第51話 対策会議、探知の陣づくり
国境の詰所に併設された訓練場は、朝から、術式の実験らしき緊張感に包まれていた。
地面には、複雑に絡み合う魔法陣が、白墨のような粉で、幾重にも描かれている。空気には、魔力の残滓特有の、鼻の奥にツンとくる匂いが、うっすらと漂っていた。理恵が足を踏み入れると、陣に触れかけた指先に、ぴりりとした、小さな痺れが走った。
「――《対隠形探知の陣》の基本構造は、こうだ」
イアンが、地面の陣を指しながら、説明を始めた。
「複数人の魔力を、一つの陣に同調させる。同調した魔力は、周囲一帯に、薄く広がる網のようなものを作る」イアンは、続けた。「隠形の術式は、気配と魔力を『消す』ものだが、完全な無ではない。……この網に触れれば、わずかな乱れとして、感知できる」
「網に、引っかかる感じなんですね」理恵が言うと、イアンは、頷いた。
「そうだ。……ただし、同調させる人数が多いほど、網は広く、精密になる。逆に、一人でも、魔力の質がずれていると、網そのものが、不安定になる」
「じゃあ、練習、必要だな」ルークが、腕を組みながら言った。
「その通りだ」イアンは、頷いた。「今日一日、この陣を使って、全員の魔力を、同調させる訓練をする」
「僕、あんまり、こういう繊細な術式、得意じゃないんですけど」コリンが、少し不安げに耳を垂れさせる。
「精密な制御より、意識を合わせることの方が、重要だ」イアンは、コリンを見ながら言った。「皆で、同じ呼吸で、同じ速さで、魔力を流す。……それだけで、いい」
◇ ◇ ◇
最初の試みは、あっさりと失敗に終わった。
「――ズレてるな」
イアンが、水晶板に浮かぶ、乱れた波形を見ながら、呟いた。
「誰のせいだ?」ルークが、周囲を見回しながら尋ねる。
「特定の誰か、というわけじゃない」イアンは、首を振った。「――皆、それぞれの『間』で、魔力を流している。それを、揃える必要がある」
「言うは易し、だな」
ルークが、ぼやきながら、額の汗を拭った。
何度目かの失敗のあと、理恵は、ふと、あることを思いついた。
「――もしかして、私も、一緒にやってみたら、どうでしょう」
「あんたが?」イアンが、意外そうに尋ねる。
「私、戦闘には使えない魔力ですけど……生体魔力は、あるはずですよね」理恵は、続けた。「もしかしたら、基準になる『核』みたいな役割、できないかなって」
その提案に、イアンは、少し考え込んだ。
「――理論上、あり得るな」イアンは、頷いた。「あんたの波長は、以前の検査で、異様に安定していると、分かっている。……その安定性が、皆の魔力を揃える『芯』になるかもしれない」
◇ ◇ ◇
その仮説は、すぐに試されることになった。
理恵が、陣の中央に立ち、五人が、それを取り囲む形で、魔力を流し始める。
「――理恵ちゃんの魔力、確かに、分かりやすいね」メルが、感心したように言った。「揺らぎが、少ない、っていうか」
「私、適性がないから、逆に、変な癖もないんですかね」
「かもな」
その試みは、これまでで最も、安定した結果を生んだ。
「――同調率、七割を超えた」イアンが、水晶板を見つめながら、驚いたように言った。「これまでの、倍近い数値だ」
「やった!」コリンが、嬉しそうに声を上げる。
「理恵さんが、いてくれるだけで、こんなに違うんだな」ルークが、感心したように、理恵を見た。
その称賛に、理恵は、少し照れくさそうに、頬を緩めた。
「戦えなくても、こうやって、役に立てる方法が、まだあったんですね」
理恵が、静かに呟くと、トビアスが、その言葉を、静かに受け止めた。
「――当然だ」
「トビアスさん?」
「あんたの価値は、戦えるかどうかで、決まるものじゃない」トビアスは、まっすぐに理恵を見つめながら、続けた。「今日、それを、また一つ、証明しただけのことだ」
その言葉に、理恵の胸が、静かに、しかし確かに、温かくなった。
◇ ◇ ◇
一日の訓練を終える頃には、陣の同調率は、九割近くにまで、達していた。
「――これなら、次にヴァルガと相対しても、対抗できる」イアンが、満足げに言った。
「よっしゃ、あとは、あいつを、返り討ちにするだけだな!」ルークが、拳を打ち鳴らす。
「油断は、するな」トビアスが、静かに釘を刺した。「あの将は、これまでの敵とは、次元が違う。……この陣があっても、簡単な相手ではない」
その言葉に、六人の間に、改めて、緊張感が戻った。
その夜、理恵は、今日の訓練の成果を、静かに噛みしめていた。
戦えない自分にも、こうして、仲間を守るための一助になれる方法がある。
その事実は、これまでの無力感を、少しずつ、しかし確かに、癒していくものだった。
だが、この探知の陣が、実際に、あの《穿影将ヴァルガ》を相手に、通用するのか――その答えは、まだ、これからの戦いの中でしか、確かめられない。
国境の夜は、静かに更けていく。
そして、その静けさの向こうで、次なる対峙の時が、確かに近づいていた。




