第63話 ご飯、冷めますよ
野営地の焚き火は、いつもより静かに燃えていた。
薪の爆ぜる音だけが重い沈黙の中に響いている。理恵が鍋を火にかけると、煮込みの湯気が夜気に溶けるように立ち上っていった。誰も言葉を発さない。焚き火を囲む六人の間に、これまでにない緊張が張り詰めていた。
「――話す」
沈黙を破ったのはメルだった。
「メル=サントスというのは偽名だ」
メルはこれまでの飄々とした笑みを消し、静かに語り始めた。
「本当の名前は、メルクリウス=ヴァル・ノクス」
「――ヴァル・ノクス」イアンがその名を低く繰り返した。「それは」
「魔王の実弟だ」
その一言に場の空気が凍りついた。
「――嘘だろ」
ルークが剣に手をかけながら低く呻いた。
「本当だよ」メルは静かに、しかしはっきりと答えた。
イアンが無言のまま杖をメルに向けた。トビアスは一瞬で、いつでも斬りかかれる位置へと身を移していた。
張り詰めた殺気が焚き火の周りに満ちていく。
「――待って」
その空気を破ったのは理恵だった。
全員の視線が理恵に集まる。
「……ご飯、冷めますよ?」
その一言に誰もが動きを止めた。
「理恵さん、状況分かってますか」ルークが困惑した声で言った。
「分かってます」理恵は静かに、しかしはっきりと答えた。「殺し合うなら食べてからにしてください」
その言葉に張り詰めていた空気が一瞬緩んだ。
「――理恵ちゃん」メルが驚いたように理恵を見た。
「メルさんが、これまで私たちに何か害を与えたことがありますか」理恵は静かに続けた。「一緒に旅をして、一緒にごはんを食べて。その時間が全部嘘だったとは私には思えません」
「だが魔王の弟なんだぞ」ルークがなおも食い下がる。
「だから何なんですか」理恵はまっすぐにルークを見つめた。「今まで一緒にいたメルさんが、いきなり別人になったわけじゃないですよね」
その言葉にトビアスの構えが、わずかに緩んだ。
「――理恵の言う通りかもしれない」
トビアスは低くそう呟いた。
「今、ここで感情的に動くのは得策じゃない」
イアンもしばらくの逡巡のあと、静かに杖を下ろした。
「――話を聞こう」
その言葉にメルは深く頭を下げた。
「――ありがとう」
張り詰めた空気の中、理恵はいつものように鍋の中身を器によそっていった。
「――冷めないうちに食べてください」
理恵の言葉に五人は複雑な表情を浮かべながらも、それぞれ器を受け取った。
誰もすぐには口をつけなかった。だがやがてルークが意を決したように一口すすった。
「――美味い」
その一言に場の空気がわずかに和らいだ。
沈黙の食卓が静かに続いていった。
誰も多くを語らない。だがその沈黙は敵意によるものではなく、これから語られる真実への緊張した予感によるものだった。
メルは器を手にしたまま、しばらくその温かさを確かめるように見つめていた。
「――こんな状況でも、ちゃんとごはんを作るんだね、理恵ちゃんは」
「作らないと始まらないので」
その答えにメルは静かに微笑んだ。だがその笑みには、これまでにない覚悟のようなものが確かに宿っていた。
食事を終えた頃、メルは静かに口を開いた。
「――全部話すよ。僕が、なぜ人間の側にいたのか」
その言葉に六人の間に流れる空気が大きく変わり始めていた。
これまでの旅の意味が今、静かに、しかし確実に新しい局面へと変わろうとしている。
夜空の下、六人はこれから語られる真実に耳を傾ける準備を静かに整えていった。
(第64話へ続く)




