第50話 そういう正論が一番腹立つんです
野営地に近づくと、焚き火の灯りが木々の隙間から漏れて見えた。
薪の爆ぜる匂いが夜風に混じって届いてくる。地面を踏む足音がいつもより速く、荒くなっているのを、理恵は自分でも感じていた。
「――理恵さん?」
最初に気づいたのはコリンだった。焚き火を囲んでいた四人が驚いたように振り返る。
「戻ってきたのか!」ルークが勢いよく立ち上がった。
理恵はその声には答えず、真っ直ぐに火の傍らに座るトビアスを見据えた。
「――トビアスさん」
理恵の声にトビアスがゆっくりと顔を上げた。
「戻ったのか」
「はい。……言いたいこと、あって」
トビアスは静かに立ち上がった。二人の間に、他の四人が息をのんで見守るような緊張した空気が流れる。
「安全より私の意思を優先するとか馬鹿なんですか!」
理恵の声が夜の野営地にまっすぐ響いた。
◇ ◇ ◇
「――君が決めたんだろう」
トビアスの声はいつもと変わらず静かだった。だが、その静けさが今の理恵には余計に腹立たしく感じられた。
「そういう正論が一番腹立つんです!」
理恵は拳を握りしめながら続けた。
「私が自分で決めたことでも、危険だって分かってるなら止めるのが普通じゃないんですか」
「――止めれば良かったのか」
「そうですよ!」
「――だが」トビアスは少し苦しげな表情を浮かべた。「あんたが自分の意思で決めたことを俺が力ずくで覆すのは、あんたを一人の人間として扱っていないことになる」
「そんな理屈、今、必要ないんです!」
理恵の声が震えた。
「私は、ただ……ちゃんと引き止めてほしかっただけなんです」
その一言に、トビアスの表情が大きく揺らいだ。
「――俺は」
トビアスはしばらく言葉を探すように沈黙した。
「本当は、行かないでほしかった」
その言葉に理恵は思わず息をのんだ。
「一睡もせずに見張りをしてた、ってイアンさんから聞きました」
「――そうだ」
「なら、どうして」
「あんたを失うことよりも」トビアスは静かに、しかし確かな声で続けた。「あんたの気持ちを踏みにじることの方が、俺には怖かった」
その言葉に、理恵の中でこれまでの怒りが少しずつ別の感情へと変わっていくのを感じた。
「――馬鹿ですね、本当に」
理恵は目に涙を滲ませながら小さく笑った。
「私も馬鹿でした。……本当は、みんなと一緒にいたかったのに」
「理恵」
「もう、抜けるなんて言いません」
理恵ははっきりとそう告げた。
「でも次からは、ちゃんと止めてください。……私の意思より、皆さんの安全と気持ちを、優先してほしいです」
トビアスはしばらく理恵を見つめていた。
やがて彼は、これまで見せたことのない確かな安堵の表情を浮かべた。
「――分かった」
その短い返事に、理恵は静かに頷いた。
◇ ◇ ◇
「――おい、いつまで俺らのこと放置する気だ!」
ルークの声に、理恵とトビアスは揃って気まずそうに振り返った。焚き火の向こうで四人が、それぞれの表情で二人を見つめている。
「お帰り、理恵ちゃん」メルがいつもの調子を取り戻したように微笑んだ。
「――ただいま」
その一言に、四人の顔に確かな笑顔が戻った。
その夜、理恵は久しぶりに、六人での食卓を囲んだ。
「――良かった、戻ってきてくれて」コリンが耳を揺らしながらしみじみと言った。
「心配、かけました」
「次からは、勝手に抜けるとか言うなよ」ルークが頬を膨らませながら釘を刺す。
「言いません」
その約束に、五人がそれぞれの調子で頷いた。
「――今後の対策なんだが」イアンがいつもの調子で話を切り替えた。「ヴァルガの隠形を破る手段を考える必要がある」
「何か良い方法、あるんですか」理恵が尋ねると、イアンは真剣な表情で答えた。
「《対隠形探知の陣》というものがある。複数人の魔力を同調させて、広範囲の隠密魔力を強制的に炙り出す術式だ。準備には時間がかかるが、次に遭遇したときはこれで対応する」
「私にも何かできることはありますか」
その問いに、トビアスが静かに答えた。
「――今まで通り、ここにいてくれれば、それでいい」
その言葉に、理恵は静かに、そして確かに微笑んだ。
◇ ◇ ◇
王都へと戻る旅は、こうして再び六人揃って続いていくことになった。
あの日の対峙を経て、理恵とトビアスの間には、これまでとは違う確かな信頼が生まれていた。
だが、まだ油断はできない。
《穿影将ヴァルガ》の脅威は消えたわけではない。そして理恵を狙う、その真の目的も、まだ明らかになっていなかった。
夜空の下、六人の旅は新たな決意とともに再び動き出していく。
その先に待つ、さらなる試練の存在を、理恵はまだ知らなかった。




