第54話 私の答え
宿の裏庭には、朝から乾いた風が吹き抜けていた。
物干しに並んだ洗濯物が、ぱたぱたと軽い音を立てて揺れる。干し草に似た匂いが、風に混じって漂ってきた。石畳を踏む足の裏に、朝日でほんのり温まった感触が伝わってくる。理恵は籠を抱えたまま、しばらくその場に立ち尽くしていた。
昨夜は、ほとんど眠れなかった。
「――理恵さん」
声をかけてきたのはコリンだった。心配そうに耳を垂らしている。
「大丈夫ですか。あんまり眠れてなさそうでしたけど」
「ちょっと、色々考えちゃって」
理恵は、正直にそう答えた。
◇ ◇ ◇
その日の午後、六人は宿の食堂に集まり、改めて話し合いの場を持った。
「――理恵、答えは出たか」
トビアスが静かに尋ねる。
「まだ、迷ってます」理恵は率直に答えた。「早く帰った方が、皆さんも安全になる。それは分かってるんです。でも」
「でも?」
「まだ、ここでやり残したことが、たくさんある気がして」
その言葉に、ルークが身を乗り出した。
「じゃあ、まだいてくれるのか!」
「そう単純な話でもないんです」理恵は苦笑した。「私がいる限り、皆さんが危険に晒され続けるのも、事実なので」
◇ ◇ ◇
「――一つ、提案がある」
イアンが、いつもの理屈っぽい口調で切り出した。
「触媒として利用されるリスクは、あんたの魔力波長が、外部から読み取られることで生じる。……逆に言えば、波長を隠蔽できれば、リスクは大幅に減らせるはずだ」
「波長を、隠す方法があるんですか」
「《魔力遮蔽の護符》というものがある」イアンは続けた。「本来は貴重で高価な代物だが、術師ギルドの協力を得られれば、作製は可能だと思う」
その提案に、場の空気が、わずかに緩んだ。
◇ ◇ ◇
「それなら」メルが、いつもの調子を取り戻したように言った。「無理に帰還を急がなくても、対策のしようがあるってことだね」
「絶対安全とは言えない」イアンは釘を刺した。「だが、選択肢が増えるのは、悪いことじゃない」
「僕も、賛成です」コリンが頷いた。「理恵さんに、無理してほしくないので」
◇ ◇ ◇
「――俺は」
トビアスが、静かに口を開いた。
「あんたが、まだここにいたいと思うなら、その気持ちを、全力で守りたい」
その言葉に、理恵の胸が、大きく震えた。
「危険は、消えない。それでも、あんたの選択を、俺たちは支える」
◇ ◇ ◇
理恵は、五人の顔を、もう一度、順番に見つめた。
誰一人として、理恵に決断を急かす者はいなかった。ただ、それぞれの形で、理恵の意思を、静かに待っている。
「――もう少しだけ」
理恵は、震える声で、そう告げた。
「もう少しだけ、皆さんと一緒にいさせてください。護符のこと、お願いしてもいいですか」
「任せろ」イアンが、力強く頷いた。
◇ ◇ ◇
その夜、理恵は、久しぶりに、穏やかな気持ちで眠りについた。
答えは、まだ完全には出ていない。危険も、消えたわけではない。
それでも、この六人と、もう少しだけ一緒にいたいという願いを、自分の意思で選び取れたことに、理恵は静かな安堵を覚えていた。
王都の夜は、変わらず、穏やかに更けていく。
だが、その裏で進む、魔王軍の真の狙いと、迫りくる《転界の触媒》という謎は、まだ、その全貌を明かしていなかった。




