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第41話 硬いパンの記憶、ルークの過去

王都へ戻る道すがら、六人は、久しぶりに、開けた草原で野営することになった。


 夕暮れの光が、一面に広がる草々を、金色に染め上げている。風が吹くたびに、草の葉がさらさらと揺れ、乾いた青い香りを運んできた。焚き火の熾す小さな火花が、闇に浮かぶ星々と重なるように、ぱちぱちと爆ぜている。地面に敷いた布越しに、昼間の名残の温もりが、じんわりと伝わってきた。


 温泉都市での日々を終え、再び始まった野営生活。だが、その空気には、これまでとは、どこか違う穏やかさが混じっているように、理恵は感じていた。


   ◇ ◇ ◇


「――なあ、理恵さん」


 夕食の支度をしていると、ルークが、珍しく、改まった様子で話しかけてきた。


「はい?」


「前に、故郷の魚料理、教えただろ」


「はい、美味しかったです」


「あれとは、また別に……食わせたいもの、じゃなくて、話しときたいもの、あってさ」


 その、いつもと違う言い回しに、理恵は、少し身構えた。


   ◇ ◇ ◇


「傭兵団に入りたての頃、食ってた飯の話、なんだけどさ」


 ルークは、焚き火を見つめながら、静かに語り始めた。


「あの頃は、まともな食料なんて、滅多に手に入らなかった。……支給されるのは、いつも、《戦時保存パン》って呼ばれる、カチカチのやつばっかりでな」


「戦時保存パン、ですか」


「保存性を優先した、専用の術式が組み込まれてるらしいんだけどよ」ルークは、苦笑しながら続けた。「そのせいで、味も何もあったもんじゃない。硬すぎて、下手すりゃ、歯が欠けるくらいだった」


   ◇ ◇ ◇


「それでも、それしか食うもんがなかったから」ルークは、少し遠い目をしながら続けた。「水に浸して、ふやかして食うのが、当たり前だった。……今思えば、あれで、よく生き延びたよな」


「大変だったんですね」


「大変だったよ、本当に」ルークは、そう言いながらも、どこか懐かしむような、複雑な笑みを浮かべた。「でも、あの硬いパンのおかげで、今の俺があるっていうか。……不思議なもんでさ、たまに、あの味、思い出すことがあるんだ」


   ◇ ◇ ◇


「――なんで、今日、その話を?」


 理恵が尋ねると、ルークは、少し照れくさそうに、頭を掻いた。


「あんたの飯、食うようになってから、色々、思い出すようになったんだよな。……昔の、辛かったことも、楽しかったことも」


「それは」


「多分、あんたの飯が、ちゃんと『味』があるからだと思う」ルークは、続けた。「戦時保存パンには、味がなかった。……だから、記憶にも、残らなかったんだ。でも」


「でも?」


「あんたの飯には、ちゃんと、味がある。……だから、食うたびに、色んなこと、思い出すようになった」


 その言葉に、理恵は、静かに、胸が熱くなるのを感じた。


   ◇ ◇ ◇


「――今度、その戦時保存パン、再現してみましょうか」


 理恵の提案に、ルークは、驚いたように目を丸くした。


「本気か? あんな、不味いもん」


「不味いままじゃなくて。……せめて、少しでも、美味しくできたらなって」


 理恵は、少し考えながら、続けた。


「辛かった記憶も、美味しいものと一緒になれば、少しは、優しい記憶に、変わるかもしれないので」


 その言葉に、ルークは、しばらく、何も言わなかった。


 やがて、彼は、これまで見せたことのない、素直な笑顔を見せた。


「――頼む」


「任せてください」


   ◇ ◇ ◇


 数日後、理恵は、その約束を果たした。


 硬い保存用のパンを、丁寧に水で戻し、薄く切って、軽く焼き直す。そこに、蜂蜜と、木の実を砕いたものを、たっぷりと乗せた。


「――これ」


 完成した一品を差し出すと、ルークは、恐る恐る、それを口にした。


 その瞬間、彼の表情が、大きく緩んだ。


「――美味い」


 その一言には、これまでのどんな料理への感想よりも、深い、確かな感慨が込められていた。


「あの頃と、同じパンなのに」ルークは、しみじみと呟いた。「全然、違う味がする」


「良かったです」


「――ありがとな」


 その言葉は、料理そのものへの感謝だけでなく、もっと大きな、何かへの感謝のようにも、理恵には聞こえた。


   ◇ ◇ ◇


「――辛い記憶を、こうやって、上書きできるんですね」


 その夜、片付けをしながら、理恵は、静かに呟いた。


「上書き、っていうより」


 いつの間にか隣に来ていたコリンが、そう答えた。


「新しい思い出が、古い思い出に、優しく寄り添う、っていうか。……そんな感じな気がします」


「コリンさんも、何か、そういう記憶、あるんですか」


 その問いかけに、コリンは、少し照れくさそうに、しかし懐かしそうに、笑った。


「――僕にも、ありますよ。今度、聞いてもらえますか」


「もちろんです」


 その約束に、理恵は、静かに頷いた。


 五人それぞれの中に眠る、まだ語られていない記憶。


 それを、これから、少しずつ、料理という形で、共に紐解いていく。


 そんな予感が、理恵の胸に、確かに、芽生え始めていた。


 草原に広がる夜空の下、六人の物語は、また一つ、新しい深みへと、静かに近づいていた。

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