第46話 新たな任務、不穏な影
王都郊外の街道は、朝霧に包まれていた。
乳白色の霧が地面すれすれを、ゆっくりと這うように漂っている。木々の輪郭が、その霧の向こうにぼんやりと滲んで見えた。踏みしめる草は朝露をたっぷりと含み、足を進めるたびにひんやりとした湿り気が靴を通して伝わってくる。遠くから、鳥の羽ばたく音がくぐもって聞こえてきた。空気には、これまでにない張り詰めた冷たさが混じっているように感じられた。
王都での穏やかな日々を経て、六人は再び、新たな任務のため街道を進んでいた。
◇ ◇ ◇
「――今回の任務、少し様子が違う」
出発前、トビアスが珍しく硬い表情で説明していた。
「様子が違う、って?」ルークが怪訝そうに尋ねる。
「黒嶺領との国境付近で、魔王軍幹部の一人が動いているという情報が入った」トビアスは続けた。「――《穿影将ヴァルガ》」
「穿影将?」理恵が聞き慣れない単語に首を傾げる。
「暗殺と奇襲を専門とする、魔王軍の中でも特異な立場の将だ」イアンが補足した。「《穿影》という名の通り、影に潜み、隠密行動に長けた術式を得意とする」
◇ ◇ ◇
「――隠密行動用の術式なんですか」
理恵が尋ねると、イアンは頷いた。
「《隠形術》と呼ばれる、気配と魔力を極限まで抑える術式だ。……熟練者になると、警戒結界すら、すり抜けることがあるらしい」
「警戒結界を、すり抜ける?」
「完璧な隠密には完璧な察知が必要だ。だが術者の技量が上回れば、その均衡は容易く崩れる」イアンは険しい表情で続けた。「――厄介な相手だ」
◇ ◇ ◇
「――なんで、そんな相手が動いてるんだ」ルークが腕を組みながら尋ねる。
「詳細は不明だ」トビアスは静かに答えた。「だが、これまでの統率の取れた敵の動き……その延長線上に、この将がいる可能性は高い」
その言葉に理恵は、以前見た捕虜の証言や洞窟の瘴気溜まりの異常を静かに思い出した。
「――何かを企んでるんですね、確実に」
「ああ」
◇ ◇ ◇
「理恵は、今回も後方支援だ」トビアスが理恵の方を見ながら言った。「危険な相手だからこそ、より慎重に動く」
「分かってます」
理恵は素直に頷いた。だが、その胸の奥には、これまでにない微かな不安が静かに芽生え始めていた。
◇ ◇ ◇
街道を進むうち、霧は少しずつ晴れていった。だが、その晴れやかな空とは裏腹に、六人の間には、これまでにない緊張感が静かに漂い続けていた。
「――理恵さん、大丈夫ですか」
コリンが心配そうに声をかけてきた。
「はい、大丈夫です。……ただ、少し」
「不安、ですよね」
「そう、かもしれません」
理恵は素直に頷いた。
◇ ◇ ◇
「――そういう時こそ」
メルが、いつもの調子で、しかし確かな真剣さを滲ませながら言った。
「僕らが、ちゃんと守るから」
「メルさん」
「これでも防御術師だからね」メルは笑いながら続けた。「理恵ちゃんに、指一本触れさせない」
その言葉に理恵は、少しだけ心が軽くなるのを感じた。
◇ ◇ ◇
「――俺も」
トビアスが静かに、しかしはっきりと言った。
「何があっても、あんたは守る」
その一言に、理恵の胸が大きく高鳴った。
だが同時に、理恵の中には、これまでにない小さな覚悟のようなものも静かに芽生え始めていた。
――もし自分が、彼らの足枷になるようなことがあったら。
その時、自分はどうするべきなのか。
その問いの答えを、この時の理恵はまだ見出せずにいた。
◇ ◇ ◇
夕暮れ、一行は国境近くの小さな中継拠点に到着した。
石造りの詰所には、緊張した面持ちの兵士たちが忙しく行き交っている。壁に貼られた地図には、《穿影将ヴァルガ》の目撃情報が、赤い印でいくつも書き込まれていた。
「――ここ数日、あちこちで目撃情報が相次いでいる」駐留隊の隊長が地図を指しながら説明した。「だが、いずれも実際に接触する前に、姿を消している。……まるで様子を見られているような」
その言葉に、理恵は背筋がひやりとするのを感じた。
◇ ◇ ◇
「――何を狙ってるんだ」ルークが地図を睨みながら呟く。
「分からない」隊長が首を振る。「ただ、目撃情報の場所を辿ると……勇者パーティーの移動経路と、奇妙に一致している」
その言葉に、六人の間にこれまでにない重い沈黙が流れた。
◇ ◇ ◇
「――俺たちを狙ってるってことか」
ルークの問いに、トビアスはしばらく無言だった。
「――可能性は、ある」
その答えに理恵は、思わず五人の顔を一人ずつ見回した。
ルークの、いつになく引き締まった表情。
コリンの、不安げに垂れた耳。
イアンの、険しい眼差し。
メルの、いつもと違う静かな真剣さ。
そして、トビアスの、これまで以上に張り詰めた気配。
この六人の日常が、これから大きな試練に直面しようとしている。
その予感を、理恵は確かに肌で感じ取っていた。
◇ ◇ ◇
夜、詰所の一室に、六人は静かに身を寄せ合っていた。
窓の外には、月一つない暗い夜が広がっている。その暗闇のどこかに、まだ姿を見せない敵の影が潜んでいるのかもしれない。
その事実が、理恵の心に、これまでにない重い緊張としてのしかかっていた。
だが理恵はまだ知らない。
この不穏な予感が、これから六人の関係を、そして彼女自身の存在意義を、根底から揺るがす大きな試練へと繋がっていくということを。
国境の夜は、静かに、しかし確かな緊張を孕みながら更けていく。




