第76話 聖堂の裏道、司祭ダリウスの協力
王都聖堂の地下礼拝室は、地上の喧騒とは無縁の静けさに満ちていた。
石造りの壁に蝋燭の炎が揺れ、香の匂いが薄闇に溶けている。足元の石畳から湿った冷気がじわりと這い上がってきた。遠くで祈りの詠唱がかすかに反響している。
夜更け、六人は司祭ダリウスの導きでこの場所に集まっていた。
「――王城への抜け道がございます」
ダリウスは静かにそう告げた。
「抜け道、ですか」理恵が聞き返す。
「聖堂と王城は古くから地下で繋がっておりましてな」ダリウスは壁の一角に手をかざした。「歴代の司祭が王に内密の祈りを捧げるための秘密の通路です」
「そんなものがあったのか」トビアスが低く呟いた。
「宰相殿もこの存在はご存じありません」ダリウスは続けた。「聖堂の中でもごく限られた者だけが知る古い取り決めですので」
壁の石が重たい音を立てて動き、暗い階段が姿を現した。
「なぜ協力してくれるんですか」理恵が静かに尋ねた。
「勇者様が真実を求めておられるからです」ダリウスは穏やかに答えた。「それともう一つ。私は長年聖堂に仕えてまいりました。だからこそ勇者紋の在り方にはずっと疑問を抱いておりました」
「疑問、ですか」
「神の祝福を人を縛る鎖に変えてはならない。それが私の信条です」
その言葉にトビアスが深く頭を下げた。
「――感謝する」
◇ ◇ ◇
六人は蝋燭を頼りに暗い階段を降りていった。
壁には古い紋様が刻まれ、指で触れるとざらりとした冷たい感触が伝わってくる。足音だけが狭い通路にこつり、こつりと響いた。
「――この先が王の私室に近い区画です」
先導するダリウスの声が闇の中で低く響く。
「陛下は本当に体調を崩しておられるのですか」イアンが尋ねた。
「表向きはそうなっております」ダリウスは少し声を落とした。「ですが実際には宰相殿に面会を制限されているのです」
通路の突き当たりでダリウスは足を止めた。
「ここから先は私は同行できません」ダリウスは静かに告げた。「勇者様方だけでお進みください」
「ここまでありがとうございました」理恵が頭を下げる。
「ご武運を」ダリウスは穏やかに微笑んだ。「もし事が成らなくとも、私はあなた方の味方でございます」
◇ ◇ ◇
重い扉を押し開けると、そこは広い寝室だった。
豪奢な天蓋付きの寝台に一人の男が横たわっている。白髪の混じった痩せた男――かつて謁見の間で見たこの国の王だった。
「――陛下」
トビアスが小声で呼びかけた。
王はゆっくりと目を開けた。その瞳には以前の鋭さはなく、どこか焦点の定まらない濁った色が浮かんでいた。
「――勇者、か」
その声は掠れて弱々しかった。
「陛下、お体は」
「宰相が薬をくれる」王はぼんやりと呟いた。「飲むと楽になる。だが頭が霞むのだ」
「薬?」イアンが眉をひそめた。
イアンは寝台の脇の卓に置かれた小さな瓶を手に取った。蓋を開け匂いを確かめる。
「――これは」
イアンの表情が一変した。
「どうした」トビアスが尋ねる。
「弱い《精神鈍化》の薬草が混ぜられている」イアンは低く言った。「長期的に服用すれば判断力が著しく低下する」
その言葉に部屋の空気が凍りついた。
「――宰相が王を薬で」ルークが拳を握りしめた。
「これで謁見を拒んでいた理由がはっきりしたな」トビアスが低く、鋭く言った。
「陛下」理恵が寝台に近づき、王の手をそっと握った。「私たちはあなたに伝えなければならないことがあります」
王はぼんやりと理恵を見つめた。
「――聞こう」
その一言に六人は静かに息を整え、これまで集めた真実を語り始めた。
◇ ◇ ◇
六人の語りは夜明け近くまで続いた。
王はその間、何度も意識が朦朧としかけながらも必死に耳を傾けていた。
「――宰相が」王は掠れた声で絞り出した。「そうか。余は長い間盲目だったのだな」
「陛下」
「余にできることは何か」
その問いにトビアスはまっすぐに王を見つめた。
「――勅命をいただきたい。宰相の権限を停止するための」
だが王は力なく首を振った。
「今の余の署名では宰相府は従わぬだろう」王は悔しそうに続けた。「あの者は余の意識が霞んでいる間に、既に実権の多くを手中に収めておる」
「そんな」コリンが耳を垂らした。
「だが」王はゆっくりと体を起こそうとした。「薬さえ抜けば余にもまだできることがある。数日時間をくれ。その間に体を取り戻す」
その決意に六人は静かに頷いた。
聖堂へ戻る帰り道、東の空が白み始めていた。
王の回復。宰相の権限停止の勅命。それが実現すれば事態は大きく動くだろう。
だがその数日の間に宰相がこの動きに気づけば全てが水泡に帰す。
時間との勝負。そして王という切り札を守り抜く戦い。
六人の前に新たな、そしてより危うい局面が静かに姿を現し始めていた。




