第42話 甘いミルク粥、コリンの故郷
王都までの道中、一行は、小さな中継の宿場町に立ち寄っていた。
その日は、久しぶりに屋根のある宿を取ることができ、理恵は、宿の裏手に設けられた小さな厨房を借りていた。窓の外では、夕暮れの薄闇に、宿場町特有の、煙突から立ち上る炊煙が、幾筋も、薄紫色の空に溶けていく。厨房には、燃える薪の爆ぜる音と、鍋の中でとろりと煮える、乳白色の粥の匂いが、静かに満ちていた。木のスプーンでかき混ぜるたびに、とろみのある粥が、鍋肌に、優しい音を立てる。
「――理恵さん、それ、もしかして」
厨房を覗きに来たコリンが、鍋の中身を見て、目を丸くした。
「はい。……前に、話してくれた、ミルク粥、作ってみようと思って」
◇ ◇ ◇
「覚えてて、くれたんですね」
コリンの声が、少しだけ、震えていた。
「もちろんです。……ちゃんと、作れてるか、心配なので、味見してもらえますか」
理恵が差し出した器を、コリンは、両手で、そっと受け取った。
一口すすった瞬間、彼の耳が、ぴくりと動いた。
「――これ」
「どう、ですか」
「懐かしい、味です」
コリンの声は、これまでのどんな時よりも、静かで、しみじみとしたものだった。
◇ ◇ ◇
「僕の故郷は」コリンは、粥を見つめながら、ゆっくりと語り始めた。「兎型獣人の集落でした。……森の奥にある、小さな村です」
「初めて聞きました、詳しく」
「母は、村で唯一の治癒術師でした」コリンは、続けた。「治癒術師は、体力を消耗しやすい仕事だから……母は、いつも、こういう、消化に優しくて、栄養のある粥を、作ってくれてました」
「治癒術師の家系、なんですね」
「はい。……僕が、この道を選んだのも、多分、母の影響が大きいです」
◇ ◇ ◇
「――兎型獣人には、独特の食文化があるんです」コリンは、少し得意げに説明を続けた。「僕たちの種族は、消化器官が、他の種族より、少し繊細で。……だから、乳製品を使った、優しい料理が、伝統的に多いんです」
「体質的な理由が、あったんですね」
「はい。あと」コリンは、少し笑いながら続けた。「甘いものへの耐性も、他の種族より高いらしくて。……母のミルク粥、いつも、蜂蜜、たっぷり入ってました」
「今日の、蜂蜜、多めにしましたけど、大丈夫でしたか」
「――ちょうど良かったです、むしろ」
その答えに、理恵は、思わず笑ってしまった。
◇ ◇ ◇
「母は」コリンは、少し声を落として、続けた。「僕が、正式な治癒術師の資格を取ったとき、誰よりも喜んでくれました。……でも、その後、すぐに、パーティーへの同行が決まって」
「――村を、離れることになったんですね」
「はい。……それから、あんまり、帰れてなくて」
コリンの耳が、少しだけ、垂れた。
「戦争が続いてる間は、村に帰る余裕も、なかなか、なくて」
◇ ◇ ◇
「――でも、この粥を食べると」コリンは、静かに続けた。「不思議と、母のこと、村のこと、色々、思い出せます。……忘れてたわけじゃないのに、なんだか、久しぶりに、はっきりと」
「それは、良かったんですかね……悪かったんですかね」
理恵が、少し心配そうに尋ねると、コリンは、優しく笑った。
「良かった、です。……忘れていたことに気づけたのも、思い出せたのも、両方」
◇ ◇ ◇
「――いつか、村に、帰りたいですか」
理恵の問いかけに、コリンは、しばらく考えた。
「帰りたいです。……でも、今は、まだ」
「まだ?」
「今は、ここで、皆さんと一緒に、頑張りたい気持ちの方が、大きいので」コリンは、少し照れくさそうに、続けた。「理恵さんとも、まだ、一緒にいたいですし」
その言葉に、理恵は、静かに頷いた。
◇ ◇ ◇
「――理恵さんの作る粥、母の味に、負けないくらい、美味しいです」
コリンは、器を空にしながら、そう言った。
「それは、光栄です」
「今度、母に会わせたいくらい、です」
その、少し照れくさそうな、しかし真剣な一言に、理恵は、胸の奥が、温かくなるのを感じた。
◇ ◇ ◇
その夜、理恵は、コリンから聞いた話を、静かに思い返していた。
治癒術師の家系。母の存在。故郷への、まだ言葉にしきれない想い。
その一つ一つが、これまで見てきたコリンの「頑張り屋」な一面の、確かな理由を、教えてくれるようだった。
◇ ◇ ◇
五人それぞれの記憶を、一つずつ、辿っていく日々。
その先に、まだ、理恵の知らない、様々な想いが、待っているはずだった。
だが、その全てを知ることが、これから、六人の関係を、どのような形へと導いていくのか――理恵には、まだ、その答えを、見出すことはできなかった。
宿場町の夜は、静かに、しかし確かに、更けていく。
そして、次に語られる記憶は、誰のものになるのか――その答えは、まだ、明日への闇の中に、静かに眠っていた。




