第49話 イアンの追跡、明かされた真実
街道の中程まで進んだ頃、後方から馬の蹄の音が慌ただしく近づいてきた。
振り返ると砂埃を巻き上げながら一頭の馬が駆けてくるのが見えた。乗り手の姿には見覚えがある。理恵は思わず足を止めた。
「――理恵!」
馬を降りたイアンは息を切らしながら理恵の前に立った。眼鏡が汗でずり落ちかけている。普段の落ち着いた彼からは想像もつかない余裕のない姿だった。
「イアンさん、どうして」
「話がある」イアンは荒い呼吸の合間にそう告げた。「――このまま、あんたを行かせるわけにはいかない」
護衛の兵士たちに少し離れてもらい、理恵とイアンは街道の脇で向き合った。風が乾いた土埃を二人の間に運んでくる。
「聞いてほしい」イアンは呼吸を整えながら切り出した。「ヴァルガの狙いについて新しい情報が入った」
「新しい情報?」
「あいつが、あんたを呼んだ《食料供給源》という言葉。あれは比喩じゃない」イアンは険しい表情で続けた。「魔王軍の一部には、異世界からの転移者が持つ特殊な魔力波長を利用する術式があるという記録が術師ギルドの調査で見つかった」
◇ ◇ ◇
「私の波長を?」
「詳しい用途までは分かっていない」イアンは首を振った。「だが、あんたが単なる一般人ではなく重要な標的として、すでに認識されているのは確かだ」
その言葉に理恵の背筋が冷たくなった。
「――だから、あんたが一人で王都に向かうのは、むしろ危険だ」イアンはまっすぐに理恵を見つめた。「護衛はついているが、ヴァルガほどの隠形の使い手にとって、この程度の人数は大した障害にならない」
「じゃあ、どうすればいいんですか」理恵は震える声で尋ねた。「一緒にいても離れても危ないなら」
「――少なくとも、俺たちと一緒にいる方がまだ対処のしようがある」イアンは静かに答えた。「昨日の戦闘は確かに苦戦した。だが対策を練り直せば次は違う」
「――トビアスさんは」
理恵は思い切って尋ねた。
「本当に、私が抜けることに賛成してるんですか」
その問いにイアンは少し言いにくそうな表情を浮かべた。
「――違う」
「――どういうことですか」
「あいつは昨夜、あんたが出発したあと、ずっと一人で見張りに立っていた」イアンは続けた。「一睡もせずにな」
「それは」
「あいつは本当は止めたかったはずだ」イアンは静かに、しかしはっきりと言った。「だが、あんたが自分の意思で決めたことを無理やり覆すのは、あんたの意思を踏みにじることになる。トビアスは、それを何よりも避けたかった」
「それだったら」理恵の声が震えた。「素直に止めてくれれば良かったじゃないですか」
「――俺もそう思う」イアンは頷いた。「だが、あいつなりの不器用な誠実さなんだろう。あんたの選択を尊重するという形でしか示せなかった」
その言葉に、理恵の中で昨夜からずっと燻っていた何かが急速に熱を帯び始めた。
◇ ◇ ◇
「――冗談じゃない」
理恵は拳をぎゅっと握りしめた。
「安全よりも私の意思を優先するなんて、そんなの本末転倒じゃないですか」
「理恵」
「戻ります」
理恵ははっきりとそう告げた。
「このまま行きません。ちゃんと本人の口から聞かないと気が済まないので」
その決意に満ちた表情に、イアンは少しだけ安堵したように頷いた。
「――その方がいい」
理恵は護衛の兵士たちに事情を説明し、イアンとともに来た道を引き返し始めた。
夕暮れの光が街道を赤く染め上げていく。その光景はこれまで何度も見てきたはずなのに、今日はまるで違う色に見えた。
「――怒ってるんだな、理恵」
馬を並べて歩きながらイアンが静かに言った。
「怒ってます、正直」
「珍しいな、あんたがそんなに感情を露わにするのは」
「これくらい怒ってもいいと思います」理恵は前を見据えたまま続けた。「安全よりも私の意思を優先するとか……本当に馬鹿なんですかって言いたいです」
その言葉にイアンは思わず小さく笑った。
「――言ってやれ、直接」
「言います」
夜が近づく街道を、理恵は確かな足取りで歩き続けた。
これまで守られることしかできない自分に無力感を覚えていた。だが今、理恵の胸にはこれまでとは違う確かな意志が燃え始めていた。
トビアスに直接ぶつけなければならない言葉がある。
その思いだけを胸に、理恵は野営地へと続く道を急いだ。
だが理恵はまだ知らない。
この対峙が、これから彼女とトビアスの関係を決定的に変えることになるということを。
夕闇の中、二つの影が野営地の灯りを目指して静かに、しかし確かな速さで進んでいった。




