第37話 メルとの一日、笑顔の奥に
翌朝のくじは、メルが引き当てた。
工房通りは、朝から、槌を打つ音や、炉の爆ぜる音で賑わっていた。軒先に吊るされた見本の品々――色とりどりの硝子細工や、繊細な彫刻が施された魔道具――が、朝日を受けて、きらきらと輝いている。鍛冶場の方角から、焼けた金属の匂いが漂い、それに混じって、木材を削る際の、青々とした木の香りが鼻先を掠めた。石畳に反響する槌音のリズムが、まるで、町全体の鼓動のように感じられる。
「――ここ、面白いよ」
メルが、一軒の工房を指し示した。看板には、《硝子魔道具工房》と書かれている。
◇ ◇ ◇
「わあ……!」
店内に足を踏み入れた理恵は、思わず声を上げた。
棚一面に並んだ硝子細工は、それぞれが、淡い光を灯していた。花の形をしたランプ、鳥をかたどった置物、蝶のような繊細な装飾品――そのどれもが、内部に小さな魔石を仕込み、幻想的な輝きを放っている。
「これ、全部、魔道具なんですか」
「そう。……硝子細工に、簡易な発光術式を組み込んだものだね」メルが、慣れた様子で説明した。「昔、こういう工房で、少し働いてたことがあってさ」
「メルさんが、職人だったんですか」
「職人、というほどでもないけど。……色々あって、生活のために、身につけたスキルの一つ、かな」
その言葉に、理恵は、以前聞いた「一人で身の回りのことをこなさなきゃいけない時期が長かった」という話を、思い出した。
◇ ◇ ◇
「これ、綺麗ですね」
理恵が手に取ったのは、小さな蝶をかたどった、青い硝子細工だった。
「気に入った?」
「はい、すごく」
「――買おうか」
「え、いいんですか」
「僕からの、記念のプレゼント、ってことで」
メルは、そう言うと、理恵の返事を待たずに、店主に代金を渡してしまった。
「メルさん、そういうところ、強引ですよね」
「押しが弱いと、僕みたいなタイプは、埋もれちゃうからね」
その軽い口調とは裏腹に、理恵の手に渡された蝶の硝子細工は、想像以上に、繊細で美しい輝きを放っていた。
◇ ◇ ◇
工房を出たあと、二人は、町を見下ろせる展望台へと足を運んだ。
眼下に広がるテルマ・リュネの町並みは、あちこちから立ち上る湯気に霞み、幻想的な光景を作り出していた。風が吹くたびに、遠く硫黄の匂いが、微かに鼻先を掠める。
「――綺麗な景色ですね」
「そうだね」
メルは、そう答えながら、しかし、その視線は、町並みよりも、さらに遠く――地平線の彼方に向けられているように見えた。
「メルさん?」
「――ん、ごめん。ちょっと、考えごと」
「最近、よく、そうやって、遠くを見てますよね」
その指摘に、メルは、少し驚いたような顔をした。
◇ ◇ ◇
「――理恵ちゃんは」
しばらくの沈黙のあと、メルが、静かに口を開いた。
「もし、僕が、とんでもない秘密を抱えてたとしたら、どうする?」
「とんでもない秘密、ですか」
「例えば……そうだな。誰かに知られたら、この六人の関係が、壊れてしまうような」
その問いかけに、理恵は、しばらく考えた。
「――知らないので、想像でしか言えないですけど」
「うん」
「メルさんが、これまで、私たちと一緒に過ごしてきた時間が、嘘だったとは、思えないです」
理恵は、まっすぐに、メルを見つめた。
「だから、もし、そういう秘密があるんだとしても……それを聞いた上で、私がどう思うかは、その時になってみないと、分からないです。でも」
「でも?」
「今の、メルさんのことは、ちゃんと、知ってるつもりです。それだけは、変わらないと思います」
◇ ◇ ◇
その答えに、メルは、しばらく、何も言わなかった。
やがて、彼は、これまで見せたことのない、どこか泣き出しそうな、それでいて、優しい笑みを浮かべた。
「――理恵ちゃんは、本当に、ずるいな」
「ずるい、ですか」
「そういうことを、さらっと言うところ」
メルは、視線を、再び、遠くの地平線へと向けた。
「いつか、話すよ。……全部」
「はい」
「でも、今は、まだ」
「待ってます。……メルさんが、話したくなるまで」
その言葉に、メルは、静かに頷いた。
◇ ◇ ◇
夕方、宿に戻った二人を、他の四人が迎えた。
「どうだった、メルとの一日?」ルークが、興味津々に尋ねる。
「楽しかったですよ。工房も見て、展望台にも行って」
「何か、良いことでもあったのか? メル、なんか、いつもと雰囲気違うぞ」
その指摘に、メルは、いつもの調子で、肩をすくめた。
「さあ、どうだろうね」
その曖昧な返事に、他の四人は、それぞれ、首を傾げた。だが、理恵だけは、その表情の奥にある、静かな変化に、気づいていた。
◇ ◇ ◇
その夜、理恵は、貰った硝子の蝶を、そっと窓辺に置いた。
月明かりを受けて、小さな蝶は、淡く、優しい光を放っている。
メルの中にある、まだ言葉にならない秘密。
その正体を、理恵はまだ、知らない。
だが、いつか、彼がその全てを話してくれる日が来るまで、この六人での時間を、大切に積み重ねていきたいと、理恵は、静かに思った。
テルマ・リュネの夜は、今夜も、湯気と月明かりに包まれながら、更けていく。
そして、六人の物語は、まだ、その先に待つ、いくつもの真実へと、静かに近づいていた。




