と、和やかならざる報告
王城の内部は、これまで理恵が見てきたどの建物とも違う、独特の緊張感に満ちていた。
磨き上げられた大理石の床は、足を踏み出すたびにひやりとした冷たさを伝えてくる。高い天井からは、色とりどりの硝子細工を通した光が、床の上に複雑な模様を描いていた。廊下の両脇には、歴代の王らしき肖像画が並び、その奥からは、微かに焚かれた香の匂いが漂ってくる。時折すれ違う兵士たちの鎧が、かちゃり、と硬質な音を立てた。
「――こっちだ」
トビアスに促され、理恵は緊張しながら廊下を進んだ。今日は「ごはん係」としてではなく、パーティーの正式な一員として、報告のための謁見に同行することになっている。
「私も、一緒に入っていいんでしょうか」理恵は小声で尋ねた。
「随伴登録者として、正式に名簿に載っている。問題ない」
「そう、なんですけど……なんか、場違いな気がして」
「あんたが場違いなら、俺たちも同じだ」トビアスは前を向いたまま、淡々と言った。「たかが飯係と、たかが剣士と魔術師の集まりに過ぎない」
その言い方に、理恵は少しだけ笑ってしまった。緊張が、わずかに緩む。
◇ ◇ ◇
謁見の間は、想像していたよりも簡素な部屋だった。玉座に座る王は、白髪の混じった壮年の男性で、疲れたような、それでいて鋭い目をしている。傍らには、地味な衣装に身を包んだ、痩せた男が控えていた。
「勇者トビアス、よく戻った」
「陛下におかれましては、ご健勝そうで何よりです」
トビアスの声が、これまで理恵が聞いたことのないほど、恭しく、隙のないものに変わっていた。
「戦況の報告を聞こう」
トビアスは、簡潔に、これまでの戦闘経過を報告していく。牙狼種の討伐、補給路の状況、そして――理恵のことにも軽く触れた。
「異世界からの転移者を、正式にパーティーへ加えました。戦闘には参加させておりませんが、後方支援として、隊の継戦能力向上に大きく貢献しています」
「異世界人、か」王の視線が、理恵に向く。「面を上げよ」
理恵は、緊張しながら顔を上げた。
「珍しいこともあるものだ。……フィオナから話は聞いている。転移研究の役に立ってくれているそうだな」
「あ、はい。まだ始まったばかりですが……」
「良い。存分に協力してやってくれ」
王の言葉には、思っていたよりも柔らかな響きがあった。理恵は、少しだけ肩の力を抜いた。
◇ ◇ ◇
「では、次の任務についてだ」
王の傍らに控えていた、痩せた男が一歩前に出た。
「宰相のグレイヴ様だ」トビアスが、小声で理恵に耳打ちする。
「勇者殿」グレイヴが、抑揚の少ない声で切り出した。「黒嶺領との国境付近、ノルド砦周辺で、魔物の活動が活発化しております。近く、大規模な進軍がある可能性も」
「進軍……ですか」
「まだ確定情報ではありません。ですが、警戒は必要かと」グレイヴは、書類をめくりながら続けた。「勇者パーティーには、ノルド砦への視察と、可能であれば魔物の巣の掃討をお願いしたい」
「承知しました」
「なお」グレイヴは、一瞬だけ、理恵に視線を向けた。「そちらの転移者殿については、危険地帯への同行は推奨いたしません。王都に残られる方が賢明かと」
その言葉に、トビアスの表情が、わずかに硬くなった。
「――検討します」
「そうしていただけると。……戦力にならぬ者を連れての遠征は、リスクでしかありませんので」
その一言に、理恵の胸の奥が、ちくりと痛んだ。分かっている。事実だ。だが、面と向かって言われると、思っていたより重く響いた。
◇ ◇ ◇
謁見を終え、王城の廊下を歩きながら、ルークが不満げに口を尖らせた。
「あの宰相、感じ悪いよな」
「戦略的に正しいことは言っている」イアンが冷静に返す。「危険地帯に非戦闘員を連れて行けば、護衛の手が余計にかかる。合理的な判断だ」
「合理的でも、言い方ってもんがあるだろ」
「言い方については、同意する」
