第70話 密命、そして勇者紋の真実
王都に戻った夜、宿の窓を、こつんと何かがつついた。
トビアスが窓を開けると、見覚えのある王城の紋章を刻んだ灰色の使い魔が、片脚に手紙を結びつけて止まっていた。羊皮紙特有の乾いた匂いが微かに漂ってくる。手紙を受け取ると、封蝋の冷たい感触が指先に伝わった。
トビアスはその場で静かに封を切った。
書かれていたのは、一文だけの、短い文面だった。
《魔王領潜入の件、報告により承知した。いかなる事情を得ようとも、討伐の方針に変更はない。魔王の事情にかかわらず、討伐を遂行せよ》
署名は宰相グレイヴのものだった。
自分たちが魔王城を訪れたことも、ゼクセルと言葉を交わしたことも、すでに、王国の耳に届いている。その事実に、トビアスは、背筋が冷えるのを感じた。
トビアスはしばらく、その文字を無言で見つめていた。窓の外では月明かりが石畳を静かに照らしている。
翌日、トビアスは一人、王都聖堂を訪れていた。
司祭ダリウスの部屋は以前と変わらず、香の匂いに満ちている。石造りの壁を通して伝わるひんやりとした冷気が肌を撫でた。
「――勇者紋について、詳しく知りたい」
トビアスの申し出に、ダリウスはしばらく考え込むような表情を見せた。
「――何か、あったのですかな」
「単なる確認だ」
ダリウスはしばらく躊躇したあと、古い書物を一冊取り出した。
「《ヴァリアント・シール》には本来の効果――身体能力や魔力抵抗の向上に加え、もう一つ明かされていない機能があります」
「――どんな機能だ」
「刻印者の生命力に、聖堂側が直接干渉できる回路です」ダリウスは静かに告げた。「本来は瀕死の勇者を緊急時に延命させるための、慈悲の術式とされています」
「――だが」トビアスの声が低くなった。「使い方次第では」
「――命を奪うことも、できます」
その一言に部屋の空気が重く沈んだ。
「勇者紋の管理権限は聖堂と王国上層部にのみ与えられています」ダリウスは続けた。「つまりその気になれば、勇者様の命はいつでも誰かの手で握られている、ということです」
「――なぜ今、それを俺に話す」
トビアスの問いに、ダリウスは静かに答えた。
「勇者様の目に、最近、何かを疑うような色が見えたからです」ダリウスは穏やかに続けた。「隠し続けることが必ずしも正しいとは思えませんでしたので」
聖堂を出たトビアスは、しばらく王都の空を見上げていた。
これまで当然のものとして受け入れてきた勇者紋。それが自分の生死を他者に握られている証だったという事実は、これまでのどんな戦いよりも深く心を抉るものだった。
宿に戻ったトビアスを理恵がいつものように迎えた。
「――お帰りなさい。どこか行ってたんですか」
「――少し、野暮用だ」
トビアスはそう答えると静かに視線を逸らした。
「顔色悪いですよ」理恵が心配そうに覗き込んでくる。
「――何でもない」
その素っ気ない返答に、理恵は少し寂しそうな表情を浮かべた。だがそれ以上は踏み込まなかった。
その夜、トビアスは一人、夜空を見上げながら思考を巡らせていた。
密命の内容も勇者紋の真実も、まだ誰にも話していない。
皆をこれ以上危険に巻き込みたくない。その思いがトビアスの口を固く閉ざさせていた。
だが、その沈黙がこれから理恵との関係にどんな影を落とすことになるのか、トビアス自身まだその答えを見出せずにいた。
王都の夜空に月が静かに、しかしどこか寂しげに輝いていた。
六人の旅は表面上の穏やかさとは裏腹に、これから大きな試練へと向かい始めていた。




