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第5話 王都アルシェイン、初めての冒険者証

王都アルシェインの城壁は、遠くから見ていた印象よりもずっと大きかった。


 白い石を積み上げた壁は優に十数メートルの高さがあり、その表面には長い年月を経た風化の跡が、幾筋もの筋となって刻まれている。近づくにつれ、壁の向こうから立ち上る煙や、賑やかな喧騒が風に乗って届き始めた。焼けた肉のにおい、香辛料の匂い、そして人の熱気――町とは比べ物にならない密度の生活の気配が、鼻の奥にまで届いてくる。


 大門をくぐると、視界が一気に開けた。


 石畳の大通りは、ミレイユの町の何倍もの幅があり、荷馬車がひっきりなしに行き交っている。両側に立ち並ぶ建物は三階、四階建てが当たり前で、看板の文字も色とりどりに装飾されていた。遠くには、白亜の尖塔がいくつも空へ突き出しているのが見える。あれが王城だろうか、と理恵は目を細めた。


 石畳を踏む足の裏に、硬く均された感触が伝わる。ミレイユの町よりもさらに滑らかに整備された道だった。耳には、絶え間ない喧騒――物売りの声、荷馬車の車輪の音、遠くで鳴る鐘、そして無数の話し声が、幾重にも重なって届いてくる。


「すごい……」


 理恵は思わず立ち止まり、辺りを見回した。


「異世界人の目には、そんなに珍しく映るものか」トビアスが隣で言う。


「はい。異世界に来て、こんなに大きな街を見たのは初めてです」


「賑やかすぎて、逆に疲れるけどな」ルークが肩を回しながら言った。「俺は森の方が性に合ってる」


「脳筋め」イアンが呆れたように言う。「王都には、学術院も術師ギルドもある。学びたいことがある者にとっては、こここそが最高の場所だ」


「イアンさんは、王都、詳しいんですか」理恵が聞くと、イアンは軽く頷いた。


「学生時代、術師ギルド附属の学院に通っていた。……もっとも、卒業してからは、こんな形で戻ってくるとは思わなかったが」


   ◇ ◇ ◇


 六人が最初に向かったのは、大通りから少し外れた場所にある、石造りの大きな建物だった。入口には〈冒険者・術師ギルド アルシェイン支部〉と刻まれた看板が掲げられている。


「まずは、理恵の登録をしておきたい」トビアスが扉を押し開けながら言った。「身分証がないと、この国では何をするにも不便だ」


 中に入ると、受付カウンターの向こうに、忙しく立ち働く職員たちの姿があった。壁一面には、様々な依頼の張り紙が貼られ、待合スペースには武装した冒険者らしき人々が座っている。


「勇者様!」


 受付の女性職員が、トビアスの姿を見るなり、慌てて奥から責任者らしき人物を呼びに走った。すぐに、恰幅の良い中年の男性が現れる。


「これはこれは、トビアス様。此度もご無事で何よりです」


「世話になる。今日は、こちらの登録に来た」


 トビアスが理恵を示すと、支部長らしき男性の視線が理恵に移った。


「ほう……失礼ですが、こちらの方は」


「異世界からの転移者だ。俺たちのパーティーに正式に加わった」


「異世界の……! これはまた、珍しい」


 支部長は興味深そうに理恵を見つめると、すぐに手続き用の水晶板を用意させた。


「では、簡易鑑定を行います。手をこちらに」


 理恵が水晶板に手を触れると、淡い光とともに文字が浮かび上がる。


 ――《種族:人間/職業:なし/特性:なし》


「……以前と、変わりませんね」


「はい、これは以前も出た結果です」イアンが横から補足する。「戦闘適性は皆無だが、俺たちのパーティーには支援職として加わっている」


「支援職、ですか」支部長は顎に手を当てた。「うちの分類には、通常、戦闘系の適性ランクしかないのですが……」


 冒険者ギルドの分類は、Fランクから始まり、Sランクまでの六段階で構成されているという。剣術、魔法、体術――何らかの戦闘技能を持つ者を、その練度に応じて格付けする制度だ。理恵のように、戦闘適性が完全にゼロという例は、実のところそう多くない。


「戦えない者が、パーティーに正式加入する例は、稀にありますが」支部長は、少し考えるように言った。「多くは、輸送や事務仕事を担う契約者として、ランク外の《随伴登録》という形を取ります。今回は、それで対応しましょう」


「随伴登録……ですか」


「はい。戦闘には参加しない代わりに、責任もパーティーの契約者――この場合はトビアス様が負う形になります。よろしいですか」


 トビアスは、迷いなく頷いた。


「構わない」


 その即答に、理恵は少しだけ胸の奥が温かくなるのを感じた。


   ◇ ◇ ◇


 手続きが済むと、理恵の手元には、小さな銀色のカードが渡された。表面には、彼女の名前と、《随伴登録者・アルシェイン支部》という文字、そして淡く光る紋様が刻まれている。


