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第36話 くじ引きの結末、二人だけの時間

朝の宿の食堂は、湯上がりの火照りが残る、どこか艶やかな空気に包まれていた。


 卓上に並んだ料理から立ち上る湯気が、窓から差し込む朝日に透けて、淡く輝いている。焼きたてのパンの香ばしい匂いに、蜂蜜のとろりとした甘い匂いが混じり合っていた。理恵が椅子に腰掛けると、木製の座面から、昨夜の湯冷めをまだ引きずっているような、ほのかな温もりが伝わってくる。窓の外からは、朝湯を楽しむ宿泊客たちの、軽やかな笑い声が届いていた。


「――今日は、それぞれ、街の観光地を回ろうと思う」


 トビアスが、朝食の席で、そう切り出した。


「観光地、って?」ルークが、パンを頬張りながら尋ねる。


「温泉聖堂、名産品の工房、それに、見晴らしの良い展望台。……色々あるらしい」


「じゃあ、どうやって回るんだ? バラバラにか?」


「――くじで、決めよう」


 トビアスの提案に、理恵は、少し戸惑った。


   ◇ ◇ ◇


「くじ、ですか」


「今日一日、誰と、どこを回るか。……それを、公平に決めたい」


 その言葉に、コリンが、少し不満げな顔をした。


「公平って言いつつ、トビアスさんが、公平さにこだわるの、珍しいですね」


「――何か、文句があるのか」


「いえ、何も」


 コリンは、慌てて首を振った。


   ◇ ◇ ◇


 用意されたくじは、宿の主人から借りた、五本の紐だった。一本だけ、先端に赤い印がついている。


「これを引いた奴が、理恵さんと、一日行動を共にする、ってことでいいか?」ルークが、確認するように言う。


「異論はない」イアンが、静かに頷いた。


「僕も、賛成」メルが、いつもの調子で言う。


 理恵は、その様子を、少し落ち着かない気持ちで見守っていた。


   ◇ ◇ ◇


 結果を引き当てたのは、イアンだった。


「――俺、か」


 彼は、少し驚いたように、赤い印のついた紐を見つめた。


「よし、決まりだな!」ルークが、悔しそうにしながらも、笑って言った。「今日は、イアンの日ってことで!」


「別に、俺の日、というわけじゃない」イアンは、いつもの調子で訂正しながらも、その耳の先が、微かに赤くなっていた。


   ◇ ◇ ◇


「――どこに、行きたい?」


 二人きりになったところで、イアンが、少しぎこちなく尋ねてきた。


「イアンさんのおすすめ、聞きたいです」


「――ならば、温泉聖堂に行こう」イアンは、少し考えたあと、答えた。「この町の地脈を守る、古い聖堂があるらしい。……興味深い記録が、残っているかもしれない」


「イアンさんらしい選び方ですね」


「悪いか」


「いえ、楽しみです」


   ◇ ◇ ◇


 温泉聖堂は、町外れの小高い丘の上に、静かに佇んでいた。


 石造りの、古めかしい門をくぐると、境内には、清らかな水音が響いていた。小さな泉が、境内の中央から、絶えず湧き出している。その水面に触れると、これまでの温泉とはまた違う、澄んだ冷たさが、指先に伝わってきた。


「――ここが、地脈の、源泉なんですね」


「そうらしい」イアンは、興味深そうに、周囲を見回していた。「地脈そのものを、直接、祀っている聖堂は、珍しい」


   ◇ ◇ ◇


「――《占術紋》、というものが、あるらしい」


 境内の一角、古い石碑を眺めながら、イアンが説明した。


「占術紋?」


「地脈の魔力の流れを読み取り、簡易的な未来予測を行う、古い術式だ。……この聖堂は、その発祥の地、とされている」


「未来予測って、当たるものなんですか」


「学術的には、懐疑的な意見が多い」イアンは、いつもの理屈っぽい口調で続けた。「地脈の揺らぎと、実際の未来事象の相関は、統計的に、まだ十分な検証がなされていない」


「でも、興味はあるんですよね?」


「――否定はしない」


 その素直な返事に、理恵は、思わず笑ってしまった。


   ◇ ◇ ◇


「せっかくだし、占ってもらいましょうか」


「非科学的だと、分かっていて、か」


「ロマンがあるじゃないですか、そういうの」


 その提案に、イアンは、少し渋りながらも、結局は、理恵に付き合うことにした。


 聖堂に仕える、若い女性の司祭が、古びた石版に、二人の手を重ねさせる。


「――お二人の、これからの関わりについて、地脈が示す兆しを」


 石版が、淡く発光する。しばらくして、女性は、静かに告げた。


「――深く、長く、結ばれる縁が、見えます」


 その言葉に、二人は、思わず顔を見合わせた。


「――当たるも八卦、当たらぬも八卦、というやつだ」イアンが、動揺を隠すように、早口で言った。


「そう、ですね」


 理恵もまた、その言葉の意味を、うまく受け止めきれずにいた。


   ◇ ◇ ◇


「――今日の記録、まとめておく」


 聖堂を出たあと、イアンが、懐から、あの見覚えのある手帳を取り出した。


「またレシピ帳ですか」


「これは、別だ」イアンは、少し慌てたように答えた。「……今日の見聞を、記録しているだけだ」


「それも、私との思い出、ってことですか」


「――そう捉えても、構わない」


 その素直な返事に、理恵は、また、胸の奥が、じんわりと温かくなるのを感じた。


   ◇ ◇ ◇


 夕方、宿に戻った理恵とイアンを、他の四人が、興味津々な様子で出迎えた。


「どうだった、聖堂?」


「面白かったですよ。占ってもらったりも、して」


「占い!? どんな結果だったんだ!?」


 ルークの勢いに、理恵は、少し言葉を濁した。


「――秘密です」


「ええ!? そこは教えろよ!」


 その賑やかなやり取りに、理恵は、思わず声を上げて笑った。


   ◇ ◇ ◇


 その夜、理恵は、寝台の中で、今日聞いた占いの言葉を、静かに思い返していた。


 ――深く、長く、結ばれる縁。


 その「縁」が、どういう意味を持つものなのか、理恵には、まだ、うまく言葉にできなかった。仲間としての繋がりなのか、それとも――。


 だが、この温泉都市での日々を通して、五人それぞれとの関係が、確かに、これまでとは違う、新しい局面へと進み始めていることだけは、はっきりと感じ取っていた。


 テルマ・リュネの夜は、今夜もまた、静かに、湯気に包まれていく。


 そして、明日もまた、新しい一日が、六人を待っていた。

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