第69話 魔族の村、見えてきた日常
メルの案内で訪れた魔族の村は、これまでの理恵の想像とはまるで違っていた。
木造の家々が緩やかな斜面に沿って並んでいる。軒先には洗濯物が風にはためき、煙突からは夕餉の支度らしき煙が立ち上っていた。子供たちの笑い声が路地の向こうから聞こえてくる。漂う匂いは香辛料の効いた煮込み料理のものだった。
「――普通の村なんですね」
理恵は思わずそう呟いた。
「意外だった?」メルが少し寂しそうに笑った。
「はい、正直」
「皆そうだよ」メルは静かに続けた。「魔族って聞くと、恐ろしい怪物みたいなイメージがあるからね」
村の広場では一人の女性が子供たちに料理を教えていた。
「――あれは?」
「魔族領特有の香草料理だよ」メルが説明した。「《紅胡椒》っていう独特の香辛料を使うんだ」
「私も見てみたいです」
理恵が近づくと、女性は少し驚いたように、しかし温かく迎えてくれた。
「人間のお客さんかい」
「はい。料理に興味があって」
「珍しいねえ。まあ見てお行き」
「紅胡椒は加熱すると独特の甘みが出るんだよ」女性が鍋をかき混ぜながら説明してくれた。「人間の香草とはまた違う風味でね」
「食べてみてもいいですか」
「もちろんさ」
「――美味しい」
一口味わって理恵は思わず声を上げた。
「これ、人間の料理と組み合わせられないかな」理恵は考えながら呟いた。「例えば私の作る煮込みに、この紅胡椒を使ったら」
「面白い発想だね」メルが感心したように言った。「人間と魔族の料理を混ぜるなんて」
「境界なんて料理には関係ないので」理恵は笑いながら答えた。
その言葉に村の女性がしみじみと頷いた。
「――良いこと言うね、あんた」
◇ ◇ ◇
村を歩きながら、理恵は様々な光景を目にした。
父親らしき魔族が子供を肩車して笑っている。老夫婦が縁側で仲睦まじく茶を飲んでいる。若い夫婦が赤ん坊をあやしながら微笑み合っている。
それは人間の村と何一つ変わらない光景だった。
「――こんなに当たり前の暮らしがあるのに」理恵は静かに呟いた。「どうして戦争なんて」
「それが答えなんだと思う」メルが静かに言った。「戦争を望んでいるのは僕らじゃない。もっと別の誰かだ」
その夜、村の長老の家に招かれた六人は、初めて魔族の家庭料理を正式に振る舞われることになった。
「――人間の勇者様方が、ここまで来てくださるとはね」
長老は穏やかな笑みを浮かべながら料理を並べていく。
「兄上の客人だ」メルが説明した。「信頼できる人たちだよ」
「メルクリウス様が、そう仰るなら」
食卓に並んだのは紅胡椒を使った煮込み料理、見慣れない木の実を使った焼き菓子、そして魔族領特有の発酵させた飲み物だった。
「――美味い!」ルークが真っ先に声を上げた。「この煮込み、人間の味付けとはまた違う美味さだな!」
「香辛料の使い方が独特ですね」コリンも興味深そうに味わっている。
「この発酵飲料、成分が興味深い」イアンはいつもの調子で分析を始めていた。
その賑やかな食卓を見ながら、理恵は静かに思った。
人間も魔族も、こうして同じ食卓を囲めば何も変わらない。
その当たり前の事実が、これまでの戦争の意味を改めて理恵に問いかけていた。
――この当たり前の暮らしを守るために。
その思いが理恵の胸に確かな決意として芽生え始めていた。
村の夜空に、人間の国とは違う紫がかった月が静かに輝いていた。
だが理恵はまだ知らない。
この穏やかな夜の裏で、王国からのある密命が、すでにトビアスの元へと届こうとしていたことを。