「これは……」


「冒険者証だ」支部長が説明する。「身分証明として使えるほか、この国の各施設で提示すれば、様々な便宜を受けられます。宿の割引、市場での取引証明、関所の通過許可など」


「魔法か何かが込められてるんですか」


「ええ。カードに刻まれた紋様には、簡易な生体認証の術式が組んである。所有者以外が使おうとしても、機能しない仕組みです」


 理恵は、そのカードを両手で受け取り、しげしげと見つめた。


 異世界に来て、まだ数日。それでも、こうして自分の名前が刻まれたものを手にすると、不思議な実感が湧いてくる。


 ――自分は、この世界に、確かに存在している。


 その感覚は、日本にいた頃には、あまり意識したことのないものだった。


   ◇ ◇ ◇


 ギルドを出たあと、支部長は最後に、こんなことを付け加えた。


「そういえば、トビアス様。術師ギルドの本部で、少し前から《転移現象》に関する研究が進められているという話をご存知ですか」


「……詳しく」


「異世界からの漂着者や、逆に異世界へ迷い込んだ者を巡る事例を集め、法則性を探る研究だそうです。まだ実用段階には程遠いと聞いていますが……」支部長は、理恵の方をちらりと見た。「もしかすると、そちらの方のお役に立てるかもしれません」


 その言葉に、理恵の胸が、小さく跳ねた。


「本当ですか」


「あくまで、噂程度の話ですが。……本部の方に、興味を持たれた学者がいるとかいないとか」


 トビアスの表情が、わずかに硬くなったのを、理恵は見逃さなかった。だが、それがどんな感情によるものなのか、この時の理恵にはまだ分からなかった。


   ◇ ◇ ◇


 その夜、王都の宿に落ち着いた六人は、久しぶりに広い食堂で食卓を囲んだ。厨房を借りる交渉も、ミレイユの町で一度経験しているだけあって、理恵の口上はずいぶんとこなれたものになっていた。


「随伴登録、おめでとうございます!」コリンが、ジョッキ代わりの木の器を軽く掲げる。


「大したものじゃないですけどね」理恵は苦笑しながら、鍋に具材を足していく。


「いや、大したものだって」ルークが力強く言った。「異世界人が、こんな短期間で正式に冒険者証もらうなんて、聞いたことないぞ」


「それは、俺たちが後押ししたからだろう」


 珍しく口を挟んだのは、トビアスだった。


「俺たちの契約者としての推薦がなければ、あそこまで簡単には通らなかった」


「それでも、理恵さんが自分で示したものがあったから、ですよ」イアンが眼鏡を押し上げながら言う。「支援職としての実績がなければ、そもそも推薦の意味がない」


「褒めてます? けなしてます?」


「褒めている」


 その素っ気ない返しに、理恵は思わず笑った。


   ◇ ◇ ◇


 賑やかな食卓の隅で、メルだけが、少し違うことを考えていた。


 ――転移現象の研究、か。


 術師ギルド本部。異世界研究。その言葉の並びに、メルは微かに眉をひそめた。


 誰にも明かしていない自分だけの事情が、その響きの奥で、静かに疼いている。理由は、自分でもまだうまく言葉にできない。ただ、なんとなく――知られたくない何かに、少しだけ近づかれたような、そんな居心地の悪さだった。


「メル、どうかした?」


 理恵に声をかけられ、メルはすぐにいつもの笑顔を作った。


「いや、何も。理恵ちゃんの料理に見惚れてただけだよ」


「怪しい」


「本当だって」


 その笑顔の裏で、メルの思考は、まだ静かに巡り続けていた。


   ◇ ◇ ◇


 夜が更けたあと、理恵は宿の窓から、王都の夜景を眺めていた。


 石造りの街並みに、無数の灯りが灯っている。あの一つ一つに、この世界で生きる人々の暮らしがあるのだと思うと、不思議な気持ちになった。


「――帰りたい、と思うか」


 いつの間にか、隣にトビアスが立っていた。


「……分からないです、正直」理恵は素直に答えた。「帰りたい気持ちも、ないわけじゃないです。家族もいますし、仕事も、途中で放り出したままですし」


「だが」


「でも、今は、まだこの世界でやることがある気がして。……変な感覚ですよね」


 トビアスは、しばらく黙って夜景を見つめていた。


「変じゃない」


 それだけ言うと、彼はまた、いつもの静けさを纏って窓の外を見つめ続けた。


 その横顔に、理恵はふと、昨夜見た「勇者紋」への反応を思い出す。あの時感じた微かな緊張と、今のこの静けさが、どこかで繋がっているような気がしてならなかった。


   ◇ ◇ ◇


 王都での日々は、こうして静かに幕を開けた。


 だが、理恵はまだ知らない。


 術師ギルド本部で進められているという《転移現象》の研究が、そう遠くないうちに、彼女の運命を大きく揺さぶる知らせへと繋がっていくことを。


 そして、その知らせを聞いた夜の食卓に、これまでにない、重い沈黙が流れることになるということも。


 王都アルシェインの夜は更けていく。六人の物語は、まだ始まったばかりだった。

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