珍しく、イアンとルークの意見が一致した。理恵は、その様子に小さく笑いながらも、心のどこかにグレイヴの言葉が引っかかったままだった。
「……理恵」
トビアスが、足を止めずに言った。
「今回は、王都に残ってくれ」
「はい、それは……分かってます」
「あんたを軽んじているわけじゃない」トビアスは、少し言葉を選ぶように続けた。「ノルド砦周辺は、本当に危険な場所だ。俺たちだけでも、被害が出る可能性がある」
「大丈夫です、ちゃんと分かってますから」
理恵は、努めて明るく答えた。だが、その声が、自分でも思っていたより小さかったことに、内心少し驚いた。
◇ ◇ ◇
その日の午後、理恵はイアンに連れられて、術師ギルド本部の一角にある通信室を訪れていた。
「見ておくといい」イアンが、部屋の中央に据えられた大きな水晶を指し示す。「これが、《遠見の魔道具》――前線との通信に使う装置だ」
「これで、遠くの人と話せるんですか」
「正確には、音声と簡易な映像を伝達する術式だ。ただし、魔力消費が激しいため、常時使えるわけじゃない。定時連絡と、緊急時のみに限定されている」
水晶が淡く光ると、その中に、ぼんやりとした人影と、砦らしき背景が浮かび上がった。
『――こちら、ノルド砦。定時連絡を送る』
声は、少し歪んでいたが、はっきりと聞き取れた。イアンが手早く応答し、状況を確認していく。
「これが、戦争を支えてる仕組みの一つなんですね」
「そうだ。……もっとも」イアンは、水晶の光を見つめながら、少し声を落とした。「この程度の距離でも、これだけ魔力を食う。もし、これがもっと遠く――例えば、世界と世界を繋ぐような通信になれば」
「異世界と、話せたりするんですか」
「理論上は、不可能じゃない。……だが、今の技術では、夢物語だな」
イアンは、そう言って肩をすくめた。だが理恵は、その言葉の中に、彼がまだ半分本気で可能性を探っているような響きを感じ取った。
◇ ◇ ◇
翌朝、理恵を残した五人は、ノルド砦へ向けて出立することになった。
王都の門の前で、理恵は見送りに立っていた。
「気をつけてくださいね」
「任せろ! すぐ戻ってくるから!」ルークが、いつもの調子で笑う。
「留守中、無茶な料理実験とかしないでくださいね」コリンが、少し不安げに念を押す。
「しませんよ、そんなの」
「僕たちがいない間、寂しくない?」メルが、からかうように笑う。
「寂しくなる暇があったら、買い出しでもしてます」
最後に、トビアスが理恵の前に立った。
「――何かあれば、必ずギルドを頼れ。無理はするな」
「はい。トビアスさんこそ、無理しないでくださいね」
トビアスは、一瞬だけ、何か言いたげに口を開きかけた。だが結局、それを言葉にはせず、ただ小さく頷いただけだった。
「行ってくる」
「行ってらっしゃい」
五人の背中が、王都の門をくぐって遠ざかっていく。
理恵は、その姿が見えなくなるまで、その場に立ち尽くしていた。
◇ ◇ ◇
残された数日間、理恵は術師ギルドに通いながら、フィオナの研究に協力する日々を過ごした。
だが、五人がいない食卓は、思っていたよりもずっと静かで、そして、思っていたよりもずっと落ち着かなかった。
「一人分のごはんって、こんなに味気ないんだ……」
誰もいない食堂で、理恵はぽつりと呟いた。
王都に来てから、まだ半月も経っていない。それなのに、あの騒がしい食卓が、もうこんなにも恋しい。
その事実に、理恵は、自分でも少し戸惑っていた。
◇ ◇ ◇
だが理恵はまだ知らない。
ノルド砦へ向かった五人が、そこで何を目にすることになるのかを。
そして、その体験が、これから戦争そのものの見え方を、六人全員にとって、少しずつ変えていくことになるということも。
王都の空は、静かに晴れ渡っていた。だがその遠く先――国境の砦では、これまでとは違う何かが、すでに動き始めていた。




