第59話 それってプロポーズですか
その日の野営地は、小川のほとりに設けられた。
水面を流れる音が、絶え間なく響いている。焚き火に炙られた薪から、ぱちぱちと小さな火花が立ち上り、夜風に乗って木の焦げる匂いを運んできた。地面に敷いた布越しに、川からのひんやりとした涼気が伝わってくる。
夕食の片付けを終えた頃、イアンが、珍しく、分厚い書物を抱えたまま、理恵の隣に腰を下ろした。
「――話が、ある」
「はい、何ですか」
イアンは、しばらく、咳払いを繰り返してから、ようやく口を開いた。
◇ ◇ ◇
「――統計的な観点から、話をしたい」
「統計、ですか」
「あんたと過ごすようになってから、パーティー全体の継戦能力は、明らかに向上している」イアンは、いつもの理屈っぽい口調で語り始めた。「栄養状態の改善、精神的な安定、魔力回復効率の向上……全ての数値が、それを裏付けている」
「それは、良かったです」
「つまり、何が言いたいかというと」イアンは、少し早口になった。「君との共同生活には、非常に、高い合理性がある」
◇ ◇ ◇
その言い回しに、理恵は、一瞬、きょとんとした。
「――それって」理恵は、思わず、口にした。「プロポーズですか?」
「――違う!」
イアンの声が、思わず、夜の野営地に響き渡った。
周囲で片付けをしていた他の四人が、一斉に、こちらを振り返る。
「……いや」
イアンは、そこで、急に、勢いを失った。
「――完全には、違わない!」
◇ ◇ ◇
その言葉に、遠くで聞いていたルークが、盛大に噴き出した。
「イアン、お前、自爆してんぞ!」
「うるさい、黙ってろ!」
イアンは、真っ赤になった顔で、そう言い返した。理恵は、その様子に、思わず、声を上げて笑ってしまった。
◇ ◇ ◇
「――すみません、笑ってしまって」
理恵は、笑いを堪えながら、謝った。
「いや……別に、いい」イアンは、眼鏡を押し上げながら、視線を逸らした。「言い方が、不器用だったのは、認める」
「不器用、というか」理恵は、優しく続けた。「イアンさんらしい、告白の仕方だったと思います」
「――告白、と認めるのか」
「認めます」理恵は、微笑んだ。「合理性の話から入るところ、すごく、イアンさんらしいので」
◇ ◇ ◇
「――正直に言う」イアンは、少し、落ち着きを取り戻したように、続けた。「理屈で説明しようとしたのは、素直な気持ちを、そのまま言葉にするのが、苦手だからだ」
「そうなんですか」
「昔から、感情を、うまく表現できない性質でな」イアンは、静かに続けた。「だから、代わりに、理論や、数値で、物事を語る癖がついた。……あんたに対する気持ちも、その例外じゃない」
その打ち明け話に、理恵は、静かに、胸を打たれた。
◇ ◇ ◇
「――でも」イアンは、まっすぐに、理恵を見つめた。「これだけは、はっきり言える。あんたと過ごす時間は、俺にとって、これまでのどんな研究成果よりも、価値のあるものだ」
その言葉には、これまでの回りくどい理屈とは違う、確かな真心が、込められていた。
「――ありがとうございます」理恵は、静かに、答えた。「その気持ち、ちゃんと、受け取りました」
「返事は」
「まだ、ちゃんと、考えさせてください」理恵は、正直に答えた。「ルークさんにも、コリンさんにも、同じことを、言ったので」
「――そうか」
イアンは、少し、寂しそうに頷いた。だが、その表情には、確かな納得の色も、滲んでいた。
◇ ◇ ◇
少し離れた場所で、その一部始終を見ていたメルが、小さく、呟いていた。
「――こう見えて、皆、勇気あるんだよな」
その言葉に、隣にいたトビアスが、静かに、視線を向けた。
「――お前は、どうする」
「僕?」メルは、いつものように、笑ってみせた。「僕は、まだ、その時じゃないかな」
その返答に、トビアスは、それ以上、何も聞かなかった。
◇ ◇ ◇
その夜、理恵は、川のせせらぎを聞きながら、今日交わした言葉の数々を、静かに反芻していた。
ルークの、まっすぐな告白。
コリンの、誠実な約束。
そして、イアンの、不器用ながらも確かな想い。
三人分の気持ちを受け止めた今、理恵の胸には、これまでにない、重く、しかし温かい実感が、確かに広がっていた。
残るは、メルと、トビアス。
二人が、これから、どんな形で、自分の気持ちと向き合うのか――理恵には、まだ、その答えを、知る由もなかった。
小川のせせらぎが、静かな夜に、絶え間なく響き続けていた。




