第62話 言葉と地理、積み重なる違和感
翌朝、一行が進んだ先には、朽ちかけた石造りの廃村があった。
崩れた壁の隙間から、鈍い朝日が差し込んでいる。焼け跡らしき黒い染みが、あちこちの地面に残っていた。風が吹くたび、灰と埃の混じった匂いが、鼻先をかすめる。誰もいないはずの村に、なぜか、かすかな生活の気配だけが、まだ漂っているように感じられた。
「――ここ、地図にない村ですね」
コリンが、不安げに周囲を見回しながら言った。
「古い、魔族の集落跡だ」
その言葉に、全員が、メルの方を振り返った。
◇ ◇ ◇
「――なんで、それが、分かるんだ」
ルークが、探るように尋ねる。
「あ……いや」メルは、しまったという顔をした。「なんとなく、村の造りが、そんな感じがしただけだよ」
「なんとなく、で、地図にもない集落の素性が、分かるものなのか」
イアンが、眼鏡の奥から、鋭い視線を向けた。
◇ ◇ ◇
その日の午後、一行は、廃村の奥で、朽ちかけた石碑を見つけた。表面には、見慣れない文字が、びっしりと刻まれている。
「魔族語、ですよね」理恵が呟くと、イアンが頷いた。
「解読できる者は、王国にも、ほとんどいない。……専門の学者でも、時間がかかる代物だ」
その時、メルが、無意識のように、石碑の文字を、目で追い始めた。
「――ここには、水源を守れ、と」
その一言に、全員が、凍りついたように、動きを止めた。
◇ ◇ ◇
「――今、読んだのか」
トビアスの声が、これまでになく、鋭かった。
「あ」
メルは、自分の失言に、初めて気づいたように、表情を強張らせた。
「――読める、んですね。魔族語」
理恵の問いに、メルは、しばらく、答えなかった。
その沈黙こそが、何よりも、雄弁な答えになっていた。
◇ ◇ ◇
「説明、してもらおうか」
イアンが、静かに、しかし、有無を言わせない口調で告げた。
メルは、しばらく、俯いていた。だが、やがて、諦めたように、小さく息を吐いた。
「――もう少しだけ、待ってもらえないかな」
「――待てというのか、この状況で」ルークの声に、初めて、苛立ちが滲んだ。
「頼む」メルは、これまで見せたことのない、切実な表情で、頭を下げた。「話す。……ちゃんと、話すから。でも、今、ここじゃない」
◇ ◇ ◇
その懇願に、場の空気は、張り詰めたまま、静かに揺れ続けた。
「――分かった」
沈黙を破ったのは、トビアスだった。
「今夜、野営地で、全部、聞かせてもらう」
「――ありがとう」
メルの声は、これまでのどんな時よりも、弱々しかった。
◇ ◇ ◇
その日の残りの道中、六人の間には、これまでにない、重苦しい沈黙が続いた。
誰も、口を開かなかった。メルだけが、少し離れた場所を、俯きがちに歩いている。
理恵は、その背中を見つめながら、これまでの彼との日々を、静かに思い返していた。
軽口を叩き合った、あの気安い時間。
「聞かない方がいい」という理恵の言葉に、見せた、あの静かな笑み。
その全てが、嘘だったとは、理恵には、どうしても思えなかった。
◇ ◇ ◇
夕暮れが近づく頃、一行は、ようやく、今夜の野営地に到着した。
風が、乾いた草原を撫でていく。焚き火の準備をする理恵の手は、これまでにないほど、震えていた。
これから、メルの口から、一体、何が語られるのか。
その答えが、これまでの旅路の意味そのものを、大きく変えてしまうかもしれない。
その予感を、理恵は、確かに、抱いていた。
夕闇が、少しずつ、草原を覆い始めていた。




