第60話 戦闘より面倒な日常
王都近郊の中継地に着いた頃には、六人の間に、これまでにない奇妙な緊張感が漂っていた。
宿の食堂はいつもと変わらず賑わっている。焼きたてパンの匂いが漂い、隣の卓から食器の触れ合う音が聞こえていた。だが理恵たちの席にだけ、どこか気まずい沈黙が静かに漂っていた。
「――理恵さん、こっち座って」
ルークがさりげなく隣の席を勧める。
「いや、こっちの方が料理を配りやすいですよ」
イアンがすかさず反対側の席を示す。
「二人とも必死すぎ」
メルがいつもの調子でからかうように笑った。だがその笑顔の裏に、理恵は確かな緊張を感じ取っていた。
「――こういうの、面倒くさいな」
夕食後、理恵が片付けをしていると、ルークがぼやくように呟いた。
「面倒、ですか」
「いや、悪い意味じゃなくて」ルークは慌てて訂正した。「ただ、こう、みんなで変に気を遣い合うのが慣れなくてさ」
「私も正直、戸惑ってます」理恵は苦笑しながら答えた。「戦うことより、こういうことの方がよっぽど難しいです」
「分かる」ルークは大きく頷いた。「あの《穿影将》と戦った時より、今の方が緊張してるかもしれん」
その言葉に理恵は思わず笑ってしまった。
◇ ◇ ◇
「――皆で話し合う場を設けないか」
その提案をしたのは意外にもイアンだった。
「話し合い、ですか」
「このまま、それぞれが個別にあんたにアプローチし続ける状況は効率が悪い」イアンはいつもの調子で理屈を述べた。「一度、皆で率直に状況を共有した方がいい」
「イアンさんらしい提案ですね」
理恵の言葉にイアンは少し照れくさそうに眼鏡を押し上げた。
その夜、六人は改めて食卓を囲んだ。
「――まず言っておきたい」
トビアスが静かに切り出した。
「ルークも、コリンも、イアンも、それぞれの想いを理恵に伝えた。俺は、それを否定するつもりはない」
「トビアス、お前は」ルークが探るように尋ねた。
「――俺のことは、今はいい」
トビアスはそれだけ答えると視線を逸らした。その反応に理恵は胸がちくりと痛んだ。
「――僕も」
メルがいつものように軽い調子で口を開いた。
「今は、まだ何も言わないでおくよ」
「メルさんも何か事情があるんですよね」理恵が思い切って尋ねると、メルは一瞬表情を硬くした。
「――まあ、そんなところ」
その答えに理恵は、それ以上踏み込まなかった。
「――とにかく」コリンが場の空気を和らげるように明るく言った。「今は、みんなで、これまで通り仲良くやっていければ、それでいいんじゃないですか」
「そうだな」ルークも頷いた。「変にギスギスするのは俺も嫌だし」
「合理的な結論だ」イアンも同意した。
その言葉に理恵は静かに安堵の息を吐いた。
◇ ◇ ◇
「――理恵」
片付けが終わった頃、トビアスが静かに声をかけてきた。
「皆の想いを聞いて、どう思った」
「――嬉しいです、正直」理恵は素直に答えた。「でも、それ以上に戸惑ってます。こんなに大変なことになるとは思ってなかったので」
「――そうか」
トビアスはそれだけ言うと、また静かに視線を逸らした。
「トビアスさんは」理恵は思い切って尋ねてみた。「本当に、何も思ってないんですか」
その問いにトビアスは、しばらく答えなかった。
「――今は、まだ言えない」
その一言だけを残し、トビアスは静かにその場を後にした。
その夜、理恵は寝台の中で今日一日の出来事を静かに反芻していた。
三人分の、はっきりとした想い。
メルの、まだ明かされない事情。
そして、トビアスの「今は、まだ言えない」という意味深な言葉。
その全てが理恵の胸の中で複雑に絡み合いながら、静かに、しかし確かに重みを増していった。
――魔王を倒す旅より、よっぽど大変かもしれない。
その実感が理恵の中で、はっきりとした形を持ち始めていた。
だが理恵は、まだ知らない。
この複雑な感情の渦が、これから六人の関係をさらに大きく揺さぶる、ある真実の発覚へと繋がっていくということを。
王都近郊の夜は、いつもと変わらず静かに更けていく。
だが、六人の間に流れる空気は、もう以前と同じものではなかった。




