第72話 世界を救ったら、何がしたいですか
王都郊外の丘は夕暮れの光に、一面橙色に染まっていた。
風が丈の低い草を撫でるたび、さらさらと乾いた音が響く。地面に座り込むと、まだ昼間の熱を残した土の温もりがじんわりと伝わってきた。遠くの空には鳥の群れが、家路を急ぐように黒い線を描いて飛んでいく。
六人は久しぶりに任務のない一日を、この丘で過ごしていた。
「――ねぇ、皆」
理恵がふと思いついたように切り出した。
「聞いてみたいことがあるんです」
「何だ?」ルークが寝転んだまま尋ねる。
「世界を救ったら、皆さんは何がしたいですか」
その問いに丘の上に、一瞬静かな沈黙が落ちた。
「俺は決まってる」ルークが真っ先に答えた。「故郷に戻って食堂を開く。あんたに教わった味を、たくさんの人に振る舞いたい」
「僕は」コリンが少し照れくさそうに続けた。「故郷に小さな治療院を作りたいです。お母さんと一緒に、村の人たちを支えられるような」
「俺は研究機関を作りたいと思っている」イアンがいつもの調子で言った。「人間と魔族、双方の術師が垣根なく学べる場所を。今回の一件で、そういう場所の必要性を痛感した」
「意外と壮大ですね」理恵が笑いながら言う。
「合理的な結論だ」
「僕は」メルが少し考えてから答えた。「魔族領に戻って兄上を支えたいな。これまで、ずっと離れて生きてきた分、これからは近くで」
「メルさんらしい答えですね」
「そうかな」メルはいつものように笑ってみせた。だがその笑みの奥に、確かな覚悟が滲んでいた。
四人の答えを聞いたあと、理恵は静かにトビアスの方を見た。
「――トビアスさんは、どうですか」
その問いにトビアスは、しばらく何も答えなかった。
夕陽が彼の横顔を静かに照らしている。その表情には、これまでの誰の答えとも違う深い戸惑いのようなものが浮かんでいた。
「――考えたことがない」
その一言に理恵は少し胸が痛んだ。
「本当に何もないんですか」理恵は慎重に尋ねた。
「――ない」トビアスは静かに続けた。「勇者になる。魔王を倒す。世界を救う。その先を想像したことが一度もなかった」
「それは」理恵は言葉を選びながら続けた。「これまでの人生で『その先』を考える余裕がなかったから、ですか」
「――そうかもしれない」トビアスは頷いた。「与えられた役割を全うすることだけを考えて生きてきた。その先に自分の望みがある、という発想自体が俺にはなかった」
「――でも、今は」理恵は優しく続けた。「少しは考えてみてもいいんじゃないですか」
「――そうだな」
トビアスは静かにそう答えた。だがその声には、これまでにない複雑な陰りが確かに滲んでいた。
密命のこと。勇者紋の真実。それらを、まだ誰にも打ち明けられずにいる自分に「その先」を語る資格があるのか。そんな迷いが彼の胸を静かに締め付けていた。
丘の上に夕闇が少しずつ広がっていく。
四人のはっきりとした未来への願い。
そしてトビアスだけが、まだ見出せずにいる自分自身の答え。
その対比が理恵の胸に、静かな、しかし確かな不安を残していった。
「――いつか、トビアスさんにも答えが見つかるといいですね」
理恵の言葉にトビアスは小さく頷いた。
丘を照らす夕陽が、静かに地平線の向こうへと沈んでいった。
その先に待つ六人それぞれの未来。
だが、その未来がこれから訪れる様々な試練を乗り越えた先にしか辿り着けないものであることを、この時の六人はまだ正確には理解していなかった。
特にトビアスの心の中には、まだ誰にも明かされていない大きな決断の時が、静かに、しかし確実に近づいていた。




